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15 それは幸せそうな(完)

 夜の酒場は、賑やかだった。

 老舗の大衆食堂でもあるその店はいつもながらの繁盛をしていて、人々は飲み、食べ、笑って過ごしていた。

「なあちょっと、護衛さん」

 ひとりの客が、通りかかった戦士に声をかけた。

 それは大きな店によくいる「見張り役」だ。酔った人間はつまらないことで喧嘩騒ぎを起こしたがるものだが、暴れ回られては客にも店にも迷惑。剣を佩いた戦士がいることで「騒ぎを起こすな」という牽制にもなり、実際に起きればつまみ出すこともできる。

 監視されているようで嫌だと思う人間はやってこないようになるが、安心できると考える客が多いからこそ、〈縞々鼠の楽しい踊り〉亭は――とある戦士曰く「ふざけた店名」でも――長く賑わっているのだ。

「前にいた店主の爺さんはどうしたんだい」

 不意に問われて、護衛は目をしばたたいた。

「彼は」

 少し考えるようにしながら、護衛は続けた。

「世界を守って、死んだよ」

 その言葉に客は、笑っていいものかどうか迷うようにした。イリエードは肩をすくめて哀悼の仕草をした。理由はともかく、モウルが死んだのは事実なのだと理解して客も倣った。

「そりゃ残念だ」

 世界云々はイリエードの冗談、事実を言いたくないか、或いは知らないために発せられた台詞だろうと客は考えた。常連にだけ通じる隠語のようなものかもしれないとも。

「あんた、長旅だったのか」

 特に興味がある訳でもないが、話の流れとしてイリエードは問うた。あの出来事はもう一年以上前になろうとしていたからだ。

 魔術師に雇われたことも、伯爵閣下に面会して突拍子もない話をしたことも、奇妙な薄闇のなかでミュレンと背中を合わせて戦ったことも、モウルの死を知らされたことも、もはや過去の記憶だった。

 イリエードもミュレンも、この店の護衛を続けながら日々を送っていた。あんな奇妙なことはあれ以来起きておらず、時折ふっと思い出しては、本当にあったことなのだろうかと首をひねった。

 だが事実だった。現実だった。ラカドニー・モウルがもういないことが、その証拠でもあった。

「そうだな、長かったかもしれん。ウラーズ国の方をしばらく巡っててな」

 客は答えた。

「何年か前に、特殊な塗料を売ってる村を知ったんだ。そこの絵皿を土産にしたら女房が喜んだんで、またちょっと行ってみた」

「へえ」

 戦士は首をかしげた。

「特殊な塗料なんて見当もつかないな」

「製法は秘密らしい。商売としちゃもっともだな」

「だろうな」

 彼は適当に相槌を打った。

「ただ、前に行ったときはずいぶん閉鎖的と言おうか、監視されてるみたいな雰囲気があったんだが、今回はそれがずっと和らいでてなあ」

「刺々しいよりは、そうじゃない方がいいわな」

「全くだ。『秘密』を探ろうとすれば厳しい反応もあるんだろうが、以前みたいに『用事が済んだら帰れ』っていう感じじゃなくて、余所もんも受け入れるようになってた。何があったか知らんが、悪いことじゃなさそうだ」

(こす)いのに騙されなきゃいいがな」

 別にイリエードには遠い村の産業を気にしてやる理由などない。ただ一般的な感想を述べただけだった。

 開放的になれば余所者には便利だが、そこの者たちにとってはそれまでの暮らしが崩れてしまうということもある。もっとも、上手にやれば豊かになり、栄えるということもあるだろう。それはそれで以前通りの暮らしではないだろうが、そんなのは村人が決めることだ。少なくともイリエードには、一分(いちぶ)たりとも関係ない。

「まあ、大丈夫だろう。雰囲気が変わったようだが何かあったのかと訊いてみたんだが」

 客は肩をすくめた。

「『指導者』が変わったんだそうだ」

「指導者?」

 イリエードはぷっと吹き出した。

「大げさな」

「そこの村人たちがそう言うんだよ。要するに『村長』ってことみたいなんだが、確か前の『指導者』は『宗主』と呼ばれていた。大げさなのが好きな村なんだろう」

 客も少し笑って言った。

「巧い商人と組めれば、カル・ディアルにも回ってくるかもな。カヌハって村のライトリって塗料だ。ちょっと珍しいから、贈り物にでもすれば喜ばれそうだぞ」

「ふうん」

 覚えておく、と戦士は言ったが、たぶん忘れるだろうなと思っていた。

「しかしこの店でもあの爺さんが亡くなってたとはなあ」

 客の話題はそこに戻ってきた。

「話しやすくて、面白い人だった。返す返すも残念だ」

「そうだな」

 イリエードは同意した。

「惜しい人を亡くしたよ」

 これは心からの台詞だった。

「それじゃ」

 客はきょろきょろと店内を見回すと、目当てを見つけた。

「あの人はやっぱり、新しい主人なのか」

 彼は尋ねた。

「実はここ何日かきているんだが前の爺さんはいなくて、見たことのない顔が仕切ってるようだから、どうなってるのかと思ったんだ」

「おやっさんの遺言でね」

 イリエードはそうとだけ言った。

「へえ。親族か何かなのかい」

「いや、そういう訳じゃないんだが」

「違うのか」

 客は意外そうだった。

「身内でもないのに店を遺すなんざ、ずいぶん信頼していたか、交流があったかしたんだな」

「俺が聞いたんだ」

 戦士は呟いた。

「そうと知らず、彼と分かれた最後のときにね。自分に万一のことがあったらと。何を馬鹿なと笑い飛ばしたが、おやっさんは何か感じてたのかもしれないな」

「……へえ」

 世界云々はともかく、何やら複雑な事情がありそうだなと客は曖昧な相槌を打つにとどめた。

「正直なところ、最初はびっくりしたね」

 それから客はそっと言った。

「あの隻腕には」

 店の一角で常連客に何やら悪態をつきながら笑っているかつての戦士を見ながら、客は話した。

「世界を守るために片腕をなくしたのさ」

 イリエードはまた言った。客はやはり目をしばたたいたが、知ったようにうなずいた。

「前の親父さんも引退戦士だと聞いたが、彼もそうなのか」

「ああ」

 イリエードは答えた。

「危ない真似は、もうやめたとさ」

「それがいい」

 また知ったように客はうなずくと、それにしてもと言った。

「酒場なんて、忙しいだろう? 正直なところ」

 彼はまた言った。

「片腕でやっていけるのかと心配でもあった」

 だが、と客は首を振った。

杞憂(ゲルダ)のようだな」

 その視線は新しい酒場の主人の隣にやってきた姿に注がれた。

「あんなしっかりものの奥さんがいるんだからな」

 大柄な男の近くでその小柄な体格はますます小さく見えたが、頼りない感じはなかった。

 彼女は主人を叱るような様子で何か言い、客に皿を提供していた。主人は苦笑いを浮かべながら左手で彼女の肩を抱く。

 それは幸せそうな、夫婦と見えた。


「シリンディンの白鷲」第三部「幻夜の影」

―了― 


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― 新着の感想 ―
[良い点] 三部作を、10日ほどかけて読了しました。 流石に長かったですが、面白かったです。 [一言] 他の作品も、読ませていただきます。
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