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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第1話 灰色の影 第4章

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03 とても嬉しいです

 最もタイオスの気にかかっていたのはルー=フィンのことだが、ルー=フィンにだけ会ってハルディールに会わない訳にもいくまい。

 と言っても無論、ハルディールに会いたくないのではない。

 ただ、あの少年王子、ではない、少年王が、まっすぐな瞳をして彼を〈シリンディンの白鷲〉――シリンドル国の英雄であると称える具合を思い出すとどうにもくすぐったい、というのがひとつ。

 もうひとつは、やはり「平時に〈白鷲〉は必要ない」という思い。

 ハルディールは彼を友人とし、いつでもきてくれと手紙を寄越したが、〈白鷲〉は必要なときにだけ現れるものであり、そんな「必要」はない方がいいというのがタイオスの考えだった。

 見知らぬ騎士は彼の名乗りに驚き、〈白鷲〉ならば護符を持っているはずだと言った。もちろん彼は大理石でできた菱形の護符を持っていたので、ユーソア・ジュゼと名乗る三十前の青年にそれを示した。

 薄暗がりのなかでユーソアは少し黙って、じっと護符を見つめ、もう一度タイオスを上から下までじっくりと眺めた。

「お前が……〈シリンディンの白鷲〉だと?」

「幸か不幸か」

 タイオスは肩をすくめた。

「何だ? ただのおっさん戦士で落胆でもしたのか? 文句なら神様に言え」

 彼はユーソアを指差し、それから〈峠〉の方を指差した。

「だいたい、俺のことは散々、クソアンエスカが貶めてるだろう。幻想を抱くような余地はなかったんじゃないかと思うがね」

「団長はあまり〈白鷲〉のことを語らない」

 ユーソアは唇を歪めた。

「成程ね」

 タイオスは納得した。口にしたくもない、というところだろう。

「だが、意外でもあるな。お前さん、俺を見たことなかったのか。いや何も、俺は自分が有名だと思ってる訳じゃないんだが」

 あの騒動のあとは、国中揃って彼を称えたものだ。やがて騎士の座に就く青年が、それに全く興味を持たなかったとも思えない。

「俺は、そのとき、国外にいたんだ」

 ユーソアは答えた。

「成程」

 タイオスはまた言った。ならば知らずとも当然。

「それで、俺は通っていいのかな」

「ああ」

 騎士は道を開けた。

「騙りであれば、すぐに知れる」

「まあ、そうだろうな」

 〈白鷲〉ヴォース・タイオスの顔はよく知られている。詐欺も働けまい。ましてや王家の館に向かうのであれば、騎士の誰もが「タイオス」を知るのだ。

「んじゃ、お役目ご苦労さん。たぶん、またあとで会うだろう」

「どうだろうな」

 ユーソアは肩をすくめた。

「何だ? やっぱり俺を疑ってるのか?」

 確かに、ひと目で信頼されるような風貌ではない。旅の間に着ているものは汚れたし、ここ数日は髭も剃っていない。ひとりだからまだいいようなものの、もし何人か連れていたら山賊と断定されそうである。

「必ずしもそういうことじゃない」

 ユーソアの返事はそれだった。

「ああん?」

「俺の……いや」

 何でもないと騎士は手を振った。自分の立場が悪いのだ、などとはあまり話したいことではない。

「何だか知らんが、いくらかは疑ってるみたいだな」

 「必ずしもそうじゃない」、即ち、「そういう部分もある」。タイオスはそこにだけ触れた。

「俺は〈白鷲〉を知らない」

 ユーソアはもっともな答えを寄越した。

「だが、少しでもシリンドルと〈白鷲〉を知るのであれば、そんな詐欺を働こうとするとも思えない。だから行っていいと言ってる」

「そうか」

 タイオスは手を振った。

「またあとでな」

 彼は再び言ったが、ユーソアは答えず、ただ彼を見送った。

(新しい騎士、か)

 それを背後に、タイオスはシリンドルの町へと足を踏み入れた。

(まあ、悪い奴じゃなさそうだ)

(――なかなか、隙もなかったしな)

