04 騎士にあるまじき
気が重い。
彼の感じていることを一言で表すなら、そういうことになっただろう。
少し前まで、こんなことはなかった。ハルディールに仕えることは誇りであり、エルレールを訪問することは喜びだった。
だがこのところ、それらの狂いが生じている。
彼はそう感じずにはいられなかった。
「クインダン・ヘズオート」
呼ばれて彼は振り返った。そこには金髪の剣士が立っていた。〈青竜の騎士〉と名乗る男。
「エククシア殿」
〈シリンディンの騎士〉は丁重に礼をした。必要以上にへりくだるものではなく、礼儀の一環としての客人への挨拶だが、一見したところではクインダンの立場の方が下に見えるだろう。
「どうなさいまいした」
「陛下は、巫女姫にお会いにならないそうだ」
「――お伝えして参ります」
どうしてこの客人が、陛下の意向を騎士たる彼に伝えるのか。
どうしてハルディールは、エルレールに会うことを避けるのか。
このもやもやに比べたら、王姉姫の顔を見るのがつらいようであるという彼の個人的な感情など、ささやかなものだ。
(陛下は突然、変わられたようだ)
(だがいったい、何故)
クインダンには、情報が少なすぎた。
アンエスカは彼らに何も伝えなかった。彼らが上手に嘘をつけないことを見越したためだ。
「それから」
エククシアは続けた。
「ヴォース・タイオスはどうしている」
「……どうも、していません」
これもまた、気の重い話だ。
「処分を……気にかけてはいるようですが、暴れるようなこともなく」
どうして〈シリンディンの白鷲〉を罪人のごとく扱わなければならないのか。
(陛下に無礼を働いた? だが)
(ハルディール様は……タイオスの乱暴にも見える言いようを気に入っていらしたはずで)
(彼をとても、信頼していたのに)
(どうして)
「ふん」
エククシアは鼻を鳴らした。
「逃げ出す機会をうかがってでもいるか」
「私はそのようなことを申しておりませんが」
クインダンは控えめに反論した。
「おとなしく処罰を待っているとでも? そのようなはずがない」
きっぱりとエククシアは言った。
「おとなしくしているのならば、何か狙いがあるのだ」
「何を仰っているのか判らない」
青年騎士は首を振った。
「見張りは厳重にするように」
「――あなたには」
そこでクインダンは、低く言った。
「私に命じる権限はない」
「では、陛下のお言葉だと言おう」
腹を立てる様子もなく、さらりとエククシアは返した。
「陛下は、お前たち若い騎士がヴォース・タイオスをいまだに〈白鷲〉と考えていることに難色を示しておいでだ。きちんと現実を見るのだな、ヘズオート」
「タイオスは確かに〈白鷲〉だった」
クインダンは言った。
「そして、〈白鷲〉でなくなったという確証はない。証たる護符は、神の意志ではなく、人の手によって彼から離されたのだから」
「その『人の手』が神の意志ではないという証は、あるのか?」
手を振ってエククシアは言った。
「あれがいまでも〈シリンディンの白鷲〉だと言うのであれば」
くっ――と〈青竜の騎士〉は笑った。
「証を見せてもらいたいもの」
自ら使った「証」という語を返されて、クインダンは黙った。
「どう足掻くものか、楽しみにしていよう」
そんなことを言って、エククシアは踵を返した。
クインダンはやはり黙ったままそれを見送ってから、唇を噛んだ。
(いったい、何がどうなっているのか)
(ハルディール様はどうしてしまったのか)
(どうなるのだ。これから)
(――シリンドルは)
きゅ、と腹の辺りが重くなる気持ちがした。
今日に続く明日、明日に続く明後日、ハルディール王のもと、平和で安定したシリンドル国を支えていくと信じていた日々が、不意に揺らぎ出していた。
突然、人の変わったようなハルディール。
どこの「騎士」とも判らぬエククシア。
王の婚約宣言に、しかしフィレリアとフェルナーは顔も見せない。
いったい何が起きているのか。
彼の王に。
彼の国に。
「いったい、どうして」
エルレールは目をしばたたいた。
「ハルディールが私に会わないと言うなんて」
てっきりクインダンが、彼女を王家の館に連れるためにやってきたのだと考えていた王姉は、呆然とした。
