13 させるもんですか
首都公演が決まったと言っても、現状では、それは王子の口先だけのことだ。
具体的な日取りは決まっていないし、もしかしたらトーカリオン王子の気が変わるかもしれない。
だが座長は期待を込めて首都アル・フェイドから一日もかからない町のひとつを連絡先兼、練習場所と定め、〈ホルッセ劇団〉はしばらく休演中ということになった。
これは踊り娘たちには、格好の訓練期間となった。
ティエは自分の子供のような若い娘たちと少しずつ信頼関係を結び、全く問題が生じなかった訳でもないけれど、上手に処理して日々を送った。
踊り娘たちのなかには、仕事上の関係と割り切った態度を見せる子もいれば、先生などと呼んで懐いてくる子もいる。これは〈紅鈴館〉ではなかったことで、新鮮な感じがした。
「先生、先生」
その日も稽古が終わると、ホルッセ舞踏隊の最年少たる少女キーチェルが彼女のところにやってきた。
「ご飯行きません? ご飯」
「いいわね。どこに行きたい?」
「昨日、素敵な店を見つけんです。〈円虹〉と言うの」
キーチェルのほかにもふたりの娘が、ティエ「先生」と一緒にご飯を食べると言ってついてきた。彼女は何も、少女たちにご馳走してやる訳ではなかったから――酒の一杯くらいなら出してやることもあったが――財布目当てということもない。娘たちには公正に接していたから、媚びを売ろうというのでもないだろう。おそらく彼女たちは、ティエのような年代の女と話す機会があまりなく、興味があるのだ。踊りに関することはもとより、人生経験を積んできた先輩から何かつかみ取れたらと。
もしかしたらそんなことは考えておらず、ただお喋りをしたいだけであるかもしれなかったが、それならそれでいい。何かをつかみ取るも取り逃がすも、彼女ら次第だ。
もっとも、若い娘が三人もよれば、なかなか神妙な話題になどはならない。〈円虹〉亭にたどり着いた彼女たちはお喋り鳥の化身のようにぴーちくぱーちくと噂話をし、ティエは時折、意見や感想を挟む程度だった。
「リグってさ、格好よくない?」
「ええー、あたしは好みじゃないなー」
「それよりトーンの方がいいよ」
「えっ、あたしはそっちは嫌だ」
等々、劇団の男たちの品定めなどは、天気の話並みに定番だ。
「ティエは? リグとトーンだったらどっちが格好いいと思います?」
「そうねえ」
話を振られて、ティエは考えた。
「顔立ちなら、リグかしらね。舞台映えもするし。トーンは動きがきれいよ。普段から上演中みたいに指先まで気遣ってる」
「そうそう、動きがいいんだよ」
「えー、そこが気持ち悪いんじゃん」
文字通り〈お喋り鳥の議題に選ばれた〉男たちは、さぞかしくしゃみでも連発しているだろう。ティエはこっそり笑った。
「ねえねえ、年越しってどこでするのかな」
ふとキーチェルが話題を換えた。
「ここも悪くないけど、どうせならアル・フェイド行きたいよね」
「行きたい! あたし、行ったことない」
「あたしはあるけど、おっきいだけだよ。カーミスとかとあんまり変わんない感じ」
「えー、ほんとですか?」
またティエに振られた。彼女は肩をすくめる。
「アル・フェイドは知らないわ。カル・ディアなら一、二度訪れたけれど」
「あ、そっか」
「先生ってカル・ディアルの人だっけ」
「え、そうだったんだ? こっちの国まで、ひとりできたの?」
「知人に送ってもらったのよ」
「知人」
「誰」
「あたし、見た! あのときの戦士でしょ」
「あのとき……あー、あの薄汚いおっさん」
「え、あれって先生の知り合いだったんだ。あたしたちの練習のぞいてて、いやらしい親父かと」
散々な言われようである。ティエは笑うしかなかった。
「あの人、どうしたの」
「うちの護衛になればよかったのに」
次にはけなしたことなどなかったように、娘たちはそんなことを言う。
「タイオスには、ほかに仕事があるの」
ティエはラサードや座長たちに言ったときと同じように言った。
「とても大事な仕事が」
ふうん、と彼女らは呟いた。
「でもさ、本当のところ、もうちょっと護衛増やしてほしいと思わない?」
「思う思う。気持ち悪いよねー、あれ」
「……あれ?」
何のことだろうかとティエは口を挟んだ。
「先生も気をつけて。フードかぶった、気味悪い男たちのこと」
「フード」
繰り返して、彼女は思い出していた。ここより西の街で見かけた、灰色フードの男たち。
(あまり心弾まない偶然ね)
彼女はただ、そんなふうに思った。
「そのフードの人たちには、何か悪い話でもあるの?」
「特に具体的なのは、ないですけど」
「気持ち悪いよねってみんな言ってます」
ティエが抱いたのと同じ印象を少女たちも持っているようだった。
「あたし、聞いたんだけど」
ひとりが手を上げる。
「そいつらって一言も口を利かないんだって。あれに比べたら、魔術師とかだって陽気で明るい人たちってことになりそうって話」
「えー、魔術師が陽気だとか、ないでしょ」
「だからあ、比較すればって話よ」
「魔術師と言えばさ、あたし、この前……」
少女たちの話題は「不気味な魔術師」の怪談話めいたものに移った。ティエはそれを聞きながら、奇妙な感じを覚えていた。
(口を利かない)
それは、彼女が聞いた話と同じだった。
(同じ人たちなのかしら。私たちと同じタイミングで東へ)
(……アル・フェイドへ?)
