11 野良だからさ
それから少年たち三人は、屋台で弾け草の果汁や揚げ菓子など買って飲み食いしながら、他愛のない話をした。主にはランザックの独壇場で、貧相な野良犬にスエロと名付けて可愛がっているという話を面白おかしく語った。
「はじめの内はすんごい警戒してたんだけどさ、いまじゃ名前呼ぶとくるんだぜ」
ランザックは嬉しそうだった。
「今度紹介するからな」
リダールは、犬にどうやって紹介されるのだろうかと訝った。
「野良犬なんて、町憲兵隊に見つかったら捕まえられて放り出されちまうぞ」
シィナは顔をしかめた。
「噛みついたり吠えたりする奴じゃないから平気だよ。町憲兵もそんな暇じゃないんだから」
ランザックは気軽に言った。誰かが「捕まえてくれ」と訴え出なければ平気だと言うのだ。
「そんなの、判んないじゃんか」
シィナは顔をしかめた。
「そうだ。リダールのところで世話してもらうってのは?」
安心じゃないか、とシィナ。
「どうだ?」
水を向けられてリダールはまばたきをした。
「ハシンが昔、犬を飼ってたって聞いたことある。頼めば何とかしてくれるかも」
リダールはそう答えたが、ランザックは顔をしかめた。
「スエロはおいらが見つけておいらが世話してんだぞ。何でリダールにやらなきゃならないんだよ」
「そんなこと言ってないだろ」
シィナも似たような表情を見せた。
「オレは心配してんじゃんか」
「まあまあ、ふたりとも」
領主の息子は取りなした。
「僕はスエロを奪ったりしないよ。でもシィナの心配ももっともだとは思う」
公正にリダールは言った。
「綱をつけるとかして、勝手にどこかへ行ったりしないようにしたらどうかな?」
それなら町憲兵隊も勝手に連れて行ったりしないだろう、と彼は提案した。
「無理だよ、そんなの」
ランザックは首を振った。
「母ちゃんに怒られちまう」
「そっか……」
「お前は、スエロが吠えたりしないって言うけどさ、ずっと見てる訳じゃないだろ?」
シィナが言った。
「誰かは、迷惑に思ってるかもしれないぜ」
「何でそんなこと言うんだよ」
ランザックは頬をふくらませた。
「何でそんなこと言うんだよ」
「だから、心配なんだってば」
「じゃあ町憲兵隊に話しておく、というのはどうかな」
またリダールは提案した。
「勝手に連れて行かれちゃったりしないようにさ」
「余計なこと言って、何もしてないのに『これからする可能性もある』とか言われて連れてかれたらどうすんだよ」
「そ、そうか……」
どうにもリダールの発言は、的を射抜かなかった。
「ま、ランザックの言うようなおとなしい犬なら、大丈夫かもしんないけどさ」
「本当におとなしいんだ。そうだ」
ぱちん、と彼は指を弾いた。
「いまから、見にくるか?」
「見てみたいな、僕」
リダールは言った。
「あんまり近くで見たことないんだ、犬なんて」
「そう言や、キルヴン閣下は、猟とかしないもんな」
猟犬などというものはキルヴン邸には存在しなかった。
「でも貴族ってのは普通、よくやるんだろ?」
ランザックは知ったように言った。
「普通かどうかは知らないけど、領地に猟犬を飼ってて、狐狩りとかする人は確かにいるよ」
「お前は行ったことないのか?」
「僕は」
リダールは顔を赤らめた。
「馬にも上手に、乗れないから」
こんなことを言えば、貴族の息子たちの間では馬鹿にされる。「女みたいだ」などと言われて。いや、正確には、リダールに向かっては言われない。話に入れてもらえないからだ。
「急ぎの旅でもしない限り、この辺じゃ必要ないもんな」
だがシィナたちは馬鹿にしなかった。彼らだって乗れないのだから当たり前という訳だろう。もし「乗れる」と言えば「すごい」となるのかもしれない。価値観と言おうか、常識の違いだ。
(フェルナーが生きていたら、きっと僕に乗馬を教えてくれただろうな)
ふと、彼は思った。
(でも……もう)
(もう、そんなことには、ならないだろう)
裏切り者、と彼を罵った友人の声はリダールの耳から離れない。そうじゃないんだと証明するためにもリダールは「方法」を探しているが、フェルナーを救うことができても彼らの間は「元通り」にはならないのではないか。そんなふうに気づいてもいた。
「おい、リダール」
シィナの声が彼の思考を遮る。
「何してんだ? あっちだぜ」
どうやらスエロを見に行くことで話が固まったらしい。ランザックの案内で、彼らは違う街区へと歩いた。
「何しろ、野良だからさ。よくいる場所はあるけど、絶対いるとは限らないんだ」
ランザックは当然のことを言った。
「でもこの時間帯ならたぶん、ここに……あ、いた」
ピィ、とランザックは指笛を吹いた。
「スエロ!」
呼ぶと、灰色っぽい塊が、彼らの方に向かって走ってきた。スエロは体長一ラクト弱ほどの大きさで、灰色地に一部、茶色い毛並みが混じっている犬だった。長めの耳が片方だけ垂れているのが特徴的だ。
「うわ、ずいぶん汚れてんな」
シィナが笑って言った。
「灰でもかぶったみたいになってんじゃん。これってもともと、白いんじゃねえ?」
「かもな」
ランザックも笑った。
「きれいにしてやりたいとは思うけど、水なんかぶっかけたら嫌われちまう」
「ハシンに訊いてみようか」
もしかしたら犬を上手に洗うやり方を知っているかもしれない、とリダール。
「よおし、それじゃ訊いてみようぜ!」
シィナはいつも決断が早かった。
「ハシンってのはあのじっちゃんだろ? 館にいるんだよな。ランザック、スエロ連れていこうぜ」
「大丈夫かな……」
「何だよ、まだリダールがスエロを奪るとか思ってんのか?」
「違うって。洗ったりしたら、こいつ、こなくなっちゃうかもって言ってるんだよ」
せっかく懐いたのにとランザック。
「リダールんちで、オレが水をぶっかけてやるさ。そしたらリダールんとこにこなくなって、オレに近づかなくなるだけだろ? お前は餌とかやってんだろうし、平気だよ」
シィナは決めつけた。
「行くったって、綱なんかつけないし、素直についてくるかどうか判んねえよ」
「そしたら今日は諦めて、ハシンに話だけ聞こうじゃんか」
いつものようにシィナは仕切り、仕方なさそうにランザックは肩をすくめた。
――しかし彼らは、キルヴン邸までスエロを連れて行くことはできなかった。スエロがランザックの言うことを聞かずどこかに走り去ってしまった、と言うのではない。
近道をしようと細い小道を曲がったときも、犬は何かの遊びだとでも思うかのように、ハッハッと舌を出しながら少年たちについてきたり先に行ったりした。
「可愛いな」
シィナが言った。
「何だかお前の気持ちが判るよ、ランザック」
「だろ?」
ランザックは胸を張った。
「こいつを可愛がってるのはおいらだけじゃなくてさ、〈黒犬三匹〉の親父なんかは屋号からして犬好きだから何かと世話してるし、〈空飛ぶ蛇〉の厳つい顔した爺さんもスエロの前でにこにこしてんの見たことあるぜ」
「ああ、そうだ。〈空飛ぶ蛇〉と言えば」
シィナはぽんと手を叩いた。
「あそこの若旦那が行方くらましたって話、知ってるか?」
「ええ?」
「何だそれ。知らないぞ」
リダールはもとより、ランザックも初耳のようだった。




