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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第2話 策謀の影 第2章

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12 彫像

「今朝のことだけど。オレ、灰色連中がどうしてるかと思って、カダスの兄貴に聞きに行ったんだ」

 これは何もシィナの「兄」ではなく、「兄貴分」だ。

「そしたら、若旦那が昨日から帰ってないんだって話を聞かされた。爺さんや店の人間は、若旦那が黙ってどっか行っちまうような人じゃないって言ってるけど、若いって言っても爺さんが現役だから『若旦那』って言われてるだけで年齢的には親父なんだし、町憲兵隊は話を聞いてくれないってさ」

「女でもできたんじゃねえの」

 ランザックは適当なことを言った。

「奥サンと子供捨てて、どっかに愛の逃避行とか」

「出鱈目言うなよ」

 シィナは顔をしかめた。

「オレも何度か話したけど、そんな人じゃなさそうだった。まあ、ちょっと話したくらいじゃ人のことなんか判るはずもないけど」

 おとなびて言ってから、でも、と続ける。

「兄貴や奥さんも、本当に心配してるみたいだった。すぐに帰ってくるといいけど」

「そうだね」

 リダールも本心から同意した。

(突然、親しい誰かがいなくなってしまうなんて)

(それはとても衝撃的なことだ)

 彼はフェルナーやサナースのことを思った。

(……突然じゃなくたって、つらいことはつらいけど)

 続けて思ったのはタイオスのことだったが、戦士は何も死んでしまったのではない。コミンの町に帰っただけだ。また会えると思うと同時に、どんなきっかけがあれば会えるだろうかと具体的に考えると機会はないように思えて、寂しくも感じる。

「そんな話だったからさ、灰色野郎どものことはあんまり訊けなくて」

 シィナが、言うなれば「進捗していない」とリダールに伝えようとしたときだった。

 ウー、と低い声がした。彼らは足をとめ、先に立つスエロを見やる。

「……スエロ?」

「どうしたんだ、こいつ」

 彼らが不審な表情を浮かべると、犬はかなりの大声で激しく吠え出した。

「お、おい、スエロっ」

「吠えないんじゃなかったのか!?」

 耳をふさぎながらシィナは叫んだ。

「こんなふうに吠えたことなんかないさ、初めて聞く……」

 ランザックが困惑して額に手を当てたとき、向こうの角から影が現れた。

「え」

「あ」

「何……」

 たったいま噂をした、しようとしていた、それは灰色のフードつきローブを身につけた人物だった。

 スエロが、ますます激しく吠える。犬は明らかに、その人物に向かって吠え立てていた。

「おい、よせよスエロ」

 ランザックの言葉は、スエロに届かない。犬は吠え続け、灰色フードはじっとそれを見ているようだった。

「どう……」

 「どうしよう」「どうしたら」。リダールもシィナも困って、まともな言葉を発することができずにいた。その(かん)に、フードの男は、もうひとり増えた。

 そのふたりもまた、何も言わなかった。だがリダールらと違い、言うことに困っている風情ではなかった。

 どうしてかリダールには感じられた。彼らが、声に出さずに――或いはリダールの耳に聞こえない声で、意志を伝え合っていることが。

「やめるんだ、スエロ!」

 リダールは叫ぶとしゃがみ込むようにし、犬の身体を両腕で抱きかかえた。犬はびくりとし、一瞬だけ吠えるのをやめたが、また低くうなり、吠え出す。

「駄目だ、静かに。スエロ……」

 彼らを怒らせてはならない。リダールはそう感じていた。

(駄目だ)

(このままじゃスエロが)

(――殺される)

 どうしてか、そう思った。確信した、と言ってもよかった。

(スエロだけじゃない。もしかしたら)

(僕たちも)

 逃げるよう、シィナとランザックに言おうか。だが、彼らは従わないかもしれない。リダールの「命令」に力などないのだ。

「うるさい!」

 不意に、スエロの声に負けないほどの大声がした。

「町憲兵隊を呼んで処分させるぞ、クソ犬が!」

 ぱっと見上げれば、三階辺りから男が顔を出してがなり立てていた。

「す、すみません」

 リダールが言えば、男は振り回していた拳をとめた。犬しかいないと思っていたのだろう。

「――行った」

 シィナの呟きが聞こえた。道の先を見やれば、灰色フードは姿を消していた。スエロはまだうなっていたが、力の入っていた身体からそれが抜けていくのは、抱き締めているリダールには明らかだった。

「おっさん!」

 階上の男に向かって、シィナは声を張り上げた。

「あんがと!」

「な、何だって?」

 犬の鳴き声ごときにみっともなく怒声を発して礼を言われるとは何ごとだろう、と男は目をしばたたいていた。それに手を振って、シィナはリダールを見る。

「効いたな」

「え?」

 今度はリダールがまばたきした。

「魔除けだよ、もちろん」

 そう言ってシィナは片目をつむる。リダールはほっとしたのと相まって、声を出して笑った。

「それにしても」

 ランザックは両腕を組んだ。

「スエロは何であいつらに、あんなに吠えたんだろう」

「気味が悪いからさ」

 シィナは肩をすくめた。

「動物の本能で、連中がおかしな奴だって感じ取ったんだ」

 それはあまりにも根拠のない発言であったが、彼らは知らぬことながら、見事なまでに的の中心を射抜いていた。

「さ、もう行こうぜ。こんな路地裏、さっさと抜けて」

 ちらりとシィナは、フードの消えた方角を眺めた。

「向こうに行くってのはちょっと嫌だけど。……怖がってるんじゃないからな!」

 シィナは主張し、リダールとランザックは顔を見合わせたあと、はいはいとうなずいた。

「だいたい、連中はあっちから向こうへ行っただろ」

 ランザックは手を伸ばし、左から右を指した。

「おいらたちは左に行くんだから、問題ないよ」

 そう言って彼は先に立ち、角を曲がった。リダールとシィナも続き、警戒する様子でスエロもついてきた。

「あいたっ」

 リダールが声を出したのは、そこでランザックがとまっていたからだ。彼は友人の背中に激突してしまったのである。

「ご、ごめん」

 どちらかと言えば立ち止まっていた向こうが悪いと言えそうだが、リダールは謝った。

「でも、どうし……」

「何だ、あれ」

 ランザックは呟いた。

「彫像? かな?」

 のぞき込んでシィナが言う。確かにそこには、一体の彫像と思しきものがあった。

「だな」

 こくりとうなずいてランザックは同意した。

「でも、一(リア)、びびったぜ。だって」

 苦笑いのようなものを浮かべて、ランザックは首を振った。

「頭の部分が、ないんだもんな」

 確かにその彫像は、首から上をなくしてしまったかのようだった。

「これから、作るのかな?」

 シィナは適当なことを言いながら、彫像に近づいた。

「ずいぶん、よくでき……あれ」

 感心したように言うシィナの声の調子が、下がった。

「どうしたの?」

 リダールが問う。

「これ……」

 声が、震えているようだった。何だろうとリダールが思う間に、シィナはその場にしゃがみ込む。

「シィナ?」

「それ、頭か?」

 ランザックが気づいた。成程、シィナの足下にあるのは彫像の頭部と見えた。

「これ……」

 繰り返して振り返ったシィナは、引きつったような顔をしていた。

「何だ、どうしたんだよ」

 ちゃんと言えよ、とランザック。かすれた声で、シィナは答えた。

「〈空飛ぶ蛇〉亭の若旦那に……そっくりだ」


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