10 怖くなんかないけど
――ふうん、とランザックは呟いた。
「そう言や、〈横笛〉亭のおやっさんが何か言ってたなあ」
「何かって何」
リダールが尋ねれば、それは前にも聞かれたようなことだった。即ち、フードのついた灰色のローブをまとった客がくるが、一言も口を利かないので不気味だったという話だ。
「何なんだ? そいつら」
「判らないから不気味で、気になるんだよ」
リダールは答えた。ふうん、とランザックはまた言った。
「おいらは別に、ほっときゃいいと思うけどなあ。無言ったって金は払うんだし、酔って暴れる訳でもないんだろ?」
「たぶん」
「なら、いいじゃん」
放っておけば、とランザックは繰り返した。リダールはどうかなと言った。
「確かに『不気味だから』はあまり理由にならないよ。感性は人それぞれだし、何もしてないのに捕らえたりすることもできない」
でも、と領主の息子は言う。
「『不気味だ』という理由であれ、街の人が怖がっているなら、どういう人たちなのかとか、何のために滞在してるのかとか、確認しておくことも必要だと思うんだ」
またしても彼は真剣に述べたが、友人は特に感心しなかった。
「怖がる? 誰が怖がってなんかいるんだよ」
「それは……」
リダールは言い淀んだ。
「ああ」
ランザックはにやりとする。
「そうか。そこでシィナか」
ずばり、ランザックは指摘した。
「あいつ、でかい口を叩く割には、びびりだからな」
「そんなことないよ」
彼は友人をかばった。
「怖いなら、関わらないように引っ込んでいればいいじゃないか? 調べようだなんてシィナは勇気ある」
「そりゃお前を引っ張り出す口実だよ」
ランザックは肩をすくめた。
「カル・ディアから戻ってきたのに〈小屋〉に顔を出さないお前を気にしてさ、おいらの誕辰祝いにかこつけて呼び出したろ。あとは何やかやとふたりで遊んでるのかと思ったけど、変な野郎どもを調べようなんてのはやっぱり」
口実だとランザックはきっぱりと言った。リダールにはよく判らなかった。
「どうして?」
「だからさ」
友人は少し考えるように間を置いた。
「お前がシィナを気にするみたいに、シィナも気にしてんだ」
「そう、か」
嬉しいなとリダールは笑んだ。「顔を見ないから」と心配してくれる友人がいた。彼がいなくても誰も気にとめないと思っていたのに。
「確か、この辺だって聞いた」
雑然とした一角にくると、ランザックは腰に両手を当てた。
「何つったかな、確か、何とかいう麺麭屋で働いてるとか」
「『風見竜』」
「そうそう、そんなんだ」
うなずくとランザックは通りかかった人物に声をかけ、店の場所を尋ねた。二街区離れたところだと教わり、彼らはそのまま足を向ける。
「いらっしゃ……あれ、ランザック」
友人たちを出迎えたのは、当のシィナだった。
「――リダール」
少し、顔がこわばったようだった。リダールは気づかないふりで笑いかける。
「やあ、シィナ」
「……ああ」
「ヴィロン神官の話をしにきたんだ。それから」
彼は大事に隠しに入れていた、小さな玉を取り出す。
「これ、シィナに」
「オレに……?」
シィナは目を見開いた。
「ほら、約束の。魔除け」
リダールはにこっとした。
「ラシャ神官が僕の目の前で祈ってくださったから、効果は絶大だと思う」
はい、と彼は簡素な紐を穴に通した、小さな碧玉を差し出す。シィナは少し黙ってそれを見てから、むっとした顔を見せた。
「オレは、怖がってなんかいないって言ったろ!」
「うん、僕が怖いんだよ」
リダールはまた言った。
「僕も持ってる。ほら」
彼はもうひとつの魔除け玉を見せた。
「あ、もしランザックも欲しかったらこれあげるけど」
「要らねえよ」
ひらひらと手を振って、ランザック。リダールは少しがっかりした。
「要らないか」
「……仕方ないな」
シィナが呟いた。
「オレは。別に。怖くなんかないけど。せっかくリダールがもらってきたんだから、受け取ってやる」
仕方ないという風情でシィナは魔除けを受け取った。リダールとランザックは顔を見合わせてこっそり笑った。
それからリダールは、ヴィロンの話をした。と言っても、ランザックはフェルナーの話を知らないから「ちょっと相談があった」と状況を曖昧にした。隠す意図はないが、また同じ話をするとシィナが機嫌を損ねるのではないかと思ったのだ。ランザックはどう思ったにせよ、「詳細を聞かなくてもだいたい判る」辺りで満足しているようだった。
「ヴィロン殿は素っ気ないくらいの人で、戸惑うところもあったけど、話はちゃんと聞いてくれたし、もしかしたら手がかりをくれるかもしれない」
期待するようにリダールは言った。
リダールとしては、本当にそう思っていた。にこにこしている人ばかりがいい人とは限らない。ヴィロンは、ほかの人当たりのいい神官と同じように、彼の話を少しも馬鹿にしなかったし――。
(〈峠〉の神様にはちょっと厳しかったけど)
(神官長というお立場にあるんだから、当然かもしれないし)
八大神殿の主神以外に「ご利益がある」などとは言えないのでは、と少年は推測した。
「こう言ってくれたんだ。気になることがあるから調べてきてくれるって」
正確にはヴィロンからそう聞いたのではなく、ラシャ経由だったのだが、ヴィロンがそう言ったことは間違いなさそうだ。
「『何か判れば知らせる』なんていう言葉より、何て言うか」
彼は言葉を探した。
「そう、前向きな感じがして」
嬉しかったのだとリダールは言った。シィナは胡乱そうに聞いていた。
「ふうん」
「あの、シィナ?」
シィナは「そりゃよかったな」とも「やっぱりお前は騙されてる」とも言わなかった。ただ「ふうん」と。
「おい、シィナ。何をくっちゃべってる?」
奥からのっそっと出てきた親父は、店の主人らしかった。
「ご、ごめん、おっさん。オレ、さぼってる訳じゃなくて」
少し慌ててシィナは言った。
「おいらたちが押しかけてきたんです、すんません!」
素早くランザックが謝った。リダールも倣う。主人は彼ら三人を代わる代わる眺めて、それからにやっとした。
「何だ、友だちか。珍しいこともあるもんだ。今日はもういいぞ、上がれ」
「で、でも」
「お前はいっつも、きちんとやってるからな。たまには半日くらい休みをやってもいいさ」
遊びに行ってこい、と男は手を振る。
「あ、あんがと、おっさん」
戸惑ったようにシィナは礼を言った。
「ただし、今日だけだぞ。何度もあるようなら、給料からさっ引くからな」
雇い主らしく麺麭屋は言い、もう一度「行け」と手を振った。