首都へ向かっているのだろうか。そんなふうに考えてみたけれど、判らなかった。判るはずもない。
それから女たちは、そうしたつまらない――当人たちには、面白い――噂話やら、ティエの昔話やら、彼女とタイオスの関係などについてあちらからこちらへと話題を換えては、大いに盛り上がった。
気づけば時刻は暗の刻を半分以上回っており、あまり遅くなってもいけないと、ティエは解散を申し出た。少女たちはそれでもまだ喋り足りなさそうだったが、「先生」の言葉に従って、劇団で取っている宿まで戻ることにする。
「楽しかったなあ。またお食事しましょうね、先生」
「いいわね。あなたたちと話していると、私も若返るみたいだわ」
「先生は充分、若いですよう」
世辞か本音か、少女たちは「ねー」などと同意し合う。
「あたしさ、アル・フェイドで行ってみたいお店があるんだ。〈星花々〉亭って言って、詩人や芸人がたくさんくるところなんだって。小さな舞台があって、演らせてもらえるのよ」
「じゃあ、あたしたちも?」
「うん、ちょっとした踊りを披露してさ、格好いい人見つけちゃうとか、どう?」
「ええー、やだなあ、あたしそんな、一夜の恋みたいの」
「一夜にしなければいいじゃない」
そんな話題に、ティエは年長者として忠告したものかどうか迷った。いまの少女たちは酒も入ったせいか、いつもより笑いやすく、いつもより気軽に何でも話している。真面目な話をしても意味がないかもしれない。
だが、彼女がどうしようか決断する前のことである。
「あ、すみませ……」
通りの角で、キーチェルが誰かとぶつかった。そこで彼女は――いや、ほかの少女たちも、ティエも一瞬、ぎくりと身を固まらせることになる。
それは、灰色のフードを深く深くかぶった、あの男たちのひとりだった。
「ご、ごめんなさ」
焦ってキーチェルは、思い切り頭を下げた。
すると、そうした拍子に酔いが回ったか、少女は足下をふらつかせる。
ティエは手を差し出したが、間に合わなかった。いや、キーチェルが転んでしまったというようなことはない。
彼女の手がティエの手の代わりにとっさに掴んだのは、目の前の男のローブだった。
もちろん、少女は意図しなかった。しかし結果として、その行為は相手のフードをずらし、その顔を街灯の下にあらわにさせることとなる。
「……き」
彼女たちは、息を呑んだ。
「きゃあああああああっ」
叫んだのはキーチェルだったか、ほかの少女たちであったか。
人物はすぐにフードをかぶり直したが、ティエもまた、見た。
青銀色の鱗のようなもので覆われた顔面。
薄闇に光る、まぶたのない金色の瞳。
「……――」
かすれるような、奇妙な甲高い声が、何か言った。
どこか舌足らずな、子供のような。
意味は聞き取れなかった。だが酷く、耳障りな。
「……」
判らない言葉が続いた。その片手がゆるゆると上げられた。ローブの袖がずり落ちる。鱗だらけの腕が鈍く光り、彼女たちを指そうとした。
ぎゅ、と胃が痛くなるような恐怖が、ティエに襲いかかった。
(あれを下ろさせたら)
(駄目!)
ティエは魔術のことなど知らない。だが彼女は、タイオスからたくさんの話を聞いていた。戦士は彼女を楽しませようとしたのか、大きな身振り手振りを交えて戦いの話をすることも多かった。
『魔術師は、印を切ったり、杖を振ったり、手を振り下ろしたりして術を放つ』
『すぐ近くにいれば動きを押さえることもできるが、離れたところから撃たれたら、こっちにはよける術がなくてな』
当たらないことを祈るばかりだ、などと肩をすくめた彼の姿が瞬時に浮かんでは消えた。
この化け物が魔術師なのかは判らない。だが、あの手を振り下ろさせたら、彼女たちは死ぬ。ティエはそのことが感じられた。
「させるもんですか!」
彼女は化け物に飛びかかると、その腕を躊躇なく掴んだ。人間の肌ではない、ざらりとした感触にぞっとしたが、放すことはしなかった。
「みんな、逃げなさい! 早く!」
「せ、先生」
「先生は」
「私のことはいいから! 逃げて!」
「ひ、人を呼んできます」
「町憲兵を」
少女たちは震える声で約束して、ぱっと駆け出した。
「……ニンゲン――」
どこかざらざらとして聞こえる化け物の高い声が、一部だけ意味のある音に聞こえた。ティエがそれにはっとしたとき、彼女の手は振り払われた。
化け物はうなり声のようなものを発した。その指が逃げていく少女たちを指す。少女たちの師は、またしてもその手に挑んだ。
「あんな、可愛い子たちを、死なせて、なるもんですか」
ティエに瞬発力はあるが、いかんせん、腕力は普通の女並みだ。男の、或いは化け物の動きを抑制できたのはわずかな時間であった。それは再び彼女を払った。先ほどよりも強く。まるで正面から全力で突き飛ばされたかのように、ティエは化け物から一、二ラクト離れた石畳に叩きつけられた。
「――」
化け物が、何か言った。怒りがその声に込められているようだった。
金色の瞳が、ティエに向いた。指が、突きつけられる。手が、高々と差し上げられた。
(殺される!)
これが何であるのか、彼女は知らない。だが、思った。あの手が振り下ろされたら、最後だと。
彼女はきつく、目を閉じた。
(――ヴォース!)
窮地にその名を呼ぶ声は、遠く南の国にいる戦士に届くはずもなかった。




