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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第2話 策謀の影 第2章

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07 やばい話か

 奴らは、人間ではない。

 普段であれば、そんな台詞を聞いたら、イリエードは笑い飛ばしただろう。物語師にでもなったらどうだ、などと言って。

 だがあの魔術師を前に、笑ったりはできなかった。それは、魔術師が怖ろしいということではない。正直に言えばいくらかは怖れもあるが、決してそれだけではない。

 しっくりきたのだ。きてしまったのだ。

 あの灰色ローブの連中は、人間ではない。

 覚えていた違和感の正体を解説してもらったかのようで、戦士は得心してしまったのだ。

『街道に出没する、知性に乏しい獣のような魔物だけが、魔物ではない』

 真に怖ろしきは、人間並み、或いはそれ以上(・・・・)の知能を持つ魔族たち。人間に似た外見を持ち、時には正体を隠したまま、素知らぬ顔で街町に生きていると。

 言葉だけを取れば、やはりそれは物語としか聞こえなかった。「お話」ではよくあることだ。人の姿を取って人を騙す化け狐(アナローダ)の話は、子供の寝物語として定番と言える。殊、美女の姿で男を惑わす妖怪狐は金髪狐(メリナンローヅ)などとも呼ばれた。

 ほかにも定番で言えば、吸血鬼(ウェリエル)。美しい男女の姿で若者を籠絡し、生き血を吸う。

 定番だが、お話だ。少なくともイリエードは、お目にかかったことがない。

 しかし――。

「おい、何だ、もう帰るのか」

 店主モウルが彼に声をかけた。

「ああ、そう言や、肝心の親爺さんに話してなかったな」

 戦士はしまったと額を叩いた。

「俺ぁしばらく、こっちの仕事を半分にさせてもらうよ」

「何だって?」

「世界を救う使命があるんだ」

 イリエードは真顔で冗談を言ってみせた。もっとも、イズランによればそれは事実だ。

「そんな片手間で世界が救えるのか」

 親爺は少し笑った。

「代行と連絡さえ取っておいてもらえば、俺はかまわんよ。もとより、きれいに引退できない可哀相な戦士馬鹿のための、護衛業だ」

「言ってくれる」

 剣を手放せないままで「引退」など片腹痛いと、そう言われた訳である。

「だが、何の仕事だ? 後ろ暗いもんじゃないだろうな」

「その手のは上がりはいいが、その後のお尋ね者人生を案じなきゃならなかったりして、割に合わんと思うのよ」

 イリエードは肩をすくめた。

「至極真っ当……とは言えんが、少なくとも俺の利害とは一致したんでね」

「世界の救済じゃ、そうだろうな」

 親爺はにやにやした。

「――おやっさんには言っとくが」

 彼は声を低くした。

「例の灰色連中を気にかけてるお偉いさんがいるんだ」

 イリエードはイズランの正体を聞かされていなかったが、何か地位身分のある人間ではないかとは踏んでいた。もっとも、彼が考えているのは「魔術師協会のなかのお偉いさん」というところだったが。

「何だと?」

 店の親爺も、茶化すような笑いを納めた。

「やばい話か」

「と言うと?」

「命がやばくなるような話か、と訊いてる」

「有り得る」

 簡単に戦士は肯定した。

「だがまあ、俺たちにとっては珍しい話じゃない」

 気軽に肩をすくめて、彼は手を振った。

「じゃな、おやっさん。生きてたらまた会おう」

「待て、イリエード」

 モウルは彼を呼び止めた。

「俺も行く」

「……は?」

「世界のためと聞いては、黙ってられん」

 ふん、と彼は鼻を鳴らした。

「……おやっさん。でもなあ」

「何だ。文句があるのか」

「……足手まとい」

 ぼそりとイリエードは呟いた。モウルは顔をしかめる。

「何だと。お前、誰のおかげで飯が食えていると」

「それは、あんたのおかげさ。だから、死なれちゃ困るんだよ」

「俺だって若い頃はな」

「判ってる判ってる、あんたの武勇伝は何度も聞かされてる」

 また繰り返されてはたまらないと、イリエードは手を振った。

「どうしてもと言うなら、一緒にきてもらってもいい、だが」

 戦士は顔をしかめた。

「命の保証はできない」

 これはイズランの台詞だが、何も真似をしたのではない。ここしばらく灰色族――「灰色のローブをかぶった魔族」をイリエードはそう呼称することにしていた――を見張っての、実感だ。

 人間ではない。

 一言も喋らないのは無言の行ではない。彼らは彼らで、何か話している。

 イリエードはそれを聞いた訳ではない。灰色族の言葉は彼の耳が拾いきれないほど小さい、または高い、それとも低いからだ。

 だが明らかに、仲間同士で意志の疎通を図っている。

 連携を取って、このリゼンのあちこちに、隠れている。

 何のためか。それは判らない。リゼンに、物語のような宝物などはない――少なくとも聞いたことはない――し、だいたい、宝探しに二十人も三十人も集めたら分け前が減ってしまう。「お宝」という一攫千金を夢見る者は、確実性を求めて慎重に行動したりしないものだと、少なくともイリエードはそう考えた。

