07 追い出したいね
「どう思う?」
客は尋ねた。護衛は片眉を上げた。
「どうって、何がだ」
「連中が顔を隠す理由。追われているから? ふた目と見られない顔立ちだから?」
「俺が知るかよ」
「あんたが『どう思う』か訊いたんだ。あんたに正解を求めてるんじゃない」
「それだって、知らん。と言うのが妙なら、どうでもいいと言おうか」
戦士は手を振った。
「俺にとって大事なのは、この店を守ることだ。おかしな奴が妙な真似をしたら追い出す。或いは、おやっさんがあれを追い出せと言ったら何もしてなくても追い出す。美女も醜男も関係なし」
「成程ね」
客は、何をどの程度納得したのであれ、知ったようにうなずいた。
「――だが」
イリエードは呟いた。
「気になるこたあ、気になるわな」
「うん?」
「昔話なんざ、好きじゃないがね。俺はこれでも、以前にはマールギアヌ中を旅して切ったはったしてきたもんなんだ」
「へえ」
客は感心したような声を出した。
「時には馬鹿にもされるが、なかなか馬鹿にならんのが戦い手の勘というやつでな。……そいつが何だか、引っかかるんだよ」
彼はフードの客を見た。
「ま、街道を離れた俺の勘が鈍ってなければの話だがね」
イリエードは笑い、話を切り上げた。
(さて、と)
そうして何気なく台を離れた戦士だったが、視線は再びフードの人物に向かった。
(おやっさんは、何も追い出したい訳じゃないと言ってたが)
(……どっちかと言えば、俺は、追い出したいね)
かと言って、何もしていない客をつまみ出す訳にもいかない。イリエードは考えた。
騒ぎを起こすつもりはない。騒ぎの制圧を仕事とする彼自ら暴れるなど〈釣り人のひすがら釣り餌探し〉のようなもの。順番を間違えている。
力ずくで追い出すまでのことは考えていない。ただ、反応を見るつもりだった。
「それを外してもらえるか」
問題のフード姿が座る席に近づくと、イリエードはゆっくりと言った。高圧的にならぬよう、穏やかな口調で。
フードの客は、何も答えなかった。
いや、答えを返さないだけではない。客は、イリエードがすぐ近くにやってきたことに気づかぬかのように、彼の方をちらとも見なかった。
「……おい」
もう一度、彼は声をかけた。やはり反応はなかった。
「おい。お前に話してるんだぞ」
大声になりすぎないようにしながら、戦士は片手を卓の上に置いた。
そこで少し、反応があった。客の目線がその手に向いた。
いや、本当に見たのかは判らない。わずかに顔が動き、見たのだろうと思える、という程度だ。
「……もしかして、耳が聞こえないのか?」
彼は一瞬、そんなふうに思った。だが、置かれた手の向こうに誰かがいることくらい判るはずだ。となれば、手ではなく、彼の顔を見なくてはおかしい。
「おい、そのフードを外せ」
イリエードは再び言った。客は何ごともなかったように顔を戻し、何も答えなかった。
「――町憲兵隊が」
苛ついて、彼は卓を指でとんとんと叩いた。
「町憲兵隊から、要請がきてる。凶悪犯が逃げてるとな。あんたにやましいことがないなら、顔を見せてもらいたい」
出鱈目を口にした。普通なら、そんな誤解をされてはたまらないと、言うことを聞くはずだと考えたのだ。
しかし、またしても、反応はなかった。
「……おい」
もしさっと手を伸ばせば、フードを外してしまうことはできるだろう。だが、気味が悪くても護衛たる彼から喧嘩腰にはなれない。〈嘘つき妖怪〉の真似をしてでも、客が自主的にフードを外すようにしたかった。
「うんとかすんとか言ったらどうだ」
「戦士さん、戦士さん」
声は、隣の卓からかかった。イリエードは振り向く。
「そんなに怪しんじゃ気の毒だ。無言の行をしてるのかもしれないじゃないか」
「無言の、何だって?」
戦士は目をしばたたいた。
「知らないのかい。神官がやる修行のひとつだよ」
「……神官には、見えんがね」
それが八大神殿の神官であろうと、無名の神のものであろうと、神官ならばそうと判る身分の服を着ているものだ。たいていは胸や背に神の印章が縫いつけられている。そうでなければ、首飾りを身につけている。
灰色のローブは完全に無地であり、飾りものなどはいっさいなかった。
「信者でも、熱心ならやるよ」
隣の客は肩をすくめた。
「……そうは、見えんが」
彼はまた言った。
「何であんたは、そんなふうに思うんだ?」
問題の客が何も言わないので、イリエードは隣の客に問うた。
「その人は、注文にすら口を利かなかったんだ。何か書かれた紙切れを差し出してたよ」
気になって見ていたらしく、客はそっと囁いた。
「それに近頃、無言の行は流行りらしいから」
「流行りだあ?」
イリエードは渋面を作った。
「信仰に流行り廃りがあるのか」
「あるらしいよ」
客もよく知らないらしく、曖昧に言った。
「無言の修行? 流行りそうなもんとは思えんがなあ」
流行というのは、派手だったり簡単だったり楽しかったりするから流行になるのだ。困難で面倒なことは普通、あまり流行らない。イリエードは知ったようにそんなことを口にした。
「……おい、念のために訊くが、本当に」
疑わしいが、もし隣の客の言う通りであるなら、返答を求めても返ってこないはずだ。だがうなずくか首を振るかくらいはできるのではないかと、イリエードはフードの客に真偽を尋ねようとした。
「あ、おい!」
だが客は、やはり無言のままで立ち上がると踵を返した。
それは面倒な質問から逃れるといった様子でもなく、ただ、帰りたいから帰るのだと言うような。
「待て」
イリエードは言ったが、当然のように客は待たなかった。戦士は力ずくで引き止めようかどうしようか迷い、結局、そのまま見送ることにした。
(――もしかしたらこれでもう、こなくなるかもしれん)
(それならそれで、俺はかまわんのだからな)
耳が聞こえないのだろうと無言の行だろうと、知ったことではない。イリエードは何となく厄除けの仕草などしたあと、隣の客と気まずそうな笑みを浮かべあって、店の片隅に戻った。