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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第2話 策謀の影 第3章

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01 鉄格子

 静かだ。

 石の床の上にあぐらをかいて、戦士はじっと黙っていた。

 淡々と任務を遂行するルー=フィンと戸惑った顔のクインダンに連れられて、長年使われていないかびくさい牢屋に入れられたのは、もう数刻前のことになる。

 彼は慌てなかった。

 慌ててどうなるものでもない。

 牢に入れられたのは数月前の、カル・ディアでフェルナー誘拐容疑をかけられて以来だ。またしてもフェルナー絡みだ、と思うと罵倒の言葉が出てくるが、罵っても呪っても仕方ない。

 彼は待った。ただ、待っていた。

 キィ、とかすかに扉の開く音がした。

 それから、忍び歩くような、余程気をつけていなければ聞こえない程度の足音。

 タイオスは待った。その人物が、彼の目に見えるところまでやってくるのを。

「――タイオス」

 ついに相手はやってきて、鉄格子の向こうから彼を呼んだ。

「どういうことだ」

「俺だって訊きたいね」

 戦士は返した。

「どういうことなんだ? あいつは誰にでも乗り移れるのか? いや、そんなことはないはずだ。何か、こう、きっと、やり方があって……」

「そんなことを尋ねているのではない」

 相手は言った。

「やり方など、そんなことはどうでもいい。いったい」

 彼は歯ぎしりをした。

「どうしたら、陛下は元に戻るのだ!」

「俺だって知りたいわ!」

 タイオスは叫び返した。

「こんなことに、なるなんざ」

「お前が様子を見ると言うから、見ていればこれだ」

「何をう。俺のせいにしようってのか。てめえだって、巧くやるの何のと」

「フェルナーやルー=フィンの様子を窺っていたところで、何にもならなかったではないか!」

 叫び声が石壁に反響した。はっとしたように、彼らは口をつぐむ。

「……で」

 こほん、とタイオスは咳払いをした。

「ハルは……フェルナーはどうしてる、アンエスカ」

「陛下気取りだ」

 シャーリス・アンエスカは渋面を作った。

「『命令だ』と言えば、私が何でも言うことを聞くと思っている」

「だが、そういう形にしたのはお前だ」

 タイオスは指摘した。

「悪くない、と思うがね」

「ああ」

 アンエスカはうなずいた。

「『この男は馬鹿で何も疑っていない』。そう思わせておけば、近くにいられるからな」

「俺より馬鹿だと思われてるぞ」

「それは非常に、腹立たしいところだ」

 騎士団長は鼻を鳴らした。

「もっとも――」

 息を吐いて、彼は続けた。

「お前の話がなければ、奇妙だと思いはしても、事情がさっぱり飲み込めなかっただろう。陛下が恋の女神に捕まり……昨夜の『散歩』で女性を知って変わられたのだとでも考えたやもしれん」

「あの素っ頓狂な話をお前が信じるとは、思わなかったがなあ」

「陛下がな。お前が嘘をついているとは思えないと。とにかく、いち早く、ほかの意見が差し挟まれないところでお前の話を聞いてほしいと、そう仰ったのでな」

「それでハルともども、あの深夜のご訪問だった訳だ」

 タイオスがシリンドルに到着し、ルー=フィンやフェルナーとひと騒動終えたあと、眠れずにいた彼の部屋を訪れたのが少年王と騎士団長だった。

「あのときは私も、ルー=フィンの話を伝聞で耳にしていただけだったが、それでも有り得ない話だということは容易に理解できる。言っておくが」

 彼は肩をすくめた。

「ヨアティアがそんな殊勝な人間ではないと知っているだけで、お前を信じるものではない」

「有難うよ」

 タイオスは礼を言った。

「……記憶を」

 アンエスカは呟いた。

「乱される。考え難いことだが、そうとでも考えるしかない。ルー=フィンは演技などできる性格ではないからな」

「才能は有り余ってる奴だが、そこには栄養が行かなかったみたいで助かった」

 タイオスも呟いた。

「あいつの嘘と真実は、見分けるのが簡単だ。あいつは仮面の下の顔がヨアティアだってことを知ってる。だが恨みを消され、『殊勝なタマだ』と思い込んだ状態で、『恩人の息子』という情に負けた」