 もしやってきたのが本当に山賊か何かでも、あの青年なら蹴散らしてしまうだろうと思えた。

(騎士どもは、どいつもこいつも、こぞって優秀だ)

(もっとも、均衡の悪さは気にかかる)

(この国の連中は何でもかんでも騎士たちに頼ったりしないと、あの戦いを思えばそれは判ってるんだが)

 剣など持ったこともない町びとたちが立ち上がり、武装した僧兵に立ち向かおうとしたことがあった。タイオスやクインダンたちはそれを諫めたが、彼らは技能ある者に頼りきりではない。

(だが、素人もいいところだ。均衡が悪い。騎士団で少数精鋭もいいが、もうちょっと国中の若い男どもを鍛えた方が……)

 そんな必要のないまま、シリンドルはやってきた。そうしていまのシリンドルがある。だがいつまでも、何もないままとは限らない。タイオスはふっとそんなことを考えたが、首を振った。

(俺には、関係のないことだ)


 ハルディール・イアス・シリンドル国王は、満面の笑みを浮かべた。

 それは王となって以来、彼が滅多に見せることのなかった無邪気な――まだその年齢に残りがちなあどけなさを伴う、子供のような笑みだった。

「タイオス! きれくれたんですね。ああ、〈峠〉の神に感謝を」

「きただけで、大げさだ」

 ヴォース・タイオスは苦笑した。

「何て突然なんだ。連絡のひとつも、くれたらよかったですのに」

「すまんすまん。急に思いついたようなものなんでな」

 急に思いついたと言うより、急に知らされたというところだが、それをきっかけに思い立ったことは間違いない。

「とても嬉しいです、タイオス。ゆっくりできるんですよね?」

「まあ、特に急ぎの予定はないな」

 途上、運よく方角の合った隊商の護衛などでそこそこ稼いできた。一旬くらいなら何もしなくてもいい。

「数月くらいは大丈夫ですか?」

 予想を超えた期間の提示に戦士は苦笑した。

「そこまで大尽じゃない」

「は?」

「いや、一旬程度なら、と」

「たったの」

 ハルディールはがっかりした顔を見せたが、切り替えるように首を振った。

「部屋を用意させます。ああ、そうだ、お疲れでしょうに、気づかなくてすみません。まずは風呂と着替えと、食事も」

「その辺りは有難く受けるが」

 戦士の顔から苦笑が消えなかったのは、奇妙なことを考えていたせいだ。

 カル・ディアで出会った少年、リダール・キルヴン。ハルディールより三つばかり年上であるはずのリダールは、しかし子供じみた言動を見せ、タイオスに何度か「ハルディールの方が年上みたいだ」と思わせた。

 だが友人との哀しい別離を境に、リダールはとめていた足を動かしはじめ、タイオスは少しだけ、リダールとハルディールを重ねた。

 ところが、こうして再会したハルディールときたら、初めて会った頃のリダールのようにはしゃいでいる。

 余程、嬉しいのか。その態度はタイオス自身をも喜ばせたし、微笑ましくもあるのだが、王陛下としてどうなのかとも少し危惧した。

 何もこうしたところを国民に見せる訳ではないし、普段の重圧から解放された笑顔と取ることもできるのだが、タイオスとしては、先ほどから気にかかって仕方のないことがあった。

 いや、気に入らなくて仕方ない、であろうか。

「何か文句があるなら、そう刺々しい視線ばっか送らんで、何とか言ったらどうなんだ」

「文句だと」

 シャーリス・アンエスカは鼻を鳴らした。

「そのようなものはない」

「へえ」

 タイオスは片眉を上げた。

「そいつぁ、意外……」

「具体的な文句などはない。ただ私は陛下と違い、またお前の顔を見たいとは思っていなかっただけだ」

「じゃあ見るな」

 ぴしゃりとタイオスは言った。

「うすらハゲの顔なんざ、俺だって見たくもなかったさ」

 アンエスカは禿頭ではないが、タイオスはずっと、その薄い頭髪をハゲと罵っていた。言われた方はいちいちそれに抗議しなかったものの、心楽しい台詞でないことだけは確かなようで、更に顔をしかめた。


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