06 きっと何かある
「タイオス! 何を言い出すんです」
ハルディールは心の底から驚いた顔を見せた。
「あなたがあまり長の滞在を好まないことは判っているつもりですが、それにしたって」
〈白鷲〉が言うのは、明日の朝という話ですらなかった。支度でき次第、すぐにと。
「もちろん、シリンドルを嫌ってる訳じゃないさ」
言うまでもないが、と彼は左肩をすくめた。
「ただ、テレシエールについてってみるのもよさそうだと思ってな。いや、盗みを働こうってんじゃないぞ」
タイオスは簡潔に、一味に隻腕の先達がおり、少し一緒に過ごすだけでも教わることが多いだろうと思ったということを説明した。
「奴らはさっさと、半刻もしたら発つと言うから、俺もそれに便乗して」
「早すぎます」
ハルディールは悲鳴のような声を上げた。
「せめてあと三日、いえ一日でも」
「おいおい、ハル。しっかりしろよ」
おどけて彼は片手を上げた。
「平時に〈白鷲〉は必要ない。だろ?」
「――タイオス……」
ハルディールはきゅっと眉根を寄せた。それはまるで涙をこらえるかのようだった。彼はそんな少年に笑いかけ、近寄るとその頭を子供のように撫でた。
「もっとも、俺はもうお役ご免かもな。護符は粉々にしちまったし」
「そうはいかないわ」
黙って弟と彼のやり取りを聞いていたエルレールがそこで進み出た。
「これはいまも、あなたのものです。ヴォース・タイオス殿」
彼女は残されたもうひとつの護符を彼に向けて差し出した。タイオスはじっとそれを見て、だが首を振った。
「気持ちは、嬉しい。しかし、受け取れん」
「あら。もう関わるのは嫌だということ?」
片眉を上げてエルレールは問うた。タイオスは苦笑した。
「そうは言わないさ。ただ……」
「何も私情から言っているのではなのよ。私には判るの。これはいまでも、あなたに属しているわ」
巫女姫は進み出ると戦士の左手を取り、その掌に菱形をした大理石製の石を乗せた。その瞬間、石はかすかに、光ったように見えた。
「ほら、ね?」
満足そうにエルレールは言った。タイオスは少し躊躇い、それからきゅっと護符を握り締めた。
「それじゃ、もう少しだけ、預かっておくことにするか」
〈白鷲〉は答えた。ハルディールも、そこで笑みを見せた。
「そろそろ支度にかかる。テレシエールには話を通してあるが、もたもたしてるとさっさと行っちまいそうだからな」
「そうですね、置いていかれないためには早くした方がいいでしょう」
知ったように言ったのはイズランだった。タイオスは顔をしかめる。
「お前に言われる筋合いはないんだが」
「そうでしょうか?」
魔術師は肩をすくめた。
「タイオス殿、あなた、忘れてません? 私がどうやってテレシエール一味を参戦させたか」
「……う」
「思い出したようですね。そう、私は彼に、アル・フェイド国内でかかっている彼の賞金を取り下げる約束をしました。そしてそれだけじゃない、仕事の話も」
「仕事だって?」
ハルディールは目をしばたたいた。
「彼の仕事と言うと……」
「ええ、盗賊業ですね」
イズランはうなずいた。
「ただし、一般的な盗賊とは少し違う。人から盗むことに変わりはなく、罪は罪なんですが、盗まれた側も後ろ暗いところがあるんです」
彼はざっと、〈テレシエール一味〉の特徴を話した。
「テレシエールは、そうした連中の尻尾を掴む能力に長けている、ということにもなる。実はわたくし、ひとりふたり、尻尾を掴みたい相手がいるんですよ」
にっこりとイズランは言った。ハルディールは口を開けた。
「つまり、彼らは私の依頼を受けるんです。もっとも、銀貨での報酬は断られました。情報同士の等価交換なら応じる、とね。彼は飼われるつもりがないようで」
「だが行き先はアル・フェイル、しかもお前の指定先、か」
タイオスはうなった。
「どうでもいいじゃありませんか。タイオス殿には関係のないことでしょう」
「まあ、確かに、ない」
彼は認めた。
「ただ気に入らないだけだ」
「おや。それじゃ取りやめますか」
魔術師は首をかしげた。
「アル・フェイド近くまでいらっしゃれば、お見せできるものもありますけれど」
「何を見せてくれるって言うんだ?」
胡乱そうにタイオスは尋ねた。イズランはそこで神妙な顔を見せた。
「――ティエ殿の身体は、魔術師協会で保管してあります。正直、ソディエの術を調べるためですけれど、タイオス殿はお会いになりたいかと思いまして」
「何……」
彼は虚をつかれた。
「ある、のか。溶けて……ないのか」
「大丈夫です」
魔術師は確約した。
「生憎と、形がそのままだというだけで、元に戻るということは……ありませんが」
いささか言いにくそうに、しかし明確に魔術師は言った。タイオスは痛みをこらえるような表情を見せた。
「そう、だな。まあ、判ってるさ」
「そのままの形」。それは却って、対面がつらいようにも思った。だが、聞かなかったことにするという選択肢は彼の内には浮かばなかった。
「判ったよ。当座はお前さんの望む通り、アル・フェイド方面へ」
彼は北東の方を見やった。そして、固まった。
「何をしている、タイオス」
部屋の片隅で、黒い髪をした子供が〈白鷲〉を呼んだ。
「おま……」
タイオスが呆然とする間に、すっと子供は振り返り、北東を指した。
「――急ぐといい」
その言葉を残し、子供の姿はかき消えた。
「これは、また」
イズランは目をしばたたいた。
「またお目にかかれるとは望外の喜びで」
「お前を喜ばせるためじゃないことだけは確かだが」
両腕を組もうとして、できなかったことに気づいたタイオスは、あごを撫でてごまかした。
「道を示した、な」
そっと彼は呟いた。
「いままでは……先導してきたのに」
最初はハルディールに巡り合わせた。その次はやはりハルディールを探させた。ルー=フィンを二度、追わされた。先ほどはジョードを含むテレシエールたちと遭遇させ、ライサイの居場所を教えた。
それらは全て、シリンドルを守るための指示だった。
では、いまのは。
「イズラン!」
「はいっ!?」
急に大声を出されて、魔術師は驚いた。
「テレシエールとの合流はあと回しだ、いますぐ、俺を連れろ」
彼は北東を見据えた。
「ティエの、ところへ」
「……考えて、いえ、望んでいることは判るようですが」
イズランは首を振った。
「下手な希望にすがることのないよう、申し上げておきます。氷化した時点でティエ殿は」
「きっと何かある」
彼は言い切った。
「方法があるんだ」
「護符に、そうした力はないと思いますよ。あれは未知数ですが、やはりシリンドルのために働くもので」
「うるさい、そんな単純な期待はしてない。だがガキは、急げば何かできることがあると言ったんだよ」
タイオスはイズランの前に歩み寄ると、その胸ぐらを掴んだ。
「やれ、いますぐ!」
「はいはい、判りましたよ。でも正直、難しいと」
「ごたくはいい!」
「はいはい」
魔術師は降参するように両手を上げた。
「じゃな、ハル。エルレール殿下。……アンエスカ」
言いたくはないが、一応、つけ加えてやった。
「またいつか、機会があれば。できれば」
「平時に、平時のままで」
アンエスカが続けた。タイオスは口の端を上げた。
ハルディールとエルレールは揃って祈りの言葉を口にし、神の祝福を願った。
そうして〈シリンディンの白鷲〉は、実に慌ただしく、シリンドルをあとにした。