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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第4章
189/206

11 この場は、〈白鷲〉に

 もはやミヴェルにあの日の刺々しさは見られず、彼女を狭い世界から救った男との暮らしがカヌハの「呪い」から彼女を解放していったことを知らせた。

「お前も、きてたのか」

 戦いの輪からは離れていたが、彼女はじっと見守っていた。

 自ら捨てた故郷の宗主が企んだ、怖ろしい出来事を。その前にひれ伏し、崇めた魔物が、悪夢のような姿となって消え去った様を。

 その顔色は死人のように青かったが、彼女はしっかりと両脚で立っていた。もっとも、隣で彼女を支えていた男もいた。

「おい!」

 と言ったのは、タイオスの隣にいたジョードだった。

「何だ、お前は。人の女に!」

「落ち着け、ジョード」

 タイオスは苦笑した。

「ありゃ、神官だ」

 説明してから彼は、黒髪のコズディム神官を見た。

「お前もきたのか、ヴィロン」

「起きていることを見届けるべきだと考えた」

 淡々とクライス・ヴィロンは言った。

「こちらのご婦人には避難するように言ったのだが、彼女もまた見届けねばならぬのだと判ったため、共にいた」

「そうか」

 タイオスが話を聞いてうなずく間に、ジョードはつかつかとふたりに近寄ると、ヴィロンを少し睨みつけてミヴェルを助ける位置を代わった。

「しかし思いも寄らなかったな」

 こんなところで再会とは、とタイオスは呟いた。

「ラスカルトで真っ当な仕事を得たが、ジョードがしくじって、逃亡せざるを得なかったのだ」

 ミヴェルは淡々と言った。

「あっ、あれは俺だけが悪い訳じゃ……まあ、いまは、そのことはいいが」

 ぶつぶつ言いながらもジョードは引いた。

「それより、参考というのは?」

 イズランが促した。ミヴェルはうなずいた。

「私が、〈館〉……カヌハにある大きな建物のことだが、そこにいた頃」

 少し言いづらそうにしながら彼女は話をはじめた。

「ライサイ様……ライサイ、が」

 首を振って彼女は言い直した。ジョードが子供にするように頭を撫でた。

「月岩から生まれる特殊な金属について話していたのを聞いたことがある」

「特殊な金属? 岩から生まれるだって?」

「〈月岩の子〉……つまり〈青竜の騎士〉も月岩から生まれたと言われている。竜の形をした、特別な岩なんだ」

「信仰の対象でもある、というところですね」

 イズランが補足した。

「もっとも、彼らはライサイを崇めていたようなものですから、ライサイの力の象徴と言う方が近いかもしれません。おそらく、その岩には金属が含まれるのでしょう。それと同等の金属を『月岩から生まれた』と言う、と考えることはできます」

「月岩から生まれたものは強いんだ」

 ミヴェルはとつとつと言った。

「エククシア――様……も」

 きゅ、と彼女は唇を噛んだ。ここの呪縛は、まだ解けぬようであった。ジョードは気遣わしげな視線を送った。

「特別なお方だから、特別な金属を持つことができると聞いた」

「うん?」

 よく判らんな、とタイオスは眉をひそめた。カヌハのライサイ、エククシア信仰については知っている。彼らを特別だ特別だと言い立てるのは、カヌハであれば何も不思議なことではない。

「それが、どう」

「ライサイでは、その金属に触れられないと言うんだ」

 ミヴェルは告げた。

「とても危険なもので、〈月岩の子〉にしか操れないと」

「月岩の……つまりエククシアにしかってことか」

 エククシアに操ることのできる、ライサイに危険なもの。

 タイオスは両腕を組んだ。

 何か、引っかかる。

(だが)

(ライサイにだけ効く特殊な金属が存在したとしても、その身体はもう灰となってるんだし、いまから掘り出して精製したところで意味がない――)

 そこまで考えたとき、何かが視界の端で動いた。タイオスははっとした。

「ミ……ヴェル……」

 ソディの女を呼ぶ声がした。

「ミヴェ……ル。ミヴェ、ルゥ……」

「な」

「ちっ、てめえは人間だったんじゃないのか!?」

 タイオスは剣をかまえた。

 ゆらゆらと起き上がったのは、レヴシーによってその命を奪われたはずの男だった。

「許……さ、ない」

 死人の視線は、ジョードの上に定まった。

「お、おい」

 元盗賊は引きつった。

「何だよ!? 俺ぁ、お前に恨まれる筋合いなんか」

「パンファ殿……いや」

 ミヴェルは呟いた。それは彼女の知る姿だった。

「――アトラフ、殿?」

 アトラフとは似ても似つかぬ、それはパンファという〈しるしある者〉であるように見えた。だが彼らと二十年超の時間を同じ「館」で過ごしたミヴェルには、それがパンファではなくアトラフであると感じられた。