 そんなところだろうと戦士は言った。

「だがそれだけじゃ説明のつかないこともある。たとえばヨアティアが神妙に、もう一度故郷の土を踏みたいとでも言ったとして、何でフェルナーに乗っ取られてる必要がある? フェルナーとフィレリアがハルに近づくことに、どんな説明を受けてるんだ?」

「私に訊くな」

 アンエスカは手を振った。

「――だが、いま、フェルナーが陛下の」

 言いたくない、というようにアンエスカは唇を歪めた。

「……そういうことであるのなら、フェルナーだと言っていた『身体』はどうなっていると思う」

「ヨアティア……になってるのかもしれんな」

 タイオスは腕組みをした。

「だが、まあ、それなら何というか、ぼろを出してくれるんじゃないかとも思うが」

「仮面の下の顔がヨアティア・シリンドレンだったとして、それが何の解決につながると言うのだ」

「何のって、そりゃお前」

 タイオスは列挙しようとして指を一本折ったが、そこでとまってしまった。

「……むしろ、まずい、か」

その通りだ(アレイス)

 アンエスカはしかめ面のままだった。

「『陛下』があれに許しを与えたとしたら」

「……としたら、どうなる」

「『シリンドレンの息子を神殿長に』」

 口の端を上げて、騎士団長は言った。

「反逆者の息子だろうが」

「父親の命令に従ったが、反逆の意志はなかったと言えば。『陛下』に忠誠を誓い、これからは、ともにシリンドルをもり立てると誓えば」

「んなの、誰が信じるってんだ」

「誰ひとり信じずとも。認めずとも。『陛下』の許しがあれば」

「くそ」

 タイオスは罵った。

「それが目的……じゃないな、やるとしても手段のひとつだ」

「〈青竜の騎士〉とやらの目的など、どうでもいい」

 アンエスカは苦々しく言った。

「どうでもいいだと? てめえな」

「――陛下は」

 騎士団長は両の拳を握った。

「ハルディール様はいったい、どうしていらっしゃるのか」

「……俺も行った、色や音のない、薄気味悪い場所にいる、と想像できる」

 思い出して、彼は寒気をこらえるように自身の両腕を掴んだ。

「あれは、俺でさえ、きつかった。早く救い出してやらなけりゃ」

「どうすればいい」

「神様に祈りな」

「タイオス!」

「仕方ないだろ! 俺が出られたのは実際、言いたかないが、〈峠〉のカミサマのお力なんだよ!」

「神は、陛下をお守り下さるはずだが」

「守ってねえからなあ」

「――タイオス」

「本当のことじゃねえか」

 戦士は唇を歪めた。

「ハル。ルー=フィン。〈峠〉の神は何してる? あいつらはどっちも、奴が助け、力を与えた一族の子孫だろ?」

 指摘すれば、アンエスカは黙った。タイオスは少し――ほんの少しだけ――悪いことを言った気持ちになった。

「まあ、神頼みってのも情けない話だ」

 俺たちでどうにかしなきゃな、と戦士は呟くように言った。

「で、俺はいつまでここに入れられてるんだ」

「出してやるのは簡単だが、私が逃がしたと知られれば面倒だ。だいたい、すぐに気づかれる」

「シリンドルから逃げたことにでもしとけ」

「そんなことが信じてもらえると思うのか?」

「フェルナーは、ありゃガキだ。自分の思いたいように思う。お前が『やはり〈白鷲〉などではない粗暴な戦士で、自己保身だけを計った』とでも誘導してやりゃ、信じるさ」

「そうかもしれん。だが」

 アンエスカはじっとタイオスを見た。

「〈青竜の騎士〉は」

「……信じねえだろうなあ、そりゃあ」

 タイオスは頭をかいた。


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