01 雇ったらいかんか?
おい、と戦士は声をかけられた。
「上がりか? イリエード」
「ああ」
早番の彼が仕事時間を終えて〈縞々鼠の楽しい踊り〉亭を出て行こうとしたときだった。料理人のひとりが、彼を探していたらしく、ちょっと待てと言ってきた。
「向こうに客がきてる」
「客?」
「あっちだ。ゴミ出し場の方。イリエードを呼んでくれって言うからよ」
伝えたぜ、と言って料理人は戻って行った。
「おいおい」
それが誰なのか何の話なのか、何の手がかりも与えられないまま、戦士は目をしばたたいた。
だが、そう言われたからには無視もできない。イリエードは普段使用する裏口とは違うもうひとつの扉のところへ行くと、路地裏に向かってそれを開けた。
「おい、誰か俺を呼んだって?」
「やあ、戦士の旦那」
にっと笑って片手を上げたのは、例の客だった。
「何だ、あんたか。俺に用事か?」
「ちょっと頼まれてほしいことがあるんだ」
男は帽子の位置を直しながら言った。戦士は少し警戒する。
「仕事だってんなら、話は『きちんと』したいね」
「もちろん、ただとは言わない」
客、それとも依頼人はにやりとした。
「でもあんたも、興味あるだろ。例のフードの連中さ」
「はあ? 何か勘違いしてるな」
イリエードは手を振った。
「俺は興味なんか持ってない。うちの店に悪さされなけりゃかまわんと、そういうことを言わなかったかな」
「フード連中はな、どうやら」
と男は戦士の言葉を無視して説明をはじめた。
「あっちからやってきたようだ、というのは判った」
「あっちってのは」
イリエードは男の指した方角を見た。
「北か。……まさか、ウラーズ国から?」
視線を戻して、彼は尋ねた。男はこくりとうなずいた。
「おいおい、まじかよ」
戦士は顔をしかめた。
「まさか……」
「いや、ウラーズの兵士とかって訳じゃない。北のお隣さんがカル・ディアルに戦を仕掛けようってな話じゃ、なさそうだ」
イリエードの危惧を聞き取って、男は手を振った。
「たまたま、そっちからきてるってだけさ」
「何故、そう言い切れる?」
「そりゃあんた、首都の動向を見てりゃそれくらい」
「何だって?」
「いやいや」
何でもないと男はまた手を振る。
「ウラーズが国として何か企んでる訳じゃないってのは、確かな筋からの情報さ」
「確かな筋からの情報、ね」
繰り返してイリエードは胡乱そうな顔をした。
「あんた、何者なんだ? 情報屋なのか?」
情報を金で売り買いする連中。それはくだらない噂話のこともあれば、商品の流通に関することであったり街道の危険度についてであったり、はたまた大きく、諸国の動向であったりもする。
口先商売とも取られ、決して尊敬される職種ではないが、役に立つことは役に立つ。イリエードも依頼を受けて金持ちの護衛などをやっていたときには、問題のありそうな雇い主の情報を買って、すんでのところで事件に巻き込まれずに逃れたこともある。
だから彼はそうした者たちを不要に貶めはしないが、胡乱であることは間違いない。何しろ、「情報」の真偽は結局、買った側で見極めなければならないのだ。
「似たようなもんさ」
男は特に否定しなかった。
「情報屋が戦士を雇う?」
「雇ったらいかんか?」
「いかんとは言わんが」
イリエードは両腕を組んだ。
「少し、考えていたんだ。あんた……」
彼はじろじろと相手を見た。
「以前、どこかで会っていないか」
「うん?」
男は目をしばたたいた。
「どうだったかねえ?」
「店で話してたときは、何も思い出さなかったんだが」
戦士は記憶を呼び起こそうとする。
「こうして……何かほのめかすように言うあんたの口調に、覚えがあるような」
「どうだったかねえ」
男は繰り返した。
「もしかしたら俺の方でも、あんたの顔に覚えがあって、あんたに声をかけたのかねえ?」
「訊くなよ」
イリエードは顔をしかめた。
(この言いよう、やっぱりどっかで会ってんだな)
(思い出せん……ええい、俺も年を取ったもんだ)
中年戦士は自身を罵倒した。
(だが、少なくともこいつは俺を「使える」と判断してるんだろう)
(それなら悪いことじゃない)
(たぶん、だが)
彼はそう思うことにした。
「やばい話を探るのに、護衛が欲しいってところなのか?」
改めてイリエードは尋ねた。
「そういう訳じゃない。俺も少しばかりは、腕に覚えがある」
にやりとして男は言った。
戦士はそれを嘘やはったりだとは思わなかった。座っているのを見ていたときは気づかなかったが、こうして立った状態で相向かっていると、いくらか判るものがある。ただ立っているだけでも姿勢はよく、重心もぐらついていない。もしイリエードがいきなり斬りかかっても――そんなことはやらないが――、とっさによけるくらいはできそうだ。
「じゃあ、俺に何をさせたい」
イリエードは顔をしかめた。
「切った張った以外で、戦士なんて要らんだろうに」
「ぶっちゃけて言えば、何も『戦士』である必要はない」
男はそんなふうに返した。
「あのフード野郎どもに妙な感じを抱いてる、そうしたお仲間が欲しいんだ」
いくらかは腕っぷしも欲しいがね、と男はつけ加えた。
「……だから俺は、うちの店にこなければ、別に」
「そう言うがねえ、イリエード」
男は肩をすくめた。
「リゼンの町のあちことであんなのがうろうろしてたら、気になるだろう?」
「前にもそんなことを言っていたな」
戦士は思い出した。
「まだ見られるのか?」
「増えてるよ」
さらりと男は答えた。
「北からやってきて、更に南に行く奴と、とどまってる奴といる」
「何だって?」
「追うか残るかは迷いどころだったんだが、実は、追うつもりだ」
「……あんた、いったい」
イリエードは不思議だった。この男は何を目的に、そんなことをしようと言うのか。
「なあ、イリエード。俺はあんたに、このリゼンでの奴らの観察を任せたいんだよ」
「何だって?」
彼はまた言った。
「どういう意味なんだ」
「どうもこうもない。奴らを見張り、だいたいでいいから人数を把握して、どの辺りに潜伏してるか、何か妙な動きはないか、そうしたことを見てほしい」
「何の、ためだ」
さっぱり判らなくて戦士は尋ねた。
「カル・ディアルのため。もしかしたら、マールギアヌのため、くらいになるかもしれん」
いきなり話を大きくされて、イリエードは目をぱちくりとさせた。「一国のため」だけでも充分大きいのに、隣国アル・フェイルやウラーズ、オル・ディアルやワイドスまで入った一大地方の、どんなためだと言うのか。
「もちろん、報酬は出す。俺が出す訳じゃないが」
「……あんたの雇い主、か」
慎重にイリエードは問うた。男はうなずいた。
「それは、誰なんだ?」
「引き受ける気があるなら、会ってもらう」
彼は言った。
「ああ、先に訊いておかなけりゃならなかったな」
ぽん、と男は片方の拳を片手の平に打ち付けた。
「あんた、魔術師に偏見はないか?」




