03 本当に、出て行けば
「〈峠〉の神が目的」というのは曖昧、かつ大雑把すぎる。国王になったって神を支配できる訳ではないし、ヨアフォードをきっちり拒否した〈峠〉の神が、あんな状態の「ハルディール」を受け入れるはずはなく――。
「判らん」
連中が〈峠〉の神を侮るなら、何も少年王を乗っ取るまでのことをしようとは思わないのでは。だが正しく評価しているなら、神を欺けなどしないと判るのでは。
「神を欺けなど、しないものを」
まるでタイオスの心を読んだかのように、アンエスカが呟いた。
「しかし奴らは、そのつもりかもしれんな」
両腕を組んでアンエスカは息を吐いた。
「何でそう思う」
「ルー=フィンが言っていた、というより『言わされていた』ことになるのやもしれんが」
アンエスカは隠しを探った。
「――これは返しておこう」
「は、そりゃどうも」
格子の隙間から差し伸べられた大理石製の護符。〈白鷲〉はいささか意外に思いながらそれを受け取った。
「だが、武器ともども取り上げたはずのこれを俺が持ってちゃおかしいんじゃないか」
「隠しておけ」
「そりゃ隠すがね」
まさか、よりによって、このシャーリス・アンエスカが彼に護符を手渡そうとは。タイオスは少し可笑しくなって笑い、案の定睨まれた。
「その飾り紐によってであろうと何であろうと、お前が神を謀っていると言った。ルー=フィンの頭から出た考えとは思いづらい」
「だな」
タイオスは同意した。
「むしろあいつは、護符を持っていたら、野良猫だって〈白鷲〉だと認めちまいそうだ」
これは極論と言うか、冗談である。
だがルー=フィン・シリンドラスにとって、護符は「証」であるはずなのだ。タイオスを憎み、恨んだところで、彼が変わらず護符を持っていればそのことを重視するはず。
「企みをする者は相手も何か企んでいると思うもの、という意味合いとは少し違うが」
「頭にあるから出てくる言葉って訳だ」
「その通り。だがルー=フィンからは出ない」
彼らは繰り返した。
「とにかく」
戦士は咳払いをした。
「俺はいつまでもこんなところでじっとしちゃいられん。何か考えろ」
「お前自身は考える気がないのか」
「あるさ。俺の意見、と言うより希望については述べたが、お前は無理だと言ったろ。ならお前が出せと言ってる」
「私が逃がす訳にはいかないと言ったんだ。ほかの手段は考えられなくもないが……」
アンエスカは両腕を組んだ。
「探し出して殺せなどという命令が下ったらどうする」
「だからシリンドルから出てったと言えと」
「エククシアは騙せないという話はどうなったんだ」
「だから」
タイオスは繰り返した。
「本当に、出て行けばいいんだろ」
「何だと」
「そんな顔するなよ。すたこら逃げ出すとは言ってないぞ」
苦笑いして彼は手を振った。
「そのような真似をすれば、護符は今度こそお前を離れると思え」
苦々しくアンエスカは言った。
「だが、シリンドルを出て、どうする気だ」
「ちょいと考えがある」
彼はそう言うにとどめた。アンエスカは少し沈黙して、追及しようかどうしようか迷うようだった。
「よし」
それから騎士団長はうなずいた。
「信じよう、〈白鷲〉」
「は」
タイオスは口を開けた。
「世界の終わりがきそうだ」
軽口を叩けば、いつも通りの睨むような視線が返ってきた。
「それならば問題は、どうやって出るかだな」
「どうって」
戦士はアンエスカの手にあるものを見た。
「その立派な鍵束には、この錠前に合うやつもついてるんじゃないのか」
「無論、ついている」
アンエスカはうなずいた。
「だが、私が逃がす訳にはいかんと言っているだろう」
「奪われたとでも言えよ」
「無理があるだろうが」
「まあな」
タイオスは認めた。
「よし。ではこうしよう」
アンエスカは指を弾いた。
「明日、僧兵が様子を見にやってきたら、お前は腹痛を訴える」
「はあ」
戦士は目をしばたたいた。
「仮病を使うのか? 古典的な手だな」
「うるさい。文句があるなら自分で考えろ」
「いやいや、ないない」
それで?――とタイオスは続きを促した。
「医者を呼んでくれと言うんだ。僧兵は決め難く、誰かしら騎士に判断を仰ぐだろう。クインダンかレヴシーならば、すぐに手配する」
「ルー=フィンだったらどうすんだ。僧兵なら仲いいだろ」
「国境警備を命じておく」
「どっち側の?」
「お前が赴かぬ方だ」
「じゃ、アル・フェイルの方に行かせておいてくれ」
「判った」
そうしよう、とアンエスカ。
「これも渡しておく」
と、騎士団長は腰から短剣を引き抜いた。
「医師を人質に取って逃亡を図れ」
「……英雄の所行じゃねえなあ」
「文句があるなら」
「ない、ないって」
タイオスは受け取った短剣を振って降参した。
「裏手に馬を用意しておく。少々の食糧や路銀も」
「ずいぶん、親切だな」
「仕方なかろう」
アンエスカは渋面を作った。
「護符がお前の手にある内は」
「はっ」
タイオスは笑った。
「さっきは、なかった訳だがねえ」
「うるさい。文句が」
「ないない」
彼らは三度繰り返した。
「明日だな」
「朝の内はまだ警戒しているだろう。昨夜のお前の様子などを聞きたがることも考えられる」
「じゃあ昼か」
「夕刻から夜の方が逃げやすくはあろうが……」
「俺はそれほど、シリンドルに慣れてない。明るい内でないと」
迷ったら馬鹿らしい、とタイオスは言った。
「そうだな。それにむしろ、お前が逃げていったということは目撃された方がいいのだったな」
昼だ、とアンエスカは結論を出した。
「そろそろ戻る。団長はどうしたと騒がれ出したら厄介だ」
「ああ」
タイオスはうなずいた。
「――おい」
踵を返したアンエスカに、彼は鉄格子を握って声をかける。
「頼むぞ、ハルのこと。中身はどうでも、身体はあいつの……」
「判っている」
振り返らないままで、アンエスカは答えた。
「お前に頼まれる筋合いなどはない」
「だな」
戦士は肩をすくめた。カッとしてフェルナーを捉えようとしたタイオスをアンエスカがとどめたのは、それがハルディールの身体だったからだ。そのことを騎士はよく知っている。
「タイオス」
「ああ?」
「無事で戻れ」
思いがけない言葉にタイオスはまばたきをした。
「ああ」
それから、彼はにやりとして続けた。
「判ってるとも。お前に頼まれる筋合いなんかない」
そっくり返された台詞にふんと鼻を鳴らして、騎士団長は牢をあとにした。




