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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第3章
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10 黒い柱

 「黒い柱」は、あちこちで目撃されはじめた。

 キルヴンでもリゼンでも、コミンでも、アル・フェイドでも。

「何だ、その『奇妙なもの』と言うのは」

 アル・フェイル王子トーカリオンは報告の続きを促した。

「それが、何と申しますか」

 中隊長は困った顔をした。

「黒い……柱のような」

「柱?」

「実際の柱とは違います。その……まるで天空の黒い太陽の光でできているかのような、とても不可思議な」

 つい先ほどまではなかったその「柱」――〈杭〉が、突如として西の広場から生えたかのように姿を見せ、魔物はそれを守っているように見える。中隊長は受けた報告をそのまま王子に上げた。

「守っている」

 トーカリオンは繰り返した。

「つまり奴らにとって大事なものであるなら、我らにはおそらく、不都合なものだな」

 彼は断定した。

「そこに連中が集まってくるのならばちょうどいい。殲滅し、その柱とやらも消滅させてくれようぞ」

「そうは言うが」

 コミンの町で、情報屋〈痩せ猫〉プルーグは顔をしかめた。

「奴らは化け物だろ? 斬ったり刺したりしてどうにかなるもんか?」

「やってみれば判るんじゃないか」

 町憲兵ゴルンは肩をすくめた。

「街道警備隊にも応援を要請してる。彼らは町のなかの騒動には関わりたがらないが、魔物なら得意分野のはずだし、手伝ってくれるだろう」

「そうか、そんじゃ旦那、あとは頑張ってくれ」

「おい待て、猫」

 町憲兵は情報屋の首根っこを捕まえた。

「な、何だよ」

「人任せにするな。お前ももっと、働くんだよ」

「充分、働いただろう。灰色の奴らが黒い柱で太陽の光を捕まえてるって情報を集めてきたのは誰の仕事だと」

「ただの噂だろう。いや、噂ですらない。びびった誰かの妄想にすぎないだろうが」

 偉そうにするな、と町憲兵隊副隊長は冷静に指摘した。

「まあ、短時間でそれだけまとめてきたことは評価するが」

「へへっ、毎度」

 情報屋は手を差し出したが、町憲兵はそれをぱしんとはたいた。

「何すんだよ、ただ聞きかよ?」

「もっと働け、と言ってる」

 ゴルンは繰り返した。

「だから何をしろって言うんだよ。俺っちは剣なんか振るえないぜ」

「お前の口先を活かすんだよ、馬鹿野郎。混乱をあおらないよう、町憲兵隊や街道警備隊が動いているからもう安心だと言いふらしてこい」

「それくらいなら、やってもいいが」

 プルーグはちらりとゴルンを見た。

「もちろんいまのは、依頼だろうね?」

 情報屋はにやりとし、町憲兵はそれを睨みつけた。

「少しでも『自分の町』だという意識があるなら、余計なことを言わんでとっとと行けっ」

「――まあ、ちょっとは、あるわな」

 〈縞々鼠〉の護衛ミュレンは呟いた。

「俺ぁ生まれも育ちもこのリゼンじゃないが、世話んなってる。モウルのおやっさんにもな」

 ぶつぶつと彼は言った。

 ミュレンには普段、独り言を口にする癖などない。これは、自らを奮い立たせるためだった。

 黒い太陽にはおののかなかった彼だが、目指した広場で目にした十数体のソディエには怖気が振るったのである。

 彼はとっさに魔物たちから見えぬ場所に姿を隠していたが、これは何も臆病からくる行動ではなかった。ほとんどの人間は、鱗状の皮膚を持つ化け物から逃げる方向なのだ。ひとりその流れに逆らえば目立つ。

(しっかりしろ)

 彼は自分の頬をぱしんと叩いた。

(俺は……俺だって)

(俺だって昔は)

(金のための護衛業なんかじゃない、町を守り、人々を救う英雄になりたいって)

(ガキの頃はそんな夢を抱いてたじゃないか)

 しっかりしろ、と彼は再度自分に言い聞かせる。

(ようやくやってきた、好機)

 物語のように活躍して、人々に感謝され、英雄と称えられる。そんな夢をいつしか鼻で笑うようになってきた。だが心のどこかでは、いまでも子供のように。

(奴らをぶっ殺して、あの黒い柱を叩き壊す)

(そうさ、びびるな。たったそれだけのことだ)

 もちろん簡単なことではないと判っている。しくじれば、ほぼ間違いなく死ぬだろう。そして勝算は低い。とてつもなく。

 まともな頭を持っているなら、引き返すべきだ。ひとりで何ができる。リゼンにだって町憲兵隊はいる。町を守るのは彼らの仕事であってミュレンのものではない。

 命を賭けてまで、子供じみた夢を叶えようなど、愚かもいいところ。

(そうさ、判ってる)

(ここは、ひとつしかない命を賭けるところじゃない)

