01 鉄格子
静かだ。
石の床の上にあぐらをかいて、戦士はじっと黙っていた。
淡々と任務を遂行するルー=フィンと戸惑った顔のクインダンに連れられて、長年使われていないかびくさい牢屋に入れられたのは、もう数刻前のことになる。
彼は慌てなかった。
慌ててどうなるものでもない。
牢に入れられたのは数月前の、カル・ディアでフェルナー誘拐容疑をかけられて以来だ。またしてもフェルナー絡みだ、と思うと罵倒の言葉が出てくるが、罵っても呪っても仕方ない。
彼は待った。ただ、待っていた。
キィ、とかすかに扉の開く音がした。
それから、忍び歩くような、余程気をつけていなければ聞こえない程度の足音。
タイオスは待った。その人物が、彼の目に見えるところまでやってくるのを。
「――タイオス」
ついに相手はやってきて、鉄格子の向こうから彼を呼んだ。
「どういうことだ」
「俺だって訊きたいね」
戦士は返した。
「どういうことなんだ? あいつは誰にでも乗り移れるのか? いや、そんなことはないはずだ。何か、こう、きっと、やり方があって……」
「そんなことを尋ねているのではない」
相手は言った。
「やり方など、そんなことはどうでもいい。いったい」
彼は歯ぎしりをした。
「どうしたら、陛下は元に戻るのだ!」
「俺だって知りたいわ!」
タイオスは叫び返した。
「こんなことに、なるなんざ」
「お前が様子を見ると言うから、見ていればこれだ」
「何をう。俺のせいにしようってのか。てめえだって、巧くやるの何のと」
「フェルナーやルー=フィンの様子を窺っていたところで、何にもならなかったではないか!」
叫び声が石壁に反響した。はっとしたように、彼らは口をつぐむ。
「……で」
こほん、とタイオスは咳払いをした。
「ハルは……フェルナーはどうしてる、アンエスカ」
「陛下気取りだ」
シャーリス・アンエスカは渋面を作った。
「『命令だ』と言えば、私が何でも言うことを聞くと思っている」
「だが、そういう形にしたのはお前だ」
タイオスは指摘した。
「悪くない、と思うがね」
「ああ」
アンエスカはうなずいた。
「『この男は馬鹿で何も疑っていない』。そう思わせておけば、近くにいられるからな」
「俺より馬鹿だと思われてるぞ」
「それは非常に、腹立たしいところだ」
騎士団長は鼻を鳴らした。
「もっとも――」
息を吐いて、彼は続けた。
「お前の話がなければ、奇妙だと思いはしても、事情がさっぱり飲み込めなかっただろう。陛下が恋の女神に捕まり……昨夜の『散歩』で女性を知って変わられたのだとでも考えたやもしれん」
「あの素っ頓狂な話をお前が信じるとは、思わなかったがなあ」
「陛下がな。お前が嘘をついているとは思えないと。とにかく、いち早く、ほかの意見が差し挟まれないところでお前の話を聞いてほしいと、そう仰ったのでな」
「それでハルともども、あの深夜のご訪問だった訳だ」
タイオスがシリンドルに到着し、ルー=フィンやフェルナーとひと騒動終えたあと、眠れずにいた彼の部屋を訪れたのが少年王と騎士団長だった。
「あのときは私も、ルー=フィンの話を伝聞で耳にしていただけだったが、それでも有り得ない話だということは容易に理解できる。言っておくが」
彼は肩をすくめた。
「ヨアティアがそんな殊勝な人間ではないと知っているだけで、お前を信じるものではない」
「有難うよ」
タイオスは礼を言った。
「……記憶を」
アンエスカは呟いた。
「乱される。考え難いことだが、そうとでも考えるしかない。ルー=フィンは演技などできる性格ではないからな」
「才能は有り余ってる奴だが、そこには栄養が行かなかったみたいで助かった」
タイオスも呟いた。
