05 心当たることも
「ヴィロン殿は、どちらからいらしたんですか?」
「コズディム神殿だが」
「そうじゃなくて。どこの街からいらしたんですかっていうことです」
「ラグールだ」
「ずいぶん、北の方ですね」
キルヴンの町は、カル・ディアルの中部に位置する。
「そんなところからひとっ飛びなんだ。魔術みたいですね」
能天気に言ったリダールは、じろりと睨まれた。少年は目をしばたたき、そう言えば神官と魔術師というのはあまり仲がよくないのだったと思い出した。
「じゃ、じゃあ、南の端っこまでも行けるんですね!」
彼は無理に話題を続けた。
「シリンドルに近いところまで、行けるのかな」
「――シリンドル?」
「あ、ご存知ないですか。カル・ディアルの南端に隣接してて……」
「知っている」
「そ、そうですよね、ご存知ですよね」
またしても慌ててリダールは言い繕った。カル・ディアでもキルヴンでもシリンドルのことを知る者は滅多にいないものだから、ついヴィロンも知らないのではと思ってしまった。だが神官というのは物知りなのだ。失礼なことを言ってしまった、とリダールは反省した。
「……つまらぬ」
「え?」
「つまらぬ土地神を崇拝している小国と聞いている」
「そんな」
リダールは口を開けた。
「そんなこと、ないです。シリンドルの神様は、ええと」
立派だとか素晴らしいだとか言うのも妙だ。彼は言葉を探した。
「ご利益が、あります!」
リダールはようやく見つけた言葉を口にしたが、それだってとても適切とは言えなかった。殊、相手は八大神殿の神官である。彼らの枠内に収まらない神を賞賛されて、にこにことうなずくこともないだろう。
「利益」
案の定と言うのか、ヴィロンはにこりともせずに――この神官は一度だって微笑すら見せていないが――繰り返した。
「あの、ええと」
「シリンドルの神は、シリンドル人だけが崇めるという話は誤りか。小国のなかでちまちまとやっているならともかく、国境を越えてくるようでは見過ごせんな」
「い、いえ、僕は何も、〈峠〉の神様を信仰してる訳じゃ」
目をしばたたいて、リダールは誤解を正そうとした。
「ただ、父の親友と、僕の」
少しだけ考えて、リダールは笑みを浮かべた。
「恩人が、シリンドルの神様に選ばれた人物なんです」
〈シリンディンの白鷲〉と言います、などと彼は、あまり言っても意味のないことを言った。
「その、だから、僕」
彼の説明はほとんど説明になっておらず、リダール自身もそうと気づいて、台詞は中途半端に終わった。
「……あの」
「ラシャめ。何が素朴な信仰だ。調査不足にも程がある」
「え?」
「いや」
何でもないとばかりにヴィロンは手を振った。
「シリンドルの話は、いずれ聞こう。だがいまは、友人の話ではなかったのか」
「は、はい」
もちろんだ。リダールはそのために勉強もしているし、ヴィロンにもきてもらっている。
「何か、お判りになることが……」
「魂送りの儀、というものがある」
神官はぼそぼそと呟くように言った。
「ラファランに導かれなかった魂が改めて冥界に行けるよう、祈りを捧げる日だ」
「そのお話は、少し聞きました。その……」
リダールはもしやと思った。
「す、救われるんですか、その……彷徨っている魂は、みんな」
「そうなるように、祈る」
「ええと」
少年は躊躇ったが、追及することにした。
「そうなる、んですか」
「祈り次第」
神官は答えになるようなならないようなことを言った。
「だがこの儀では、その魂を救えるとは思えない。それがラファランに連れられなかった理由は、ほかなる力に捕らえられたためということだからな」
ヴィロンは首を振った。
「祈りの言葉は、届くまい」
「そう、ですか」
リダールはがっかりしたが、落胆の表情を面に出すまいとした。
「『墨色の王国』」
それから、ヴィロンは続けた。リダールは聞き取りづらくて、耳を澄ませた。
「心当たることもある」
「ほ、本当ですか!?」
リダールは目を丸くした。じろり、と睨むような視線がやってくる。疑うのか、というところだろう。リダールは謝罪の仕草をした。
「狭間の世界、とも言われる場所だ。簡単に言うなら、この世とあの世の時層が確定する前の中間層。光と闇が同時に存在する世界」
「はあ」
少年は曖昧な相槌を打った。いまのは「簡単」なのだろうか。
「実在は証明されていない。冥界へ行った人間を引き戻すことができないのと同じで、狭間に落ちた者を拾い上げる術などないのだからな」
「……それじゃ」
リダールは驚いた。
「冥界の存在も、証明されてないことになっちゃいませんか」
これまでで最大級の睨みがきた。リダールは父に怒られたときよりも首をすくめた。
「ご、ごめんなさい! コズディムの神官殿に、僕」
「されていない」
コズディム神官は言った。
「冥界も。神界も。となれば獄界も」
怖ろしく忌まわしい場所の名を口にして、神官は厄除けの印ひとつ切らなかった。慌ててリダールは、自分とヴィロンの分とばかりに、それを二度続けて切った。
「神の存在も、証明などされていない。伝わる神話は詩人の妄想であり、具現する奇跡はただの偶然、そうした考えもある」
「で、でも」
少年は困った。
「ヴィロン殿は、神官じゃないですか。そ、それに神様は、いますよ。僕、見たん……」
「見た?」
「あ、いえ、神様じゃなくてそのお使いですけど」
彼の脳裏に蘇ったのは、満月の光のもとに舞い降りた、黒い髪をした小さな子供。
タイオスやイズランに説明を受けなくても判った。あれが〈シリンディンの白鷲〉を導くために顕現した、神秘的な何かであることくらい。
ヴィロンはまるでリダールが自分が神だとでも言ったかのような表情を見せていた。成程、「顔に書いてある」とはこういうのを言うのだな、とリダールは悟った。ヴィロンは無言で雄弁に語っている。即ち、「この子供は頭がおかしい」。




