07 お守りします
〈シリンディンの騎士〉の技能は高い。しかし、そうは言ってもただの人間だ。素人目には魔法のごとく見える剣技を繰り出したところで、それは魔法ではない。
ライサイが現れるまで、ルー=フィン隊は二十名ほどのソディエに善戦していた。だがそれはあくまでも躊躇なく混戦に持ち込んで例の術を封じた成果だ。
頭数の倍以上増えた魔物らに対し、倍に足りない人数と騎士がふたり加わった程度で、劣勢が優勢になるものではない。
中心に〈杭〉とライサイ、その近くにルー=フィンと彼の率いた僧兵、離れてソディエの輪と、そしてハルディール、ユーソア、レヴシーら。
それは奇妙な布陣となった。いちばん外側のハルディールは全体を囲んだり圧力をかけたりできるだけの数を持たず、いちばん内側のライサイは一見したところ追いつめられているかのようだが実際には違う。
人間が魔物を一体倒す間に魔物は人間を一名から二名氷化する、戦況はそうした様相を見せた。ハルディールの姿は彼らを支え、勇気を奮い立たせたが、それだけでもあった。
「くそっ」
少年王は、まるでタイオスのように罵倒の言葉を口にした。
「僕は、死者を看取るためにやってきたのではない!」
ハルディールは叫ぶと〈コラーレ〉号の手綱を強く握った。
「あっ、陛下っ」
レヴシーの制止もむなしく、ハルディールは馬を駆り、ソディエの輪を抜けて陣のただ中に乗り入れた。
「陛……レヴシー、行け!」
「おうっ」
少年が王に続く間に、ユーソアは三度弓から矢を放つ。それはまたしてもライサイに命中した。
「俺もなかなかだな」
青年騎士は嘯いた。
「愚かな」
しかしライサイは、痛みを覚えてすらいないように首を振った。昨夜とも異なり、不意を突いたと思われる一本目ですら、ライサイには何も影響を与えていないようだった。
魔物が手を動かすと、その矢は見る間に黒く焦げて落ちた。
「手駒どもよりも先に死にたいと申すか。若さか、幼さか」
そう遠い距離ではない。ハルディールはすぐライサイの声が聞こえるところまでたどり着いた。
「ハルディール王よ、お前は金の太陽のごとくシリンドルを照らす役割を持っているようだ。白き鷲も銀の鳥も、その下で舞う」
魔物は言った。
「だが見るといい。太陽はもはや黒く染まり、二度と金の光を取り戻しはしない。お前の光を覆い隠すにフェルナー・ロスムでは力が足りなかったようだが」
ライサイが手を振った。ひゅんと走った目に見えぬ刃が、少年王の振り上げた腕に痛みを走らせた。
「つ」
彼はそこが、まだ消えぬ浅い傷跡と同じ位置であることに気づいた。月のない夜、捕らわれてつけられた、左手の切り傷。
「もとより、しばらく遊ばせたあとはこうするつもりでいた」
ライサイが呟くように言う。
傷ついたハルディールの左手を取ったのは、彼の隣に突如として現れた見知らぬ人物だった。ただ彼の目に入ったのは、男の顔面の大半を覆った銀色の鱗。
少年王は〈しるしある者〉のことを知らずにいたが、ルー=フィンはすぐに気づいた。
「アトラフ!」
その男は三度違う顔をしていた。しかし、その身体を操る魂の気は、これまでのふたつの身体にルー=フィンが見覚えていたものと同じだった。
「――今度こそは」
ぎらりと、その目が光った。
「それを俺の身体にしてやる!」
二度死んだ男は、ハルディールと〈血の契約〉を結ぶべく少年の腕を強く握った。
「放せ!」
ハルディールは〈コラーレ〉号を操り、彼を掴む手を振り払おうとした。
小昏い世界に、赤い血が舞う。
ハルディールと、宙に浮かんだアトラフの横を駆け抜けたのは、馬に乗った少年騎士だった。
「たとえ子供に見えたって、俺はおまけでもお荷物でもないんだ」
アトラフに斬りつけ、その血を飛び散らせたレヴシーは言った。
「〈シリンディンの騎士〉が三人もいるってのに、陛下に無体を働けると思ったら大間違いだからな!」
レヴシーは堂々と言い、アトラフは術を保てずに大地にひざまずいた。
「陛下、周りの雑音はお気になさらず。俺が必ず、お守りします」
「頼もしい」
ハルディールは笑みを見せた。
「まだ身体を使い慣れぬか」
ライサイはちらりとアトラフを見た。
「『次』の支度はできておらぬぞ。永遠に狭間に取り残されたくなければ、生き延びるのだな」
「は、ライサイ、様――」
「させるかよ!」
このままでは剣が届かない。レヴシーはぱっと馬から飛び降りると、アトラフに向かって剣を振り上げた。
「小癪な」
ライサイの指先がレヴシーに向けられた。
「え」
全身に走った痺れに少年は一瞬だけ怯んだ。だが身体が氷のようになってしまうこともなければ、動けなくなることもない。ライサイは不機嫌そうにまぶたのない目を細くした。
「聖札……いや、魔術師の守護術か。姑息な真似を」
イズランがレヴシーにかけた術は、防御を目的としたものではなかった。だが期せずして、それが少年騎士を守った。イズランの魔力がライサイの氷化術を乱したのだ。
「何だよ、脅かしやがって!」
少年はライサイの妖術とイズランの魔術が彼の周囲で一秒の戦いを繰り広げたことなど知る由もなく、顔をしかめると威勢よく叫んだ。と同時に剣を振り下ろす。
アトラフは避けようとしたが、焦った素人の動きは騎士に見破られていた。返す剣でレヴシーはアトラフののどを貫く。自らのものを含め、三体の身体を操った男は、遂に絶命するところだった。
「あう……」
アトラフの目がレヴシーを捕らえる。
「あ……」
言葉にならなかった声が、レヴシーには聞こえた気がした。
それは彼の知らぬ名だった。
「ライサイ!」
叫んだのはハルディールだった。
馬上にあっても、掲げた彼の剣はライサイに届きそうもなかった。だがハルディールは魔物に剣を突き刺そうとした訳ではなかった。
彼は大きく手を上げたのだ。
それはライサイが術を振るう様子に少し似ていた。
「射よ!」
王は命じた。ユーソアと、幾人かの弓兵が矢を放つ。
それは一見、繰り返しであるように見えた。ルー=フィンが、ユーソアが命中させたところで、ほとんど意味がなかったように思える攻撃。
そう考えたはずだった。
ライサイも。
とすとすと音を立て、練習用の的人形のように、ライサイに四本の矢が突き刺さった。魔物はこれまでと同じように矢を燃やしてしまおうとした。
だが――。