13 夢の成就を
――マールギアヌの最北端。そこに氷の塔があると言う。
塔のなかには氷の柱に閉じこめられた美姫がいて、真実の愛だけが姫を救い出せるという物語。
それは彼らの希望だったと言えただろう。或いは夢。思いがけなかった出来事による哀しみを癒すための、自己満足とも。
どうであれ〈ホルッセ劇団〉は、もともとの予定にはなかった歌物語を一編、演目の合間に差し挟むことにした。
「氷の塔の姫君」。もともとの舞台はマールギアヌではなく、別大陸だとされている。だが語り手、歌い手によって身近な地名に置き換えてしまうことは間々あるものだ。
物語は、美姫の噂を知ったひとりの詩人が、迷路のような塔を昇り、魔物の出す謎掛けを解き、ついに姫を目にして恋に落ち、彼女を称える歌を歌うと氷が溶けてめでたしめでたしというものだ。
作り話に過ぎないと思いながらも、彼らは夢を見た。
キーチェルは踊り、ラサードもこの演目のときだけは道化師の役割を捨てて合唱の一部を担った。
恋の絡んだ冒険物語。幸せな幕切れであるはずなのに、演者たちはどこかしんみりとした雰囲気を漂わせ、観客はいささか戸惑った。
それは彼らなりの追悼であったが、もとより、観客を楽しませてこそ〈ホルッセ劇団〉である。次の演目はぱっと陽気で派手なものになり、観客も違和感をすぐ忘れた。
そうして公演は、大興奮の内に幕を閉じた。
拍手に答えて彼らは何度も挨拶し、座長は観覧にきていたトーカリオンとアギーラを称えることで劇団の宣伝をすることも忘れなかった。
公演の予定は三日間あったが、初日の大成功はあと二日の成功を約束されたも同然だ。劇団の者たちは人々の帰った演技場の片づけと掃除をしたあと集まって、軽く祝いと、そしてティエへの哀悼をした。
喜びは喜びだが、まだ手放しで浮かれる気分にはなれなかった。
殊、ラサードとキーチェルはずっと重い心を抱えていた。
ラサードはそれでも――年齢と職業柄から――表に見せることをしなかったが、キーチェルは若いだけに難しかった。
笑顔は見せるがどこか翳りがあり、人の輪から離れてぽつんとしていることも多かった。あのとき一緒にいた娘たちのなかでも、彼女は進んでティエを誘ったということもあって、人一倍罪悪感に苛まれていたのだ。
だが、それもこの日の夕刻までのことだった。
終演後のキーチェルは、晴れ晴れとは行かなかったものの、無理して背負っていた重い荷物をようやく下ろせたようなほっとした顔を見せるようになっていた。
「はい、キーチェル。甘い花酒だよ」
ラサードは少女に杯を手渡した。
「有難う」
礼を言って踊り娘は微笑んだ。
「ひとりで踊るなんて、ちょっと緊張しちゃったわ。まさかあたしが選ばれるなんて」
「あんたがいちばんきれいに踊れていたと、みんな言ったもの」
ラサードも笑みを浮かべた。
「タイオスもね」
「ん」
戦士が劇団を訪れたのは、その日の夕刻だった。道化師は彼の右腕に仰天したが、タイオスは「戦ってりゃこういうこともある」だけで済ませた。
キーチェルはタイオスの訪問を知ると、泣きじゃくって謝った。彼は彼女の頭を子供のように撫でて慰め、気にするなと言った。大丈夫だと。
必ず、自分が助けるからと。
その言葉に少女は驚き、方法があるのかと尋ねた。タイオスは正直に、まだ判らないと答えた。
だがあると信じている、生涯をかけても探すと誓い、キーチェルの肩から荷を受け取った。
もっとも――ラサードにだけは、彼は真実を話した。
魔術師の見解では、やはり既にティエは死んでいるとのことだと。元に戻す手段は見つからないままであり、協会は氷体の保存を一年間に限ったと。
これはイズランやサングの働きかけもあっての、一年だった。彼らの口添えがなければ半年と言われるところだった。このことにはタイオスも素直に魔術師たちに感謝の言葉を述べた。
たった一年で何ができるかは判らない。こうしたことに詳しい魔術師が揃って「手段はない」「もう死んでいる」と言うのであればそれが正しいのかもしれない。
だが万にひとつの可能性を探すことにしたのだと戦士は――たとえもう剣を持てずとも、彼は戦い手の瞳を持っていた――道化師に告げた。
ラサードは、彼にできる支援をすることにした。もちろん道化師は戦えないし、魔術師以上の知識もない。だが各地に知り合いはいるし、特に使う当てのない金もそれなりに持っていた。
タイオスはラサードから、もしかしたら役立つかもしれない友人知人への紹介状と、それから稼ぎにくいであろう資金の提供を受けた。いくらかは躊躇ったタイオスだったが、ティエを救えたらちゃらだ、救えなければ返せというラサードの言葉からその気持ちを読み取って、最終的には受け取った。放浪しながら仕事をするなど、現状では極めて困難だというのは事実だったからだ。
「見てくれたかな、タイオスさん」
キーチェルは呟いた。戦士は、あの歌物語を見てから発つと言っていたのだ。
「もちろん、見たさ」
ラサードは確約した。
「あんたには見えなかっただろうけれど、あたしは見たよ。彼は食い入るように見ていたし、もしかしたら」
ひょいと彼はおどけて肩をすくめた。
「泣いてたかもね?」
「まさか」
少女は笑った。
「ねえ、ラサード」
「ん?」
「あの人はきっと、約束を果たしてくれるわよね」
彼女は北の方を見ながらそっと言った。
「ああ」
ラサードはうなずいた。
「もちろんさ。いつか吉報を持って、ふたりで現れるよ。そのときには、結婚だってしてるかも」
タイオスが顔をしかめそうなことを言って道化師は片目をつむり、そっと胸の内に夢の成就を願った。