10 滅していない
「――そっちじゃねえ、そっちから行け! そうだ、とにかく動けよ! 複数でかかれ、一対一なんて格好いい真似は俺や騎士どもに任せてな!」
乱暴な声のなかに、聞き覚えのあるものが混じった。
「タイオス」
ハルディールは顔を輝かせた。
タイオスの振り上げた剣が、まるで光を帯びているかのようにきらめいた。それはアンエスカが矢と一緒に神殿から取り出した剣の一本だったが、そのことを知ろうと知るまいと、光の剣は神々しく見えた。
「みな、〈白鷲〉だ! 神の騎士がいる、奮い立て!」
王の言葉に、消沈しかけていた兵士たちも再び勢いを取り戻した。
「おいジェレンっ」
中年戦士は盗賊の長に呼びかけた。
「いま忙しい! 話しかけるな!」
「馬鹿言うな、てめえで夢中になってないで、部下をちゃんと操れよっ」
「阿呆、俺の可愛い手下どもは兵士じゃないんだ、指示なんざやらんでも勝手に戦う」
「あのな、普通はそうでも」
相手は魔物だとか何だとか言おうとしたタイオスだったが、言わずもがなであることに気づいてやめた。
「タイオス殿がね、彼らを買ったんですよ。と言うか、私に買わせたんですよ。彼らは確かに盗賊ですが、ちょっと特殊な一団だと判ったので」
「特殊とは?」
〈白鷲〉を頼もしく見つめながら、ハルディールは問うた。
「テレシエール一味、と言いましてね」
イズランは顔をしかめた。
「予告をして金持ちから盗む、変わった連中なんです。街町に出没しますが、山野に暮らすことも多いようで、化け物にもそれほど怯みません」
もっとも、と彼は言った。
「私もタイオス殿もテレシエールの顔は知りませんでしたし、所詮、盗賊だと考えていました。交渉可能だ、ということになったのは彼のおかげで」
ちらりと魔術師は、戦士の近くにいるひとりの男を見た。
「――しかしお前」
タイオスは言った。
「何でまた、落ちぶれてるんだ? 盗賊稼業からは足を洗うと言ったじゃないか」
「これにはいろいろ、事情ってもんが」
ぶつぶつと男が言う。
「まあ、話はあとだな」
タイオスはにやりとした。
「嫁のためにも生き残れよ」
「もちろんだ。子供もできたっていうのに」
「おっ?」
戦士は片眉を上げた。
「ますます死ねんな。適当に引っ込んどけよ、ジョード」
「おう」
濃い色の肌を持つ盗賊はにやりと口の端を上げた。
そうかからぬ内に、事態はアンエスカの予測した通りとなった。
盗賊たちが騎士より活躍するということはさすがになかったが、明らかに人数が増えたことと、そして結果的に挟撃となったことが、形勢をひっくり返した。
ソディエらは魔術師のように移動が可能だが、個々で場所を移ることはしても、また改めて人間を囲むようなことはしなかった。
ついていけば利のある扇動者――ライサイ――のいないいま、魔物たちが互いに協力し合うことは、なかったのだ。
「……これは」
ハルディールは呟いた。
「レヴシー、どうやら」
「減って……ますね」
少年騎士は目をしばたたいた。
「奴ら――逃げ出した」
挟撃の外側に一旦移動し、攻撃を再開するソディエもいたが、姿を消したまま二度と現れないソディエもいた。一体一体と個体数は減っていき、明らかに数が少なくなったと判ったときには、もちろんと言おうか、残って最後まで戦おうとする魔物はいなかった。
「ソディエ族」のことを人間に知られていれば厄介だ。
だが「一族」のために命をなげうってもよいと考えるのは、ごく一部の人間だけだ。崇高な心を持つか、はたまたそう思い込むよう育て上げられてきたかというような違いこそあれど、人間のものだった。自らを犠牲にしてでも他者を救うという気性は、魔物には存在しない。
戦闘は、唐突に終息を迎えた。
いつしか灰色のローブを身につけた人外の姿は、一体残らず、消え去っていた。
人間たちは喜んだり安堵したりするよりもきょとんとして、きょろきょろと辺りを見回した。
もはやそこに、魔物の姿はない。
静寂は突然やってきて、再び暴れ出すことはないようだった。
だが彼らはなかなか武器を下ろすことができず、何が起きたのかと問うように互いに目を見交わしあった。
「いない」
「いなく、なった」
「終わったのか……?」
確認するように呟き合い、そしてようやく安堵と、喜びと、それから氷像と化した仲間への哀しみの声が洩れた。
