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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第4章

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02 お前自身がその価値を

「何ぃ」

 戦士は顔をしかめた。

「馬鹿野郎。そんな情報があるなら、騎士団長がこんなとこで何してやがる」

「言わせたいのか?」

 アンエスカはじろりとタイオスを睨んだ。

「〈白鷲〉が必要だ、と」

 タイオスは目をぱちくりとさせて、それからにやりとした。

「言わせたいね」

 にやにやと彼は続ける。

「ヴォース・タイオス様、とつきゃなおいい」

「調子に乗るな」

 アンエスカは苦虫を噛み潰した顔でぶつぶつと言った。

「ここへやってきたのはお前とエククシアの件もあるが、それだけじゃない」

 彼はちらりと神殿を見た。

「〈峠〉から稲光のような鋭い光が発せられたのを見たということもある。言いたくはないが、聖なるものとは感じられなかった」

正解(レグル)

 タイオスはうなずいた。

「あれで」

 彼は〈杭〉を指差した。

「あれを」

 続けて空を指す。

「つなぎとめるんだそうだ」

「何だと?」

「訊くな。俺も判らん」

 タイオスはうなった。

「あれが光ったとき、エククシアの野郎は、つながっただの何だのと言ってた。話から推測するに、カル・ディアルやアル・フェイルにいくつもの〈杭〉とやらがあるって感じだった。それらがつながって……」

