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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第4章
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12 使わぬ剣

「こいつぁ、ご立派な剣だ。そのはずだ。何度も剣を失うのなんかご免だし、しっかり頼むぜ、神サマ」

 そしてきちんと覚えていない、〈峠〉の神の印を適当に切ると剣を振り上げた。

「俺がとどめを刺してやらあっ!」

 叫びざま地面を蹴り、目標に武器を振るう。のろのろとした死体は避けることなど思いつきもしないように、左肩から右脇腹へ、慣れぬ者は目を背けたくなるような深手を負った。

「くくく」

 だが死体は、案の定と言うのか、ただ衝撃に後退したばかりで倒れることはなかった。

「無駄だ、白き鷲」

 再びその口が気味悪いほど大きく開けられ、煤が飛び出した。やはりタイオスも反射的に剣を上げ、しかし肝が冷える思いを味わう。

 聖なる力を宿らせた剣は、魔物の術に耐え得るか。

(――信じろ!)

 〈白鷲〉は祈った。ぽうっとかすかに、剣が光ったように思えた。

 しかしそれは、神の力と言うには何だか覚えのあるもののようだった。

(ハル)

(ルー=フィン)

 不思議なことに、感じたのは彼らの気配だった。

(いや、何も不思議じゃないか)

(ここの神様の加護を受けるに相応しい血筋だ)

 〈白鷲〉は、もしかしたら「王家」を守るために任じられるのではないか。何度も浮かんだ考えに近い思いが、またしてもふっと浮かんだ。それは引いてはシリンドルを守ることになる。

 そして彼らも、ただ守られるだけではない。民のために戦い、神に祈って――〈白鷲〉をも守る。

(連中あっての俺)

(――〈シリンディンの白鷲〉だ!)

