01 気になるんだ
それからしばらくの間、フードをかぶった人物は店に姿を見せなかった。
イリエードは店の主人であるモウルと話し、薄気味悪くはあったが、もうこないのであればかまわないと意見を一致させた。
何者だったのか、ほかの客が言ったように無言の行でもしていたのか、それは判らない。だが、店に迷惑をかけず消えてくれたのだからそれでいい。店主や護衛の考えはその辺りだった。
「やあ、戦士さん」
「ん? ああ、あんたは、あんときの」
モウルと話してから更にそのあと数日もするとイリエードもその件をほとんど忘れてしまっていたのだが、彼と違っていまだに気にかけていた人物がいた。
店の親爺に、そして彼にも話しかけてきた、ひとりの客である。
「最近、見ないね?」
そのほのめかしに、イリエードもフード連中のことを思い出した。
「そうだな」
彼はうなずいた。
「けっこうなこった」
「だが、それなら奴らは、どこに行ったのかな」
客はそんなことを呟いた。イリエードは鼻を鳴らした。
「さあね、神殿にでも帰ったんだろうさ」
「神殿だって?」
客が不審そうに言うので、戦士は「無言の行とやらが流行っているらしい」という話を伝えた。
「神官には見えなかったし、熱心な信者って感じもしなかったが……まあ、俺にはどうでもいいこった」
〈縞々鼠〉亭の護衛は肩をすくめた。
「ふうん、無言の行、ねえ」
客はあごを撫でた。
「どこの神殿がやってるんだ? それ」
「さあ」
イリエードはまた言った。
「ちょっと小耳に挟んだだけで、詳しく調べた訳でもない。知りたければ自分で行ってきたらいいんじゃないか」
気のないようにイリエードが言えば、客はうなずいた。
「そうだな。自分で行ってくるとするか」
「本気か?」
戦士は不思議そうに問う。
「そこまで興味があるのか? いったい、どうして」
「俺はね、戦士さん」
客はにやっと笑った。
「流行りもんに弱いんだ」
「は」
イリエードは笑った。
「流行に乗って、修行でもするのかい。まあ、あんなふうにフードかぶってうろうろすることになったら、うちの店は避けてくれな」
そんな軽口も飛び出し、フード姿のことはもうすっかり一種の冗談となった。
なったと、思っていたのだが。
「おい、イリエード」
彼がフードに声をかけてから、一旬近くが経ったある日のこと。モウルに呼ばれたイリエードは、ひとり席にまたあの男が座っているのを見た。
「またあんたか」
「おうよ」
また俺だ、と男は笑った。
「その後、やっぱり、フード野郎は見られないって?」
「ああ、見ないな」
イリエードは認めた。
「またその話をしようってのか?」
「おうよ」
またその話だ、と男は繰り返した。
「無言の行とやらをやらせるのは、メジーディス神殿とムーン・ルー神殿だそうだ。この町にあるのは」
「ムーン・ルー神殿」
「だな」
男はこくりとうなずいた。
「ちょっと気になったんで訊いてきたんだが」
「あんた、おかしな人だなあ」
イリエードは感想を洩らした。
「俺やおやっさんが奴らを気にしたのは、この店の人間だからさ。だがあんたはただの客なのに」
「まあ、なあ。俺はこの店が気に入ったが、妙な客を警戒したり、追い出したりするのは確かに俺の役目じゃない」
「なら、どうして」
「気になったことを調べるのは、そんなに悪いことかい?」
男は肩をすくめた。
「別に、悪かないが」
イリエードは答えた。
「だろ?」
「それで?」
モウルが問うた。
「ムーン・ルー神殿に何を訊いてきたんだ?」
「そうそう、それそれ」
客は店の主人を向いた。
「『最近、流行ってる』なんてことは、ないようだ。もっとも、ムーン・ルーの信者には女が多いからな。フードの奴らが男なら、メジーディス関係かもしれんが」
「ムーン・ルーでもメジーディスでも」
判らないとイリエードは首をひねる。
「流行ってなかったら、何だ」
「連中は、無言の行なんかしてないってことだろ」
「そんなの、判らんじゃないか」
修行をするに当たっては、神殿に祈りに行ったり神官と相談したりするのだろうが、そうしなかったからと言って罰がある訳でもない。
「勝手にやって、功徳が得られるもんかね?」
「知らんよ」
イリエードは手を振った。
彼ら戦士は戦の神ラ・ザインの名をよく口にする。だがその多くとは、熱心な信者とは言えないだろう。なかには町入りするたびに参拝する戦士もいることはいるが、少数派だ。彼らは「ラ・ザインを信奉している」と言うよりは、「口にするのに都合がいいから使っている」というところ。
彼自身もその例に洩れず、九死に一生を得たときなどは神を感じたりするものの、では神殿に詣でて感謝の祈りを捧げましょう、とまでも行かないタイプである。
「もっとも、流行ってないから違う、ってのは根拠としちゃ薄すぎる。信心深い敬虔な奴らだって可能性は低くなった……と言うより、高くならなかった、というところかな」
客は笑った。
「それはつまり、何も判ってないってことじゃないか?」
「言うねえ。だがその通りだ」
男は認めた。
「もう少し、調べてみるさ」
「酔狂な」
イリエードは苦笑した。
「あんたはこの店のなかのことしか気にしてないかもしれんがな」
「……ん?」
「――リゼンのあちこちで、ああした連中が見られてると聞いたら、どう思う?」
「何、だって?」
戦士は目をぱちくりとさせた。
「『無言の行が流行ってるんじゃないか』ってのは、つまり、ほかに何人も見受けられたからさ。ああしてフードをかぶり、何も言わない奴らがね」
「……だが……そうだったとしても、何が……」
「さあね」
「何が問題なのか」というようなイリエードの疑問を最後まで聞かぬ内に、男は首を振った。
「ただ、俺が感じ、おやっさんが感じ、あんたも感じたように――気味が悪い」
男は呟き、すっと沈黙が降りた。戦士は何だか、ぞくりとするものを覚えた。
例のフードの人物に店から出て行ってほしいと感じた、これは戦士の勘なのか。街道で鍛えてきたそれが、彼に何らかの警告を発しているのか。
しかし、いったい、どんな。
「気になるんだ」
客は呟いた。
「いまのところ、それを気にしてるのは、あんたたちだけみたいでね。また話しによらせてもらうよ」
「あ、ああ」
イリエードはうなずいた。
「じゃ、またな」
言うと男は、卓上に置いていたつばのない帽子をかぶって、〈縞々鼠の楽しい踊り〉亭から出て行った。