「ちょ、ちょっと待て。何だって?」

 聞き覚えのある名と知らない姿に、ジョードは目をぱちくりとさせた。

「どうなってんだいったい。さっきまで、死んでただろ?」

 戦士はうなった。

「くく、く」

 ぞっとするような笑い声が死体の口から洩れた。

「捨てたつもりの駒が、思わぬ役に立ったようだな?……ミヴェルよ」

 その言葉に、ミヴェルは白かった顔をますます白くさせた。

「ライサイ……様……」

「何ぃっ」

 タイオスはふらふらと立つ死体をギンと睨みつけた。騎士たちも一斉に、剣を抜いた。

「ミヴェル。お前が、ここにいた、そのことがアトラフの未練を、呼び起こした。消え去るところであった――をつなぎ止め、我を、つなぎ止めた」

 死体は笑い続けた。

「ミヴェル」

 そしてまた、彼女を呼ぶ。

「来い。アトラフへの褒美に、お前も〈杭〉に入れ込んでやろう。しるしある女であれば、フィレンともども、永遠に続く幻夜の幕開けに相応しかろうからな」

「く……」

 ミヴェルは両の拳を握り、きつく目を閉じて、絶対の存在であった宗主の言葉を聞かぬようにした。ジョードも顔色を悪くしていたが、愛しい女を守るべくその場にとどまり、彼女を支えた。

 だが彼にできるのは、喋る死体に怯えず、睨みつけてやることくらいだ。剣を取って戦うこともできたが、決して得手ではない。

 その代わり、ふたりを守るように、その前に騎士が立つ。ユーソアだった。

「下がっていろ」

 彼は言った。

「この場は〈シリンディンの白鷲〉と、騎士に任せて」

 ミヴェルの足はすくむようだったが、ジョードはこくりとうなずき、ユーソアの言葉に従って彼女を抱き寄せると少しずつその場を離れた。

「化け物め」

 ユーソアは油断なく剣をかまえた。

「くくく」

 死体は不気味に笑う。

「まだ終わらぬ。手はじめにお前から(にえ)となるか。騎士の魂も、悪くない」

 言い終えると死体は、ぱかっと口を開けた。そこから煤のような黒い煙が、勢いよく吐き出された。

「なっ」

 驚愕しながらもユーソアは、反射的に剣でそれを受け止めようとした。煤は刀身にまとわりつき、それを一(リア)でぼろぼろに風化させてしまった。

「この……」

(剣が)

 青年騎士は唇を噛んだ。

(武器なしで、どうやって立ち向かう)

 それは少し前にタイオスが陥ったのと同じ混乱だった。そしてまたユーソア・ジュゼも、ヴォース・タイオスが出したのと同じ結論に行き当たる。

(手も足も)

(まだある!)

「守るさ」

 彼は呟いた。

「でなきゃ俺は、何のために」

 彼の背後にいるのは、シリンドルの民ではなかった。だがそのようなことは関係ない。あのとき何かできたかもしれない、などと後悔するのはもう真っ平だった。

(ここでびびってちゃ、合わせる顔がない)

(ニーヴィスに)

(――メリエーレに)

 騎士は両手を広げ、守ろうと決めた者たちの前に立った。

 命を賭けるとか、死を怖れないとか、そんなことを考えてはいなかった。

 ただ、守るために。

 光なく、焦点の合わない死体の目が、それでもユーソアを見たように感じられた。

「お前も下がれ、ユーソア!」

 タイオスは怒鳴った。

「ルー=フィン! 下がらせろ!」

 言ったところで引きそうにないと見ると、銀髪の騎士に指示を出す。ルー=フィンはうなずき、ユーソアに駆け寄った。

「よせ、ルー=フィン」

 ユーソアはかすかに顔をしかめた。ルー=フィンは首を振った。

「お前はひとつ、間違った」

「何だと?」

「この場は、〈白鷲〉に」

 〈シリンディンの騎士〉も出る幕ではないと、銀髪の若者は言った。

「は、そう言われちゃな!」

 タイオスは口の端を上げた。

「そうさ、ここは俺が」

 自分がどうしようと言うのか、自らも決めかねるままでタイオスは叫んだ。

「ええい、ままよ」

 戦士は剣を握りしめた。


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