05 そんなに悪いものかしら
やれやれ、と男は呟いた。
「全くもって、冗談じゃない。洒落にならん話だ」
ユーソア・ジュゼはぶつぶつと言った。
「陛下の恋人だったって? そんなの、早く言っといてくれればいいのに」
「お若いんですもの。恥ずかしいような、照れ臭いような、そうしたお気持ちでいらしたのかもしれないし、立場上とても露わにできないとお思いだったのかもしれないでしょう」
「まあなあ」
女の言葉に男はうなずいた。
クインダンは約束通りアンエスカに進言したが、団長が一度決めた謹慎を取り下げたのは何もクインダンやエルレールの言葉によるものではなく、彼自身が「ハルディール」の傍から離れられない現状、動ける騎士の数を減らした状態は望ましくないと判断したためだった。
だがどういう理由によるものであれ、ユーソアにとってはほっとする話だ。
謹慎中に起きた「ハルディール」の発言についても耳にした彼は、自分の行為が王を怒らせた本当の理由に気づいたが、出てきたのは反省の言葉よりも愚痴であった。
「俺のちょっかいが陛下のああした宣言を招いたんだとしたら……」
ユーソアは口の端を上げた。
「俺は陛下に恨まれるのか、感謝されるのか」
天を仰いで、彼は疑問を口にした。
「まあ」
おどけたような様子に、女は少し笑った。
「もっとも、気になるのはビルン大臣だ。彼はボウリスの親戚を陛下の嫁にと考えていて、実際、何度か進言してる」
シリンドルには「大臣」と呼ばれる人物がふたりいるが、その実態はほとんど「王の相談役」止まりだった。王の判断が偏らないようにという歯止め役としての意味合いが大きい。
両大臣が反対をすれば国王の決定でも覆される、ということになっているものの、そうした事例はあまりない。少なくとも、記録に残るほどの騒動になったことは僅少だ。
もっとも、ひとりが反対してもひとりが賛成すれば国王の考えが実施されるし、王に反する両大臣の意見が通るということもない。国王が考え直して新たな決定を下さなければならない、という辺りだ。やはり最終的な決定権は王にある。
現王ハルディールは、民から選ばれたふたりの大臣にももちろん相談をするが、アンエスカの意見も多く求める。騎士団長が国策に関わるというのは歴史上類を見ないことであり、大臣たちは抗議こそしないものの、自分たちが軽んじられているのではないかという思いはあるようだった。
そのこともあって、ハルディールの妃の選定には大臣の意見が重視されるであろうというのが多くの見方だった。
「ビルン殿は確か、ボウリス神殿長とつき合いが長かったわね」
「神殿長ご自身はああした方だから、自分の縁者を王妃にしようなんて企んじゃいない。ご子息を後継と定めることも、まだしていらっしゃらないしな」
幼子カズロはまだ物心もつかぬ幼児だ。ボウリスが息子を後継と決めていないのは年齢のこともあったが、いまだに、自らの血筋でよいのだろうかと迷うところもあるせいだった。
「神殿長じゃない。周りが、シリンドレンと違う、ボウリスの血筋を高めようと必死なんだ」
「――シリンドレンの血筋は、そんなに悪いものかしら」
女は呟いた。
「シリンドル王家とシリンドレン神殿長家は、長年、互いに協力しあってシリンドルを支えてきたわ。――ヨアフォード・シリンドレンとヨアティア・シリンドレンのたったふたりだけのせいで、シリンドレン家が穢らわしいもののように思われてしまうなんて」
「だが、ヨアフォードとヨアティア親子の記憶はまだ、強すぎるだろう」
仕方ないとユーソアは言った。
「シリンドレンか」
考えるように、彼は呟いた。
「ヨアティアとは少し話したことがあるが、ありゃあただの小物だ。逃げたもん追いかけて処刑なんて正直」
少し迷ってから、ユーソアはそっと言う。
「やりすぎじゃなかったかと」
その言葉に、女は何も言わなかった。
「もっとも、あいつが神殿長になってたなんて考えるとぞっとしないが、嫁がまともなら次代はいい神殿長になったかもしれんし」
「たとえば、どんな?」
「たとえばって」
「『まともな嫁』」
「そうだなあ」
ユーソアは両腕を組んだ。
「あいつの親父は、エルレール殿下を娶わせようとしてたらしいな」
彼は聞いた話を口にして顔をしかめた。
「血筋としては申し分なしと言えるし、これ以上ない『まともな嫁』だったかもしれん。何ごともなくそうした話が進んだとしたら、それからヨアティアがもうちょいできた男だったら、歓迎できる話だったかもな」
王家と神殿長家。シリンドルとシリンドレンの婚姻は、過去に何度もあった。もっとも、ふたつの血筋がひとつになるような婚姻だけは行われなかった。二家はふたつに分けたままで繋がりを保つ、それが歴代の王や神殿長の考えであった。
「シリンドル家とボウリス家、新しい形を推していくのであれば」
女は考えるようにした。
「本当に陛下のご婚約が整うのなら、エルレール殿下がボウリス家の誰かと、ということになるのかしらね」
「気の毒にな」
ユーソアは呟いた。
「俺にできるなら、助けて差し上げたいと思う」
「あら」
女は片眉を上げた。
「何かおかしなことを考えていないでしょうね、騎士様?」
「おいおい」
新米騎士は苦笑した。
「まさか巫女姫様にまで妙な真似はできんさ」
「『しない』ではなく『できない』というところが気にかかるわね」
肩をすくめて女は言った。
「望みはあるのに抑えているということでしょう」
「そうは言わんよ」
騎士はにやにやした。
「いくら俺でも、姫殿下なんて」
「全く」
女は手を振った。
「あまり度を越した態度は控えるのよ。あなたを買ってくれる人がいるのだから、落胆させないように」
「――判ってる」
ユーソアは不意に、真面目な顔を見せた。
「判ってるさ」
その様子をじっと見て、女はかすかにうなずいた。
「さあ、いつまでもこんなところでお喋りなんかしていては駄目でしょう。行くところがあるのではなかったかしら?」
「ああ、そうだな」
騎士は立ち上がると、女の髪に口づけた。
「せっかく謹慎を早めに解いてもらったんだ。仮面殿のご機嫌伺いにでも」
行ってくる、と彼は手を振ってその場を離れた。