「ふん、嫌な感じのする話だ」

 仕方なくイリエードは大筋をモウルに語り、親爺は感想を述べた。

「しかし、こそっと人数を集めるってぇと」

 モウルは両腕を組んだ。

「喧嘩……もしくは、戦」

 さらりと親爺は言って、それからにやりとした。

「戦か! 血湧き肉躍るな!」

「俺ぁ飽き飽きだよ」

 引退戦士は手を振った。

「あぁ? 知ったようなことを言いおって。お前はいったい、どこの戦場に出たって言うんだ」

「そりゃ、国と国の戦って意味なら経験はないさ。この近辺の王様は、幸か不幸か賢くていらっしゃるからな」

 力任せの侵攻などという事例は、ここ三十年、近隣で起きていなかった。

「偉そうに言うが、あんたにはあるとでも?」

 イリエードは思わず尋ねた。

「俺はな、ヴァイアが魔物に攻められたとき、その場にいたのさ」

 それがモウルの返答だった。

「何だって? ヴァイア?」

「ラスカルトだ。〈中心都市〉だよ。聞いたことないか」

「あー、あれってまじなのか? 詩人のでっち上げじゃ」

 ここマールギアヌの南に山脈を挟んで隣接するラスカルト地方は、他大陸ほど遠い存在ではないものの、海路で行き来する西南の人間以外には「山脈の向こうにあるようだ」という程度の印象である。

 だがイリエードはラスカルトや都市ヴァイアの存在を疑うのではない。魔物の襲来という「物語」を物語だと思っていた、ということだ。

「まじなんだよ」

 モウルはしかめ面をした。

「もう四十年は前か。となるとあれだ、その騒動で行方不明になった王子の帰還からも二十年以上」

 ううむ、と彼は両腕を組んだ。

「俺も年を取るはずだ」

「あんた、ラスカルトの出身だったのか」

 イリエードは少し驚いた。

「まあな。だが、俺は何も俺の経歴を語ろうってんじゃなく、俺は戦場を知っているということと」

 まるで自慢するようにモウルは顎を反らした。

「――魔物が徒党組んで襲いかかってくるなんていう、とんでもねえ出来事が事実としてあるんだと知ってるってことだ」

「魔物が、徒党組んで」

 イリエードは繰り返した。笑いたかったが笑えなかった。モウルはときどき大げさな言い方もするが虚言癖はないし、イリエードがいちばん言いづらかった「奴らは魔物」を片眉を上げただけで受け入れたのは、彼自身言った通り、知っているからなのだ。

「もしカル・ディア襲撃なんて計画があるなら、黙って見てる訳にはいかんだろう」

 モウルは鼻を鳴らした。

「行くぞ、イリエード」

「はいはい」

 仕方なく戦士は了承した。正義感の強い親爺だが、若者のように血の気が多いということはなく、年齢に相応しいだけの分別は持っている。イリエードが危ないから引っ込めと言えば引っ込んでくれるはずだと信じ、戦士は彼を伴った。勝手に行動されるよりはまし、と判断したこともある。

 だいたい、このモウルもかつては街道を旅した戦士であるのだ。

 ただ、妻を得た彼はイリエードの年齢より少し若いくらいの頃、その道から離れた。彼が剣を手放して久しい。もう二十年近くなるはずだ。

 生憎なことに、彼を血生臭い世界から引き離した女は、わずか一年で世を去ったと言う。だがモウルは妻との約束を守り、命の切り売りはしないことにしたのだとか。

 そんなこともあってモウルの店には引退戦士が雇われる。彼はどうやら、自分が進まなかった道を進み切った彼らをねぎらいたいとでも思っているようだ。

 イリエードはそんなモウルが好きだが、彼の実力についてはよく知らない。実際に腕を見たことはなく、武勇伝に尾ひれをつけるのはよくあることだ。〈戦士の多弁と魔術師の寡黙はそれぞれ差し引いて測れ〉などという言葉がある。派手な活躍は大げさであり、神秘的な沈黙は無知ゆえかもしれないという辺りだ。

「俺が把握した連中の居場所だが」

 イリエードはリゼンの酒場軒宿屋の名を三軒ほど口にした。モウルは顔をしかめた。

「化け物が宿で寝泊まりか?」

「まあ、化け物だって寝るだろうよ」

 戦士は適当なことを言った。

「何も睡眠を取るかどうかを尋ねた訳じゃない」

 モウルは首を振った。

「金を払って宿屋に泊まるなんざ、上等なことする化け物もいるもんだと」

「上等、ねえ」

 イリエードは両腕を組んだ。

「もっとも、眠るためとは限らないだろうな」

「たとえば?」

「たとえば」

 イリエードは指を一本立てた。

「宿の部屋にこもっていれば、人目につかない」

「成程」

 モウルはうなずいた。


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