11 気負わんことにした
「――おい」
貴重な時間を過ごし、ふたりの青年騎士は部屋を出た。廊下を歩きながら、ぼそりと声を出したのはユーソアだった。ルー=フィンは片眉を上げた。
「言いたいことがあるなら、さっさと言え」
「特には、ないが」
首をかしげ、ルー=フィンは簡単に答えた。ユーソアは舌打ちした。
「思ってるんだろうがよ。言っとくがな、俺は、ニーヴィスが邪魔だなんて思ったことは一度だってないんだぞ。俺が知り合った頃にはふたりは仲がよかったし、俺はずっと、彼女をそんなふうに見てなんかいなかったんだからな」
「それは、先ほどの話のことか」
目をぱちくりとさせ、少し間を置いてから、ルー=フィンは確認した。
「では、お前の思い人というのは」
「……気づいてなかったのか」
ユーソアは肩を落とした。
「余計なこと、言っちまったな」
「私は……」
ルー=フィンは視線を落とした。
「何も言うな。俺はただ、しめたと思ったことなんて一瞬たりともないって言いたかっただけだ」
顔をしかめて、ユーソアは続けた。
「メリエーレは俺にとって、師匠の恋人、師匠の奥さんだったさ。ずっとな。ニーヴィスが死んだと知らされるまで」
哀しみと喪失感を共有する内、こみ上げてくる感情もあった。だが、高めまいとした。クインダンの指摘は、間違ってもいなかった。
「判っている、つもりだ」
ルー=フィンが静かに言ったのは、ニーヴィスのことについてだった。
「僧兵の葬儀も今日で終わる。これで区切りもつくだろう。今夜、私は団長に辞任を……」
「違う」
ユーソアは首を振った。
「お前な。騎士の座になくて騎士と同じことをするってのが、どれだけ俺たちを馬鹿にした話か判ってんのか?」
「何?」
ルー=フィンは目をしばたたいた。
「判ってないのか。なら考えろ。誓いと名誉なしで、誰かが同じ仕事をするということ」
「――〈シリンディンの騎士〉という名の意味が、なくなりかねない」
「判ったか」
ふん、とユーソアは鼻を鳴らした。
「試験に通り、実力と心ときちんと持ってる奴が、騎士にならずに騎士の真似ごとをする。それじゃ〈シリンディンの騎士〉ってのは何だ、ってことになる」
「そうか」
彼は呟いた。
「そうだな」
「名を負う覚悟。お前にはそれがなかったんだろ。いまも、ないのか」
「資格がないと、思った」
「俺はな」
ユーソアは咳払いをした。
「ニーヴィスのことは忘れない。お前をぶん殴ってやりたい気持ちはある。だが、やらん」
彼は手を振った。
「メリエーレにいろいろ言われた。ニーヴィスだって、騎士同士の喧嘩なんざ見たくないだろうと判ってる」
唇を歪めて、ユーソアは続けた。
「お前を入団させたアンエスカや、認めて平穏にやってるクインダンたちの判断ももっともだ。俺は彼らが薄情だとは思わない。もしニーヴィスが俺に何か言うとすれば『阿呆な喧嘩はせずに仲良くやれ』だと」
判ってるんだと彼は繰り返した。
「だが俺は忘れないし、許しもしない。たとえこの先何十年、俺とお前が騎士としてこの国を守り続け、仮にお前の行動で俺が救われたり、陛下が救われたり、国そのものが救われるようなことがあっても、絶対に」
ルー=フィンをしっかりと見据え、ユーソアは誓った。
「……判っている」
「判ってないね」
ユーソアは鼻を鳴らした。
「いいか。俺はな。忘れんし許さんためにもお前は俺と一緒に一生〈シリンディン騎士団〉の看板を担えと、こう言ってんだ」
じろりと騎士は騎士を睨んだ。
「位を返上して責任だけ逃れ、同じ仕事をこなすなんてのも認めんからな」
「ユーソア」
「ま、アンエスカも絶対、お前の言い分は認めんだろう。お前は死ぬまで〈シリンディンの騎士〉だ」
或いは、と彼は言った。
「結婚するまで」
「そこはお前も、同様だな」
ルー=フィンは返した。ユーソアは顔をしかめる。
「俺は、ない」
「私もないだろう」
「決めつけるなよ」