「いったいどういうことなの」
それはタイオスが拘留された翌日の、昼前だった。
エルレールのもとには前夜の内に知らせが届いていた。弟王の世迷い言と信じられない愚行――としか思えなかった――は姉を驚かせ、すぐにハルディールと話をすると言った。
だが「ハルディール」は夜の内には忙しいと断り、それなら翌朝にという巫女姫の提案も拒絶してきた。
「婚約のことで、何か言われると思っているのかしら? でも当然だわ、言うに決まっている」
「婚約は、未定です、殿下」
控えめにクインダンは指摘した。
「もちろんよ。フィレリアのことは私も好きだけれど、そんなことをハルディールが勝手に決めていいはずがないわ」
王姉は「仲良くなった友だちだから」というような理由では、フィレリアを推さなかった。
「ふたりの間に……何か……その」
少し言いにくそうにしてから、エルレールは続けた。
「『何か』あって、それでハルディールは『責任を取らなければならない』とでも思ったのかしら」
「そ、それは、何とも」
応とも否ともクインダンには答えづらいことだった。
「ハルディールが望み、フィレリアも望むのであれば、決して悪い話ではないわ。いろいろと思惑のある者もあるでしょうけれど、ハルディールが幸せになるなら、私は応援するつもりでいたのよ」
でも、と彼女は息を吐いた。
「あの子ったらまるで、階段を二段とばしで駆け上がってしまったかのよう。恋に浮かれたのだとしても、王として、あまりに浅はかすぎるわ」
困惑した体でエルレールは言った。
「アンエスカがきちんと説得してくれるとよいけれど……」
うつむきがちに言ってから彼女は顔を上げた。
「そう言えば、ユーソアはどうしているの?」
何気ない調子で、エルレールは尋ねた。
「彼は、謹慎を」
何気ない調子で、クインダンも答えた。
「そう、そうだったわね」
王姉ははっとしたように咳払いなどした。
「ユーソアならばハルディールの悩みなんてものを聞いてくれるのではないかと思ったけれど、フィレリアのことでは相談なんてできない相手だったわね」
彼女は苦笑を交えた。
「もっと早くハルディールが意思表示をしていたら、彼だって馬鹿な真似はしなかったでしょうに」
王の思い人と判って手を出すはずがない、と言うのだろう。クインダンは何と返したものか思い浮かばなかった。
エルレールがユーソアの名を口にする。謹慎のことは、うっかり忘れてしまう程度にしか、気にとめていないようだ。そして彼に何かを期待をしているようでもある。
いくつかの事実とそこから推測――想像される考えに、クインダンはまたしても腹の、いや、胸の辺りが痛むようだった。
(しっかりしろ、クインダン・ヘズオート)
(エルレール様はご寛容でいらっしゃるのだ。それに)
(恋の悩みなど、俺のような男では相談に乗れるはずもない)
少年王が信頼するアンエスカにだって、それともアンエスカにこそ話しにくい出来事も、ユーソアになら打ち明けられたかもしれない、そうした考えはもっともと言えた。
(つまらぬことでうじうじするな、情けない)
彼は自分自身に言い聞かせた。
(このような)
(……嫉妬など、騎士にあるまじき)
「ねえ、クインダン」
そっとエルレールが声を出す。
「はい、殿下」
彼は恭順の礼をした。
「アンエスカに、ユーソアの謹慎を解いてもらえないかしら」
「は……し、しかし」
(そんなにユーソアをお気に召して)
「その……」
彼は答えを探した。
「ああ、ごめんなさい、あなたに言うことではなかったわね。私が直接、アンエスカに」
エルレールは手を振った。
「いえ」
クインダンは、笑みを浮かべた。
エルレールの望みを叶えること。それも騎士の役目だ。
「彼も十二分に反省したことと思います。私からも、団長にとりなしましょう」
騎士がそう答えたときである。びゅう、とひときわ強く吹いた風が、がたがたと窓を鳴らした。一瞬、エルレールはびくりとする。
「嵐が……」
巫女姫は呟いた。
「やってくるのかしら」
何気なく発せられた言葉は不吉なものを感じさせ、青年騎士は無意識の内に神に祈る仕草をしていた。




