12 見たいものも見られた
珍しいな、と彼は言った。
「お前の方が協会に出向いてくるとは」
「仕方ないさ。今回の件についちゃ、私は一魔術師だから」
イズラン・シャエンは肩をすくめた。
「なあラドー。今回のようなことは、歴史的に見ても滅多になかったことだ。四十年前のヴァイアの件を引き合いに出す者は多かったが、あのときとは訳が違う」
「あのときの連中は探しものをしていただけだからな。今回のように自分たちの都合いいように空間を作り上げ、餌場を作ろうなどとはしていなかった」
サングは同意した。
「だが魔族の意識が変わったというようなことは感じない。ライサイ・ソディエという、独特の環境を育てた生き物がいたからこそ起こり得た」
「『起こり得た』?」
イズランは鼻を鳴らした。
「実際、起きた」
「未然に防がれたと言えような」
「それは誰の尽力だ? 魔術師協会とは言うまいな」
「もちろん、皮肉を言われるまでもなく、協会は何もしていない。各町で対策を取ったことは何かした内には入らない。だが、お前だけの力ではなかろう」
「私だって、私が世界を救いましたと言ってやしない。情けないんだよ。われわれは神殿を揶揄するが、これじゃ、頭数の多い八大神殿が足並みを狂わせることを笑えやしない」
街町で最大八人の神殿長が存在し得る八大神殿は、その意見をまとめるだけでもひと苦労だ。魔術師協会は協会長の決定が成されれば早い。
だが結局、協会長だって複数が意見をつき合わせれば齟齬が出るもの。イズランが提示した問題――主に二点――に対し、結論は出ないまま、ことは終わってしまった。
「今回はたまたま英雄がいたからよかったようなものの、毎回それは期待できないだろうに」
イズランがぶつぶつと言えばサングはふっと笑った。
「われわれの生きている時代にはもう二度と起きぬであろう」
「それなら関係ない、と?」
「起きぬようで残念だな、と言っている」
年下の導師は肩をすくめた。
「神の観察は心ゆくまで済ませてきたのか」
「とりあえず見落としはなかったと思うがね。まるで私が物見遊山をしてきたかのような言い方はやめてくれ」
顔をしかめて彼は首を振った。
「〈兎を仕留めた狐〉は狙ったさ。それは否定しない。新たな考察もできた」
「どのような?」
「シリンドルの神官位のことだ」
イズランは答えた。
「〈峠〉の神に仕える神官は、いわゆる神術を持っていない。あれだけ根付いている信仰であり、神であるのに。何故だか判るか?」
「推察を聞こう」
「本当の神官位は、ほかにあるからさ」
魔術師はかすかに笑んだ。
「王家の血筋が、神官位に等しいんだ。だからこそハルディール陛下やエルレール殿下は護符の力を必要としたものの癒しを可能とし、思うに、ルー=フィンも」
「彼も癒しを?」
「いや。彼はやはり戦い手だ」
首を振ってイズランは言った。
「タイオスが繰り返し彼を天才だと評した、あの素質は一種の神力なのかもしれない。私はそう考えた」
「ほう」
サングは片眉を上げた。
「それは興味深い」
「だろう?」
イズランは自慢するように鼻を鳴らした。
「著すつもりがあるなら、読ませてもらおう」
「ああ、いや、その予定はないんだ。〈神究会〉のこともあるんでね」
「カル・ディアルのか」
「そうだ。その話もしないといけないな」
魔術師は顔をしかめた。
「クライス・ヴィロンの技量は、不安定なところもあるが、侮れない。ただあれは、話し合いの余地がある若者だ。シンリーン・ラシャの方は、神官の頑固頭を持ってる。いまはあのふたりが組んでいるが、いずれ割れると見た。八大神殿の牙城が崩れることはないだろう」
「結構だ」
サングはうなずいた。
「協会と神殿は現状、均衡を保っている。乱れれば厄介を招くだけだ」
「そこには全面的に同意する」
イズランもうなずいた。
「その辺りは、協会長も話を聞きたがるだろう」
「今日でなくてもいいんだろうな? 私は崩落事故からこっち――」
「判っている」
サングは片手を上げてイズランの愚痴をとめた。
「魔力線の異常。そのために駆り出された多くの魔術師。いずれも導師か、相応の実力を持つ者だった」
「そうだな」
イズランは息を吐いた。
「魔力線の生成など。そのこと自体を魔族の企みと考える向きも存在した。それはそれで、必要な対策と対抗だったが、動きの早い主要な魔術師があらかたそちらへ行ってしまったことは否めない。そうでなければ私ももう少し……いや、言うまい」
過ぎたことを言ってみたところで何にもならない。魔術師は冷静に考えた。
「新しく現れた境界点を埋め戻すかということにも意見は割れた」
思い出すようにしながらサングが言う。
「人為的な露出は均衡を崩すという声もあれば、せっかく掘り出してくれたものを使わぬ手はないという声も」
「そんなことはあとでいい、と私は言ったんだ。あとで考えればいいとね。だが聞き入れられなかった。方向が定まらぬ内は自分のところの術師を出したくないという協会長ばかりだった」
魔術師当人が言うのであれば、それはよく判る話だ。だが間に入って責任を取る立場の協会がしり込みをしては、まとまる話もまとまらない。
もっとも、難しい話であることはよく判っていた。協会が魔術師を招集しなかったとしても、イズランが直接当たって五人も賛同してもらえればよい方だと考えていた。
結果としてはそれ以上集まり、各地で情報の共有はできた。協会同士の連携は成り立たなかったが、各町でソディエに対抗することはできた。
「〈芝居の出来不出来は幕引きにかかる〉と言うが、まさしくその通りだ」
イズランは肩をすくめた。
「死人も出たが、想定よりは少ない。ライサイの企みは打ち砕かれ、ソディエはみな、異界へ戻った。私は私で、見たいものも見られた」
さらりと魔術師はつけ加えた。
「上々と言っていいだろう」
「芝居か」
サングは片眉を上げた。そのたとえには、彼も思い出すことがあった。
「それで、タイオス殿はどうした」
〈ホルッセ劇団〉の動向ならば、サングは知っている。彼がそれをイズランに尋ねることはなく、訊くのであればこちらだった。
「ああ、それは」
イズランは灰色の髪をかき上げた。
「例の劇団が、今日、催し物をやるな」
「ああ」
サングは短く答えた。
「それがどうした」
「殿下方の警護のためだけじゃなく、あんたも、楽しんで見てきたらいいんじゃないか」