 訊くなよ、とタイオスは間に挟んだ。

「食った命を共有する」

「いったい、どういう」

「訊くなと言ってるだろうが」

 彼は唇を歪めた。

「判らんもんは判らん!」

 開き直るように戦士は胸を張った。

「……いいだろう、あとだ」

 あとになって判るものかは怪しいが、とアンエスカ。

「魔物が作り出し、存続を企むものであるなら、我らとしてはその逆を行うべきであろうな」

「たぶんな」

 タイオスは同意した。

「ただ、ぶっ壊してやりたくても、触れもしない」

 彼は再び〈杭〉の近くに行くと、手が通り抜ける様子をアンエスカにも見せた。

「気に入らんが、イズランにでも見てもらうほかないだろうと思う」

 そこで彼は、こほんと咳払いをした。

「どうせ、いまも見てんじゃねえかという気もしてるんだが」

 苦々しく彼は言ったものの、魔術師が姿を現す気配はなかった。

「魔術師の助言なしで、こいつをどうしたらいいもんかね」

 彼は〈杭〉の前で両手を腰に当てた。

「クインダン、ここで見張りを」

「はっ」

「見張ってても意味はないだろ」

 青年騎士は敬礼して団長の命令を受け取ったが、タイオスは手を振った。

「仮に何かしらの変化があるとして、それに対処できる奴ってのはやっぱり魔術師か……神官」

 ヴィロンの名も浮かぶ。エルレールのことも。

「そうだな、いくらか時間はかかるが、お前らのどっちかが巫女姫を連れて戻ってくるのが無難じゃないか」

「それは」

 騎士たちは目を見交わした。

 彼らも似たようなことには思い当たった。それが国を守り民を守ることになるのであれば無論エルレールは賛同するであろうし、それが彼女の役割だ。騎士たちも反対はしない。

 だが、巫女姫を守るという任もソディエから町を守るという任もどちらも重要だ。エルレールをひとりにはできないが、魔物に立ち向かえる剣の数も減らしたくない。

 即断のできぬところだった。

「とにかく、一旦下りるか」

 戦士はとりあえず言った。

「たぶん、この場所は神様が守ってくれるだろう」

 適当なような信心深いようなことを言って、タイオスは手にしたものをためつすがめつした。

「ずいぶん丈夫な剣ではあるが、化け物の剣だと思うと使う気がせんな」

「お前の剣は」

「粉々」

 タイオスが簡潔に答えれば、アンエスカは呆れた顔をした。

「またか」

「うるさいな。護符が粉々になるよりましだろうが」

 自嘲気味に〈白鷲〉は返した。

「だがないよりはましだ。使い慣れん形状だが」

 彼は細剣を振った。

「ここは、追いはぎまがいのことをさせてもらうとしよう」

 そう宣言して、戦士は灰にならなかったエククシアの剣帯も拾い上げた。それを身につけて彼は神殿の周囲を見回すようにし――顔をしかめた。

「――おい」

 不意にタイオスは低い声を出した。騎士たちは彼を見たが、戦士の視線は彼らには向いていなかった。

「ようやく、お出ましか。よくもまあ、中途半端な手助けばかり」

 タイオスが見ていたのは、神殿の段上だった。

 いつからかそこに立っていたのは、黒い髪をした子供。そうした見せかけの姿を持つ、不思議な存在。

「おい、ガキ」

 彼は神の使いに、いつものように敬意もへったくれもなく呼びかけた。

「この国、ましてやこの場所は、お前の親父の縄張りもいいところだろう」

 黒髪の子供は何も「神の子供」ではなかったが、戦士は頓着しなかった。

「ただ黙って見てるだけか? 見守って、ちょっと危ないときにはちょっとだけ手を貸して――」

 言いながらタイオスは、理不尽なことを言っていると自分でも思った。

 そう、〈峠〉の神は助けをよこしたのだ。二度、三度と。それがなければタイオスもクインダンも、おそらくアンエスカもいまここに立っていない。

 それは「生きていない」という意味もあれば、「この場にやってこなかっただろう」という意味もあった。

 〈峠〉の神はクインダンを導き、アンエスカを連れて、タイオスを救い、エククシアを倒した。そう考えることはできるし、おそらく、そうだろう。

 だが思うのだ。「神」ならばもっと簡単に解決できるのではないかと。

 そして同時に、やはり思う。カミサマの助けなんか要るか、とも。

 この矛盾(レドウ)。いまだ、片づき難い。

 もしかしたら、ずっと。

「……あれは、どうしたらいい」

 戦士は糾弾をやめた。

「あの〈杭〉とやらのことだ。お前さんが出てきたのは、あれをどうにかするためじゃないのか」

 これは推測と言うより期待だった。

「やがて、消える」

 高い声で子供は言った。騎士たちははっとしたように頭を垂れた。

「まじか」

 一方で戦士は、やはりいつも通りだった。

「いずれ。お前たちの子々孫々の時代には」

「おいっ」

「いますぐ消したいのであれば、作り出した者を滅するしかない」

「まあ、そんなとこだろうと思ったさ」

 タイオスは口の端を上げた。

「なあ」

 それから彼は静かに続けた。

「――力は、借りられるのか?」

「代償が必要だ」

 子供は、簡単に答えた。

「代償だ?」

 タイオスは鼻を鳴らした。

「何を差し出せと? 命か? ()?」

 悪魔(ゾッフル)みたいだなと思いながら戦士は言った。お前の願いを叶えてやろう、その代わり魂を寄越せなどというのは、伝説に言う悪魔の契約だ。

「お前次第だ」

「はあ?」

「お前が差し出したものの価値が高ければ高いだけ、得られるものは大きくなろう」

「……俺が決めろってか」

 タイオスは子供の言葉を理解したが、供物については思いつかなかった。

「――やっぱ、俺にあるのはこの身体と命しかねえ。ライサイをぶっ潰し、灰色どもをシリンドルから……マールギアヌから、大陸から」

 少し躊躇したが、彼はつけ加えることにした。

「世界から追い払えるなら、俺の命くらい安いもんだ」

「『安い』ものでは、相応のものしか得られぬであろう」

 あっさりとした調子で子供は言った。

「何ぃ」

「お前自身がその価値を定める。安いと思うのであれば、それは安いのだ」

 黒髪の子供はいつになく長く語った。

「俺だって死にたい訳じゃねえぞ! 」

 それらのやり取りに、騎士たちは口を挟まなかった。アンエスカでさえ、タイオスの乱暴な口調を咎めなかった。

 彼らは知っていたからだ。

 これは〈シリンディンの白鷲〉と神の使者――ひいては〈峠〉の神シリンディンそのものとの、問答であると。

 たとえタイオスの言いようがどんなに不敬でも、アンエスカはいま、それを糾弾する立場にない。彼らはそれこそ、見守っているしかできなかった。

「持たないもんは差し出せん」

 タイオスはもっともなことを言った。

「俺にあるのは、俺だけだ。俺にとっちゃ『俺』は大した価値があるさ。だが他人にそれを認めろとは言えん」

 ゆっくりと、考えながら、彼は告げた。

「だが、もし何かしらの価値を認めるなら、好きに持っていけ。もっとも」

 タイオスはにやりと笑った。

「あんたの選んだ〈白鷲〉だ。価値がないとは、言わんよな」

 その言葉に、表情を見せぬ子供がかすかに笑った――ように見えた。

「ええい、笑っとらんで何かしらの答えを」

「タイオス」

 子供の声が言った。

「お前は、ここだ」

「あぁ?」

 〈白鷲〉は渋面を作った。

「何言ってやがる。俺にここにいろってのか? 馬鹿野郎、俺は忙しいんだ」

 彼は眉をひそめて言い放った。

「だいたいな、お前なりお前の親父なりがぱぱっと奇跡で片付けないから、俺たちがこうして」

「騎士は行け。お前は残れ」

 繰り返し、子供ははっきりと指示した。

「あのなあ。見張り役なら俺じゃなくても」

「お前だ」

 強固に子供は繰り返した。タイオスも繰り返し反対しようとしたが、口を開きかけて、閉ざした。

「――判った」

 まだ、何かあるのだ。この〈峠〉に起きることが。

 神の使いはそれを明確にはしないが、もはやいつものこと。黒髪を持つこの子供が彼にどこかへ行けの何のと言い出したときは、シリンドル王家の人間の命に関わることが多い。

 ならば、此度も。

 〈白鷲〉の返答を聞くと、黒髪の子供はかすかにうなずいて――姿を消した。

「ち」

 思わずタイオスは舌打ちした。

「どいつもこいつも。すぐ消えやがって」

(行け、じゃなくて、残れってのは俺の気性に合わんが)

(それくらいは妥協してやるさ)

 タイオスは振り返った。

「そういうことだ。すまんが、下は頼む」

「ああ」

 短く、アンエスカは答えた。クインダンも黙ってうなずいた。

「タイオス」

「あん?」

「武運を」

 騎士団長はそう言うと、きれいに敬礼を決めた。タイオスは片眉を上げた。珍しいものを見た、と思うのであるが、アンエスカの気持ちも判るようだった。

 神の使いの指示が何を意味するか、騎士たちもまた気づいたのだ。何があるにせよ、彼らはこの場をタイオスだけに任せ、麓へ向かう。〈峠〉を守ってくれという頼みと、そして無事でいろとの願い。

「ああ」

 〈白鷲〉はうなずいた。

「そっちもな」


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