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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第1話 灰色の影 第3章

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12 ちょっとばかりな

 アンエスカは〈峠〉から町を回っていたから、ユーソアへの罰が――何であれ――すぐさま与えられたということはなかった。

 だがハルディールからの当座の命令が「出て行け」である以上、館の警備は続けさせられない。

 クインダンは迷った末、彼に国境の見張りを言い渡した。謹慎などが適切かもしれないが、クインダンにそれを命じる権限はなく、彼は騎士同士の任務交替くらいしか思い浮かばなかったのだ。

 ユーソアは、まるで伝説の〈キイザの彫像〉になったかの如く、苦悶ならぬ引きつった表情を顔面に張り付かせて固まっていたが、クインダンの指示にどうにかうなずいて王家の館をあとにした。

「……陛下があれだけ、お怒りになるとは」

 その後ろ姿を見送るようにしながら、クインダンは呆然としたように呟いた。

「団長がどのような処罰を与えるかによって、発生する問題も変わろうな」

 ルー=フィンが言い、クインダンは眉をひそめた。

「問題、だと?」

「――問題にならないとでも、思うのか」

 そう言われては、クインダンも黙るしかなかった。

「私を憎んでもいい。こうした言い方もどうかとは思うが、巧くやる(・・・・)ならば、女性とつき合うことも」

 だが、とルー=フィンは手を振った。

「陛下の客人に不埒な振る舞いなど」

「……不名誉だ」

 どう想像をしてみたところで、その一語は切り離せない。クインダンの内には、怒りや憤りよりも、情けない気持ちが湧いた。

 こう考えてしまうのはそれこそ問題であろうと判るのに、つい、考えてしまう。

(ご婦人への不埒な行為で糾弾され、ことによっては解任されるとしたら)

(……騎士同士のいさかいが原因である方が、どれだけましか知れない)

 先ほどの危惧が軽いものにすら感じられる。クインダンは深々と息を吐いた。

 アンエスカがどのような処罰を下すだろうか。

 そのことをいちばん気にしていたのは、当然と言おうか、ユーソア・ジュゼであった。

 もちろん、ハルディールの怒りも気にかかる。だが彼としては言いたい――いや、実際にはとても言えないが、言いたいこともあった。

(思ってなかったんですよ)

(……陛下がそんなに、まじだとは)

 ハルディールの怒りは、ユーソアの行為にと言うより、フィレリアが相手だったからだ。これがもし、名も知らない町娘であれば、王の怒りはもっと冷静なものだっただろう。

(だいたい、あんな悲鳴を上げられるとはなあ)

 軽い口づけひとつで泣く――生憎、喜びの涙ではなく――娘がいることも彼の思惑違いだった。せいぜい、平手で殴られるくらいのつもりでいたのに。

(団長はたぶん、感情的な処罰はよろしくない、くらいのことは言ってくれるだろう)

 彼はアンエスカに期待した。

 もっともそれは「いくら何でも、処刑だ国外追放だというようなことはないだろう」という程度の希望だ。

(処罰なしって訳にはいかんだろうな。これまで俺の言い訳を目こぼしてくれていた分、何かきっついもんをくれるかも)

(アンエスカの怒り次第では、騎士位の剥奪……うええ、こんなことで、冗談じゃない)

 そんなことになったら、追放されなくても、シリンドルにはいられない。彼とてそれくらいの恥は知るのである。

「ユーソア様!」

「おう、交替だ」

 国境にたどり着いた青年騎士は、彼に手を振った町の若者に――引きつった顔をほぐして――陽気に答えた。

 アル・フェイルとの国境は、北東から南西に走る狭い街道だ。そこから小道が分かれて、シリンドルへと向かっている。

 カル・ディアルとの境には小川が流れており、橋が国の入り口を示したが、こちらはそうではない。

 この国には外壁と言えるようなものなどなく、二本の大きな樹木がまるで門のようにかまえ、町への入り口を知らせるだけだった。そこには交代制で町の男たちか騎士が立ち、出入りする者を確認する。

 その程度であるからして、本気でこっそりシリンドル入りしようとすれば、実に簡単だ。西の小川は渡れる程度の浅さであるし、東は道さえ外れれば、夜陰に乗じていくらでも忍び込める。

 だがそうしたことはこれまでなかった、または、あったとしても何も大きな問題を引き起こさなかった。余所者が入り込んで変わったことをやっていれば、それは狭い国内でとても目立ち、すぐさま自警団や騎士に報告が行ったからだ。