 何だか不意に、腑に落ちた感覚があった。

 湧いた。何かが。

 勇気と言われるようなもの。誇りと言われるようなもの。彼らがついていれば勝てるという、勝利の確信のようなもの。

 掲げた剣は、崩れることも砕けることも、汚れることすらないままで、奇妙な煤を防いだ。

「これでも、無駄かい?」

 彼は口の端を上げた。

「まあ、そうかもしれんさ」

 剣の柄を握り直した。

「こうすれば!」

 そのまま力を込め、ろくに動かぬ死体の首を叩き斬る。ぼとりと頭部は地面に落ち、身体は膝を崩した。

「いいんだ」

 戦士は休まず、エククシアに対したのと同じことをした。つまり、残虐で血に飢えた戦士と思われることを厭わず、転がった頭部を更に突き刺した。

「ろ!」

 二度もびびってやるもんか、とばかりに彼は鼻を鳴らした。

「成程――そうしてエククシアを殺したか」

 生首は、まだ喋った。

「この野郎」

 タイオスは頭を足蹴にして剣を抜くと、再び突き刺した。

「く、くくく」

 首はまだ笑った。

「エククシアは死した。我の身体もだ。だが白き鷲よ、これは人間の身体だ。幾度そうしたところで、滅しはせぬ」

「それじゃ燃やして灰にしてやるさ」

 彼は言った。

「イズラン! 火だ!」

「人体を灰にするほど強い火を作れと言うんですか?」

 魔術師は顔をしかめた。

「できないとは言わんだろ」

「できますが、少々時間を……」

「いや」

 すっと進み出たのは、ヴィロンだった。

「人を冥界に送るのであれば、それは私の仕事だ」

「おい、引っ込んでろ。お前は」

「私の仕事だ」

 ヴィロンは繰り返した。

「コズディムよ……」

「どれだけ祈ろうと、お前の神はお前に応えぬ」

 死んだ魔物が言う。

「真実に目を閉ざすな、クライス・ヴィロン。お前にはこちらへくる資格がある」

「黙れ」

 神官は印を切った。

「悪しき魂の誘いに耳は貸さぬ」

 きっぱりと彼は言った。

「力を得るのであればそれも神の導きと思った。だがそうではない。こうして死者の道行きを妨げる者は、神の使いにはなり得ない」

 ヴィロンは聖句を唱えた。

「アスト・コズド・ラムラマダ。ラファランよ、哀れな魂はここにいる……」

「クライス・ヴィロン」

「黙れ、と聞こえなかったか」

 今度はタイオスが言った。

「俺ぁ好きじゃないんだ、こういうのは。死体を辱めるみたいだからな。だが」

 戦士は再度、剣を引き抜いた。

「やらざるを得ん」

 顔をしかめて、タイオスはまた頭を蹴り転がすと剣を口のなかに突っ込んだ。

「これで喋れなかろ」

 ヴィロンの聖言が続く。アトラフの頭はそれでも何か言おうとしていたが、もはやほとんど音にすらならなかった。

「――タイオス」

「あ、ああ、すまん」

 ミヴェルのかすれるような声に、彼は謝罪の仕草をした。

「腹にガキがいるんだったな。妊婦が、いや、戦いに不慣れな人間が見るもんじゃない。ジョード、見せるなよ」

「いや、俺も向こうへと言ったんだが」

 ジョードは困ったようにミヴェルの手を引いた。ミヴェルは首を振った。

それは(・・・)何だ(・・)?」

「ん?」

 彼女が何について尋ねたのか戦士は判らず、首をかしげた。

「タイオス」

 続けて、誰かが彼を呼んだ。やらざるを得なかったとは言え、決して崇高ではない。謝罪しようとして彼は振り向き、そこで動かしかけていた片手をとめた。

 その先には、黒き〈杭〉があった。

 それは変わらず、禍々しく、白く燃えていた。

「――ガキ」

 戦士は呟いた。〈杭〉の向こう、ちょうど彼と反対側に、黒髪の子供が立っていた。

お前は(・・・)ここだ(・・・)、タイオス」

 子供はまた言った。その小さな手は〈杭〉を指していた。

「何?」

 彼は目をしばたたいた。

「神官の声を聞け」

 子供はヴィロンを見た。

「何も案ずるな。祈りを続けるのだ」

「異教の――神の使いなどに」

 彼は呟いた。

「指示は受けぬ」

「お前な。そんなことを」

 言っている場合かと非難しようとしたタイオスだったが、すぐに口をつぐんだ。ヴィロンは反抗して祈りをやめたりはしなかったからだ。

 しかし、それだけではない。

(こいつ)

(気づいたな。誰も何も言わなかったのに)

(このガキが、何者か)

 ヴィロンの神力が戻った、或いは戻ろうとしている。タイオスはその可能性に気づき、期待した。

(こいつはライサイの誘惑をはねのけた)

(コズディムへの冒涜を許さなかった)

(これは)

 行けるのではないか。彼は、期待を高めた。

(それにしても)

(俺はここだ、とは?)

 先ほど〈峠〉の上で子供が指示したのは、その場に残れということだった。彼はテレシエール一味に出会い、イズランの力を借りはしたが彼らを戦力としてここに連れた。

(ガキの目論見は、もうひとつ)

(ジョードとの、いや、ミヴェルとの再会、か)

 ミヴェルは何を言った。

 月岩。金属。エククシアは触れることができるが、ライサイには触れられぬと言う。

 エククシアは半魔であるが故に可能だった。純粋な魔物であるライサイには、危険な。

 危険なもの。

 タイオスは考えた。

 何故、彼は――。

それは(・・・)

何だ(・・)?)

「……そうか」

 つながる。そう感じた。

「悪しきものよ」

 ヴィロンが低い声で言う。

「人の子の魂を解放せよ。人の子はラファランが導こう。魔は闇の世界へと還るがよい!」

 ひときわ、祈りが強くなった。ずっと見ていた――見守っていることしかできずにいた者たちが驚いたことに、そのときタイオスは、光の剣を捨てた。

「俺自身、何でかよく判ってなかったんだが」

 ぼそりとタイオスは呟いた。

「俺には普段、こうした習慣、ないからな。いや、きれいごとを言うつもりはないんだ。ぶっちゃけて言って、財布なら抜くこともある。死人に金は要らないからな」

 ぶつぶつと彼は続けた。

「だが、一応仮にも、戦士の魂とも言われるしな。剣を盗んで売り払おうと思うほど落ちぶれちゃいないし、集めて戦績自慢をする趣味もない」

 くるりと彼は、それを抜いて回した。

「アンエスカから代理の一本を借りたとき、その時点で捨てちまえばよかったじゃないか?」

 そしてその細い柄から刀身をためつすがめつする。

「魔物の、剣なんざ」

 どうしてか、その場に置いていく気になれなかった。もちろんそんなところに捨てたってどうせ誰かが片付けなければならないのだし、それは十中八九騎士になるだろう。アンエスカであったなら何かとうるさいだろうが、小言を避けようと思ったのではない。「剣を放置するなど邪魔だし危険でもある」などと考えた訳でもない。〈峠〉の神殿の傍にあっては不敬だなどとも思うこともなかった。

 それどころかむしろ、置いてきてしかるべきなのだ。借りた剣は細剣よりも彼のいつもの得物に近く、奉納したの何のという事情を除いても彼が選ぶならそちらだった。もとより、イズランの術で峠から麓へのわずかな距離――だと、魔術師は言った――を移動したあとはすぐさま戦闘になると判っていた。使わぬ剣など持ってきて、どうなると言うのか。

「それはたぶん」

 彼は呟いた。

「こうなる、んじゃないかと」

 戦士は、魔物の剣をかまえた。

「コズディムよ! 力を!」

 神官が大きな仕草で印を切った。生首と身体がびくんと跳ねた。かと思うとそれは沈黙し、そこから何かが浮かび上がった。

 それは光にも見えた。朝まだき、薄暗い部屋に小さな窓から射し込む太陽(リィキア)の光のように、目に見えず、目に見える何か。

 もっとも「太陽の光」と言えるほどには明るくもなく、薄明かりという雰囲気だった。

 全身から洩れ出たそれは螺旋を描いてひとかたまりとなり、宙に浮いた。

 人魂(ウォクレ)、と言われるものをタイオスは見たことがなかったが、ふっと思い出したのはその言葉だった。

 螺旋はもうひとつ、描かれた。それは先の薄明かりと対をなすかのような闇だった。夕暮れ刻に、深い洞窟の奥をのぞき込んだかのような不安感を誘う、かたまり。

(アトラフと)

(ライサイ――なのか?)


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