06 喧嘩をする気はない
王たちの会食の場にアンエスカが現れると、クインダンは交替して退いた。
〈峠〉の巡回に向かう時間が近づいていたが、その前に訪ねておきたい場所があった。
それは麓の神殿だ。彼は、エルレールの不調が気にかかったのである。
すれ違う神官や僧兵たちと挨拶を交わしながら、青年騎士は巫女姫のいる部屋に向かった。
(頭痛がするとのことだが)
(……熱などは、ないのだろうか)
彼は純粋に、王姉の体調を心配していた。
(神官たちは癒しの業に長けている。私が薬などを用意する必要もないが)
(エルレール様のことだ。神官たちの手を煩わすまいなどとお考えになり、ただお休みになっているようなことも有り得る)
軽い場合はそれでもよいが、もしも眠って治るような程度を越した症状ならば、黙って休んでいてもいいことはない。却って神官の手を煩わせることになるし――何より、エルレールが苦しむことになってしまう。
(誰かが気遣って差し上げなければ)
そんなふうにクインダンは、いたく真面目に、巫女姫を訪問した。
「エルレ」
「――そうなのよ!」
ちょうど彼が、部屋の扉を叩こうとした瞬間である。その外にまで勢いのある声が聞こえ、クインダンはぴたりと手をとめた。
「嬉しいわ、判ってくれるなんて。ハルディールの話を聞いていると、まるで私がわがままを言っているみたいな気分になって、落ち込んでいたのよ」
「とんでもない、エルレール様のご意見は正当なものです」
続いて聞こえた返答に、クインダンは驚いた。
(……ユーソア?)
それは新しい騎士の声と聞こえた。
「安心したわ、ユーソア。クインダンも判ってくれなくて」
続いた巫女の言葉が、彼の推測を確定させた。
「彼は、陛下の仰ることには何でもうなずきますからね。いや、まあ、明らかに間違っているのでもなければ、騎士として当然のことですが」
ユーソアはつけ加えたが、クインダンは少し引っかかった。彼はそっと息を吐くと、そこで改めて扉を叩いた。
「――エルレール様。よろしいですか」
「あら、クインダン?」
かすかに混じった戸惑いの色は、噂をしていたところに当の本人がやってきてしまった決まりの悪さと聞こえた。
「どうしたんだ? クインダン」
部屋に入った彼に、もうひとりの騎士が尋ねる。
「それは、私の尋ねることだろう、ユーソア」
彼は返した。
「あなたは、自警団の報告を聞きに行っているものと思ったが」
「行ったさ。特に何もなし、今日もシリンドルは平和だってのが報告だ」
さぼっている訳じゃない、とユーソアは肩をすくめた。
「ユーソアは、私を心配してきてくれたのよ」
とりなすようにエルレールは言った。
「……エルレール様、お加減は」
クインダンは「私もです」という台詞を飲み込んで尋ねた。
「もうすっかりいいわ。何だったのかしらと思うくらい」
エルレールは手を振った。
「ハルディールは何て?」
「は……?」
「私が仮病を使ったとでも思っているかしら?」
「まさか、そのような」
少年王の顔つきや言葉からは、そうした考えも読み取れた。だが少なくとも口には出していない。
「そう。でもお前を遣わしたのでしょう? 様子を見てくるように」
「違います」
驚いて――或いは気を落として、クインダンは否定した。
「私は……何かご不自由がないかと」
「神殿にいる巫女姫がどんなことに不自由するって?」
ユーソアが笑った。
「姫様の看病は、騎士の任務には入らないんじゃないか」
「私は、ただ」
クインダンは何かしら言おうとした。だが巧い言葉が見つからなかった。ユーソアの言葉が正論だからだ。
「……ご不調とお聞きし、ご様子を伺いにきた。それは事実だ。だがそれは、私の考えで」
命令などではないと、クインダンにできる主張はそれくらいだった。
「クインダン」
エルレールは目をしばたたいた。
「それでは、私を見舞いに?」
「……そういうことに、なりましょう」
騎士はぼそりと答えた。
「そう」
エルレールは両手を合わせ、青年騎士たちを順に見た。
「有難う、ふたりとも」
「……いえ」
「礼を言われるようなことじゃありません、殿下。騎士の心根ってところです」
クインダンは表情を見せずに短く、ユーソアはにっこりと饒舌に返事をした。
「体調はいいわ。でも決して、嘘をついたのではないのよ」
巫女姫は手を振った。
「本当に、立っていることすらできなくなるような酷い頭痛に襲われたの。少しすれば治まったのだけれど、では出向こうとするとまた痛んで」
激しい頭痛を思い出したかのようにエルレールは顔をしかめた。
「確かに私が、ラシャ神官が〈峠〉の神について尋ね、調べ回っているのを……はっきり言って鬱陶しく思っていることは本当だわ」
ずばりと口にした王姉にクインダンは目を白黒させたが、ユーソアはにやりとした。
「けれど、彼が帰る前に一度、対決しておくのは悪くないと思ったのよ」
「対決」
困ったように繰り返したのがどちらであるかは言うまでもない。
「だと言うのに、あの頭痛。これではとても勝てないと思って、顔を合わせないことにしたの」
「勝ち負けというような問題では、ないかと思いますが」
「そういう問題だわ」
「そういう問題だろ」
二重奏で返されて、クインダンは怯んだ。
「そうね、クインダンはハルディールと同意見なのでしょう。それを責めはしないわ。だから私のことも責めないで頂戴」
「は、いや、その」
気の毒に青年騎士には話が見えなかった。
「どういう、お話なのでしょうか」
「だから、ラシャ神官さ」
ユーソアが言った。
「俺もエルレール様も、余所の神官が知った顔でシリンドルの神を語るんじゃねえ、と思う訳だが、あんたや団長、陛下は、八大神殿の機嫌を取っておく方が吉だと」
「機嫌を取るなど」
クインダンは驚いた。
「そのような意図ではない。ただ、排他的になるのはよくないと、陛下も団長もそうお思いだ」
「排他的だって?」
ユーソアは鼻を鳴らした。
「神様は、そりゃあ、たくさんいるさ。だがシリンドルは〈峠〉の神を崇めてやってきた。フィディアル神官なんかに媚びを売る必要はないってだけ」
「それが排他的ということだ、ユーソア。シリンドルが八大神殿を受け入れる必要は、確かにない。だが、受け入れないことと拒絶することは、似て非なるものだ」
「だから、それがあんたの意見だろう。俺や姫様の意見は違う。それだけだ」
手を振ってユーソアはきっぱりと言った。
「もっとも、意見の相違は意見の相違に過ぎない。喧嘩をする気はないよ、クインダン」
次には彼は笑い、クインダンは巧く言葉を返せなかった。
もちろんクインダンにだって、喧嘩をするつもりなどはない。だが、ユーソアが先にそう言ったことは、ユーソアが大人の態度でクインダンに譲ったかに見えた。
「どんな理由があろうと突然の欠席は咎められて然るべき。そのことについてはハルディールに謝罪をするわ」
でも、と王姉は続けた。
「私はルトレイスの、そして〈峠〉の神の巫女として、我らの神や伝承が興味本位の研究対象にされることは望みません。陛下には、そう伝えて頂戴」
その場はすっかり、二対一の様相を呈した。クインダンは口を閉ざすと、黙って恭順の礼をし――ふたりのいる部屋をあとにした。