「お前こそ」
ふたりは言い合い、少し黙って、それからかすかに笑った。どちらの笑みもいささかぎこちなかったが、それはどちらともが、まるで初めてこの相手と言葉を交わしたかのような、不思議な気持ちを抱いていたせいだ。
「俺もなあ、あまり気負わんことにした」
「気負うとは?」
「ああ。アンエスカは通常の日程と別に、俺のためだけに試験を行ってくれたろ。それは俺が日時の変更を知る由もなかったからだが、俺はそれを期待の表れと取った。まあ、自惚れる気はないが、間違いじゃないとも思ってる。陛下も仰った。俺はアンエスカとクインダンの間を埋める年代だということ」
だが、と彼は続けた。
「次期団長を目指す、なんてことは考えるのをやめた。この前の件で臨時副団長を拝命したが、俺の判断ひとつで誰か死ぬんじゃないかと、そりゃもう胃と心臓が痛くなったもんだ」
「そうは見えなかった」
「俺はお前たちより演技が巧いんだよ」
口の端を上げて、とユーソア。
「アンエスカはよく平然とした顔で団長をやってると思う」
この前のような非常事態はそうそうあるものではないが、彼は常に、全てに責任を負う覚悟で命令を下している。ユーソアはそれを知るからアンエスカを尊敬していたが、副団長をやったことでますます実感していた。
「そうか」
ルー=フィンは相槌を打った。
「しかし、もう嫌だ、と言うのではあるまいな」
「そうは言わんさ」
ユーソアは肩をすくめた。
「この先、いずれアンエスカが引退の段になったとき。次は俺にと彼が判断したなら、名誉と命を賭けてその座を受け取るさ。もちろん、ほかの誰が団長になってもアンエスカに従うのと同じように従う。ただ『負けるもんか』みたいな気概は、ちょっと違うなと」
彼は頭をかいた。
「とにかく、そのときの状態で、できることをやるだけさ。いまも、将来も」
「――そうだな」
こくりとルー=フィンはうなずいた。こうして語れば、彼らの間に齟齬など少しもなかった。
「それでルー=フィン。お前は、このあとは?」
「神殿だ。麓のだが」
「ふうん? 昨日も行かなかったか?」
ユーソアは尋ねた。ルー=フィンはうなずいた。
「ああ。だが普段の警護とはいささか異なった」
ルー=フィンは肩をすくめた。
通常の警護ならば神殿には僧兵がいる。騎士も同じようにすることはあるが、回数は多くなく、たいていは異常のないことを確認し、僧兵から報告を受け取るだけだ。
「異なったって、どういうふうに」
再びユーソアは問い、ルー=フィンは考えるように腕を組んだ。
「神殿のと言うより神殿長の警護であるようにも感じられた」
「だが、この前ボウリス神殿長は本当に狙われた訳じゃないぞ。俺がヨアティアに見せた架空の絵だ」
そう言っておけば満足するだろうと思ってな、とユーソアは肩をすくめた。
「そのことは聞いている。神殿長ご自身も、エルレール様もご存知だ。だがおふたりは私に、神殿長といるようにと」
「何か警戒しなけりゃならんようなことがあるのか? だがそれなら俺たちにも知らされるはずだよな」
ユーソアも首をひねった。
「警戒というような様子ではなかった。神殿長はずっと私に、教義や教典の話をなさっていたが……」
判らないなとルー=フィンも首を振った。
「教義? お前に、いまさら?」
反逆者とは言え、前神殿長の元で育ったルー=フィンだ。神官以上に神官らしいところもある騎士がいまさら〈峠〉の神について聞かされる必要があるとも思えない。
「常識的なことから深いお話までいろいろ伺った」
「へえ、神殿長がそんなふうにするというのはあんまり聞かないな」
「そうだな」
ルー=フィンは同意し、思い出すようにした。
「まるで教えを受けているかのようだった」
「ふうん」
何だろうな、と何も気づかぬまま彼らは言い合った。
「俺の方は、これから西の国境だ。んじゃな」
「ああ」
そうして青年騎士たちは自然に片手を上げ、自然に分かれた。