「あいつの嘘と真実は、見分けるのが簡単だ。あいつは仮面の下の顔がヨアティアだってことを知ってる。だが恨みを消され、『殊勝なタマだ』と思い込んだ状態で、『恩人の息子』という情に負けた」
そんなところだろうと戦士は言った。
「だがそれだけじゃ説明のつかないこともある。たとえばヨアティアが神妙に、もう一度故郷の土を踏みたいとでも言ったとして、何でフェルナーに乗っ取られてる必要がある? フェルナーとフィレリアがハルに近づくことに、どんな説明を受けてるんだ?」
「私に訊くな」
アンエスカは手を振った。
「――だが、いま、フェルナーが陛下の」
言いたくない、というようにアンエスカは唇を歪めた。
「……そういうことであるのなら、フェルナーだと言っていた『身体』はどうなっていると思う」
「ヨアティア……になってるのかもしれんな」
タイオスは腕組みをした。
「だが、まあ、それなら何というか、ぼろを出してくれるんじゃないかとも思うが」
「仮面の下の顔がヨアティア・シリンドレンだったとして、それが何の解決につながると言うのだ」
「何のって、そりゃお前」
タイオスは列挙しようとして指を一本折ったが、そこでとまってしまった。
「……むしろ、まずい、か」
「その通りだ」
アンエスカはしかめ面のままだった。
「『陛下』があれに許しを与えたとしたら」
「……としたら、どうなる」
「『シリンドレンの息子を神殿長に』」
口の端を上げて、騎士団長は言った。
「反逆者の息子だろうが」
「父親の命令に従ったが、反逆の意志はなかったと言えば。『陛下』に忠誠を誓い、これからは、ともにシリンドルをもり立てると誓えば」
「んなの、誰が信じるってんだ」
「誰ひとり信じずとも。認めずとも。『陛下』の許しがあれば」
「くそ」
タイオスは罵った。
「それが目的……じゃないな、やるとしても手段のひとつだ」
「〈青竜の騎士〉とやらの目的など、どうでもいい」
アンエスカは苦々しく言った。
「どうでもいいだと? てめえな」
「――陛下は」
騎士団長は両の拳を握った。
「ハルディール様はいったい、どうしていらっしゃるのか」
「……俺も行った、色や音のない、薄気味悪い場所にいる、と想像できる」
思い出して、彼は寒気をこらえるように自身の両腕を掴んだ。
「あれは、俺でさえ、きつかった。早く救い出してやらなけりゃ」
「どうすればいい」
「神様に祈りな」
「タイオス!」
「仕方ないだろ! 俺が出られたのは実際、言いたかないが、〈峠〉のカミサマのお力なんだよ!」
「神は、陛下をお守り下さるはずだが」
「守ってねえからなあ」
「――タイオス」
「本当のことじゃねえか」
戦士は唇を歪めた。
「ハル。ルー=フィン。〈峠〉の神は何してる? あいつらはどっちも、奴が助け、力を与えた一族の子孫だろ?」
指摘すれば、アンエスカは黙った。タイオスは少し――ほんの少しだけ――悪いことを言った気持ちになった。
「まあ、神頼みってのも情けない話だ」
俺たちでどうにかしなきゃな、と戦士は呟くように言った。
「で、俺はいつまでここに入れられてるんだ」
「出してやるのは簡単だが、私が逃がしたと知られれば面倒だ。だいたい、すぐに気づかれる」
「シリンドルから逃げたことにでもしとけ」
「そんなことが信じてもらえると思うのか?」
「フェルナーは、ありゃガキだ。自分の思いたいように思う。お前が『やはり〈白鷲〉などではない粗暴な戦士で、自己保身だけを計った』とでも誘導してやりゃ、信じるさ」
「そうかもしれん。だが」
アンエスカはじっとタイオスを見た。
「〈青竜の騎士〉は」
「……信じねえだろうなあ、そりゃあ」
タイオスは頭をかいた。