 だいたい、もともと、シリンドルを目指してやってくる旅人などは滅多にいない。やってきて去っていく者のほとんどは日常品の商人だ。ごく近くの町とシリンドルは、同国内の隣町のようにつき合いがあった。

 カル・ディアルにせよアル・フェイルにせよ、そのことを問題にはしなかった。国境に自らの兵を配していないことからも明らかなように、ふたつの大国は「シリンドル」という国のことをほとんど気にかけていなかった。一国として認めてはいるものの、首都からも遠く、王同士の交流もない。自国に悪さをするのでなければそこにあってかまわないという程度の認識、いや、ろくに認識すらされていないとも言える。

 アル・フェイル王はとある(・・・)事情からシリンドル国のことを知っていたが、カル・ディアル王の方は、その存在すらろくに覚えていないかもしれなかった。

 ともあれ、国境警備というものは国や地域によっては非常に不穏で緊張感に満ちた任務となろうが、シリンドルではそうでもなかった。もちろん警戒は必要だが、隣国の王たちはシリンドルを侵略したいとは思っていないし、こうした辺鄙なところでは山賊だって出にくい。襲う相手がいないからである。

 これまでシリンドルが他国と関わった事件と言えば、余所から逃げてきた犯罪者を捕らえて返したというようなことだ。だがそれも数える程度。

 つまり、国境警備というのは、言ってしまえば実に退屈な任務であった。

 若者と任を交替してしまうと、ユーソアは北に続く小道を眺める位置についたが、まず誰もやってこないだろうと考えていた。商人はたいてい朝の内にくるものだし、いまはもう、昼を大きく回っている。

 冬の陽射しは弱く、晴天であっても肌寒い感じがした。

 ユーソアはじっと黙って、ハルディールの怒りを解くにはどうすればいいか、アンエスカにどんな言い訳をしたものかと、ひたすらそればかりを考えていた。

 太陽(リィキア)が傾いていく。

 冬の夕暮れは、早い。

 ちらりと北東の空を眺めれば、鮮やかな青色が少しずつ黒ずんでいくところだった。

 ユーソアは地上に視線を戻した。

 そこで彼は、ぴくりとする。

 誰か、小道をやってくる人影があった。

 商人ではない。荷馬車も何もない。徒歩だ。

 珍しい旅人だろうか。シリンドルのことを知ってか知らずか、夜になる前に町入りをして宿を取ろうとでもいうつもりかもしれない。

 だが、そうであっても警戒をするのが彼の役割だ。

 ユーソアはゆっくりと、相手の歩調に合わせるように、二本の高い樹木の間、道の真ん中に立った。

「――ここはもう、アル・フェイル国を離れ、シリンドル国となる」

 声が届く距離に相手がやってきたと判断すると、ユーソアは告げた。

「旅人を拒みはしないが、この先に進むには、簡単な質問に答えてもらう。よろしいか」

「そりゃ、かまわんよ」

 どんどん近づきながら、相手は言った。

「うん? その制服……」

「何?」

「お前さん、〈シリンディンの騎士〉か。新人、入ったんだな。よかったよかった」

「シリンドルを知る者か」

 ユーソアは少し、警戒を解いた。

「まあ、ちょっとばかりな」

 彼の前で足をとめた、それは四十を越したほどの男と見えた。頑丈そうな胸当てと左腰の剣が、その人物が戦士であることを物語っている。

「訪問の目的は。知人でもいるのか」

 じろじろとそれを見ながら、騎士は問うた。〈シリンディンの騎士〉を知るようなことを言っても、武器を持つ者の入国には、いくらか用心しなければならない。

「よかった」

 男は肩をすくめた。

「何?」

「誰も彼も、俺を知ってる訳じゃないんだな。ちょっと安心した、と言ってるんだ」

「……何を言っている?」

「いや、気にしなくていい」

 中年戦士は手を振った。

「知人だったな。まあ、いる。何人か」

 指折り数えて、男はうなずいた。

「その知人の名は」

 〈シリンディンの騎士〉とて、民の名を全部把握している訳ではない。だが、騙りでなければすぐに答えられるはずだという、その程度の意味合いだった。

「……あー、そうだな」

 男は躊躇った。

「……ハル」

「何?」

「どうせ、隠そうとしても無意味だからな。あんたが騎士なら」

「どういう意味だ」

「だから」

 戦士は息を吐いた。

「ハルディール・イアス・シリンドル陛下に、ヴォース・タイオスが会いにきたと言ってるんだよ」


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