騎士たちはまだしばらく警戒していたが、実際、魔物たちの気配は完全にかき消えている。盗賊には不審な表情を浮かべたものの、大丈夫だと言うように手を振るタイオスを見て、彼らに剣を向けはしなかった。
「どうやら、地上は片づいたみたいだが」
騎士や少年王たちと集まると、戦士は顔をしかめた。
「おい、イズラン。あれはどうするんだ」
彼は天上を指した。
そう、まだ「終わった」とは言えなかった。ソディエたちが消え去っても残る――黒い太陽。
「昼」はまだ、彼らの上に戻ってきていなかった。
「知りませんよ」
魔術師はすげなく言った。
「おいっ」
「ああした現象は、十分もすれば終わるはずなんです。もうそんな時間はとっくに過ぎてる。そこの〈杭〉も消えていないということはまだライサイの力は残っていると見るべきです」
「だが、灰と化した」
ルー=フィンが言った。
「これ以上、どうしろと言うのだ」
彼は知らず、ハルディールと似たようなことを口にした。
「どうしたもんでしょうねえ」
イズランは肩をすくめた。
「壊せないのか?」
ユーソア。
「触れられもしない」
タイオスが答えた。
「どういうことだ」
ルー=フィンが問う。
「どうもこうもない、やってみりゃ判る」
つかつかと戦士は〈杭〉に近寄り、峠の上でやったのと同じことをしてみせた。彼の手はそれを通り抜け、知っていたアンエスカ以外は驚きの声を洩らす。
「叩き壊せるなら簡単だが、見ての通り、そうはいかない」
「イズラン術師も、判らないと言うのだな」
ハルディールが確認した。イズランは申し訳なさそうに認めた。
「通常の魔術でしたら、相殺するやり方はいろいろとあります。ですがこれはわれわれの操るものとずいぶん異なっていますし、通常は、術者が死ねば」
「通常じゃないってこたあ判ってんだ。通常の例をどれだけ出しても」
無意味だ、と言おうとしてタイオスはうなった。
「作った奴が死ねば消える、とガキは言ったんだぞ」
黒髪の子供は確かにそう言った。
いや――。
「ちょっと違ったような。だが、言い回しが違うだけで……」
「滅すれば消える、と言いましたね」
イズランが指摘した。
「力を借りるには代償が必要だ、とも」
全て聞いていたと告白した魔術師の言葉にタイオスはいまさら何も苦情を言わず、ただ両腕を組んだ。
「神様は、俺に首くくって死ねとでも言うんかね」
「タイオス! 何てことを」
ハルディールが顔をしかめた。冗談だと言うように彼は手を振った。
「俺は命でも何でも捧げる覚悟さ。そんな顔すんな、別に悲壮な決意じゃない。戦士なら命の勝負をするのは当たり前のことだ」
何でもないように、彼は続ける。
「それに加えて、騎士ならな」
〈白鷲〉の言葉にアンエスカは片眉を上げたが、片腹痛いなどとは言わなかった。
「だが実際、俺がここでのどをかっ切って何か解決になるとも思わんね。あのガキの助言が曖昧で中途半端なのはいつものことだが、俺に死ねと言ってるようには聞こえなかった」
「ライサイは灰と化したが、作り手は滅していない」
言ったのはルー=フィンだった。
「話をまとめると、そういうことか」
「ガキの言によると、だな。だが、あの黒い柱を作り出したのはライサイだぞ。俺ぁこの目で見てたんだ」
「ではライサイが滅していない」
ルー=フィンは更にまとめた。
「灰と化しても」
「……墨色の」
タイオスはうなった。
「フェルナーやリダールやハルが行った、実体を伴わない、狭間の世界」
彼も二度行った。いや、実体を伴わなかったのは、一度だ。
「あの場所に身体は必要ない」
肉体を失っても消え去らなかったフェルナーのように。ライサイもそこにいるということではないか。タイオスはそんなことを言った。
「ですが、行こうと思って行ける場所ではないですよ」
魔術師はおおよそのところを理解して、首を振る。
「だいたい、『魂』と言われるものごと滅するなんていうのは、人間にできることじゃないですね。神官だって、冥界に送り込むだけです」
「だがそれじゃ、ほかにどんな手があるってんだ」
「――参考になるものか、判らないが」
不意に、女の声がした。彼らは一斉に振り向いた。
そこには、ひとりの女が青白い顔をして立っていた。
「ミヴェル」
タイオスは目を見開いた。それは確かに、かつてライサイとエククシアに仕え、リダールを拐かしたソディ一族の女だった。