 そう考えながら――ミュレンの手は、腰の剣にかかった。

(賭け札の張り場所を間違えるのは、何も初めてじゃないしな)

 ふとミュレンは、足が震えていることに気づいた。苦笑が浮かぶ。こんなに怖がっているなんて情けない。

(ここでひとりで突撃したって死ぬだけ)

(英雄どころか、ただの犠牲者……ただの馬鹿だと嘲笑われるだけかもな)

(だが)

(ここで引いたら、俺は一生、英雄になんてなれない)

 ミュレンは一歩を踏み出した。

「その柱のようなものは何だ」

 怖れ気もなく問いかけたのは、銀髪の騎士だった。

「我らが国内をただ歩いているだけならば、たとえ人外であろうと処罰などできぬが。意図の判らぬ行為をしているとなれば、神と王の名に負いて問いただし、答え如何によっては討つ」

 それはどうにも直接的すぎる挑戦、または挑発だった。時と場合と相手によっては、聞いているだけではらはらするだろう。言い過ぎではないかと。

 しかし言葉の通じぬ――通じているとしても返答するつもりのない相手には、充分すぎるほどの触れであった。そして、この怖ろしい事態においては、ルー=フィン・シリンドラスをいまだに苦手に思う民でも頼もしく感じるような。

「答えは」

 ルー=フィンは促したが、もちろん、ソディエたちはただの一言も口を利かなかった。

 町の数少ない広場に突如生えた〈杭〉は、比較的冷静と言えたシリンドル人たちをもおののかせた。どんな事情があるとしても、天空の異常は神の御業と考えた彼らも、地上に現れた黒い光には怖れを感じたのだ。

 そこに行き合ったのがルー=フィンと、彼の率いる僧兵だった。

 彼らは町びとに屋内にいるよう指示し、魔除けを手放すなと言って回っていた。生憎と人数分まではさすがに用意できなかったのだが、神官たちの頑張りで各戸の分くらいはどうにかなった。材料自体は玉のような立派なものではなかったが、込められた祈りは同じだ。

 人気(ひとけ)のない広場、黒い太陽の下。

 ルー=フィンは僧兵らにも少し下がっているよう命じて、ひとり、ソディエに対峙していた。

 昨夜の出来事はまざまざと記憶に残る。指差されただけで氷像となってしまった神官たち。

 怖ろしくないと言えば、嘘になる。首にかけた魔除けがどこまで効くものかも判らない。

 だがこれが彼の役割だ。乱された記憶によって立てた誓いであろうと、彼は紛れもない〈シリンディンの騎士〉。民に危険を及ぼすものは、その身を挺してでも排除するべく、この場にいる。

 〈杭〉は黒い太陽と同じように縁から白光を発していた。太陽と同じように、その光がなければ存在が判らぬやもしれなかった。

 不気味だ、とルー=フィン・シリンドラスも思った。

 空の異変には畏怖を覚えるが、地上のそれには禍々しさを。

「返答のない限りは害を成す意志があるものとし」

 ルー=フィンは細剣を黒い柱に向けた。

「成敗する」

 言うなり、彼は銀色の閃光となった。

 たかが人間と侮ったか、最も彼に近いところにいたソディエは、騎士の宣言から一(トーア)で灰となった。

 おお、という声が上がったのは僧兵の間からだった。

 続けざまに天才剣士は二体目の獲物まで仕留め、そこで大きく後退した。彼の予感、それとも予測は的中し、ルー=フィンが直前まで立っていたところの地面には黒い丸が生じた。

「騎士様」

「ルー=フィン様」

「怯むな!」

 堂々と彼は言った。

「聖句を唱えよ、祈りを捧げよ。〈峠〉の神は必ずお守りくださる!」

 常に揺るがないルー=フィンの言葉であればこそ、僧兵も奮い立った。ヨアフォードからハルディールへ、忠誠の対象を正反対同然に変えたように見える彼だが、根底にあるものは同じ――神のため、国のため。

 ルー=フィン・シリンドラスは、剣を掲げた。

「続け!」

「――こちらには、いないな」

 辺りを見回してユーソア・ジュゼは呟いた。

「ひと安心、だ」

 少年王と年上の先輩騎士に、少し向こうを見てくると言って彼らを離れたユーソアは、迷うように一軒の家を見た。

 ちょうどそのとき、扉が開いた。なかからも彼を見ていたようだった。

「ユーソア!」

 ひとりの女が、彼を認めて声をかけた。

「何なの? この空はいったい何ごとなの? さっきの魔除けと言い、何か危険なことが起きるの?」

 心配そうに彼女は彼を見た。

「起こさせない」

 きっぱりと騎士は言った。

「大丈夫さ」

 彼は笑った。

「ここは俺たちに任せて、ジーヴィスと一緒に家のなかにいるといい、メリエーレ」

 死んだ騎士ニーヴィスの妻に、ユーソアは優しく笑いかけた。

「〈シリンディンの騎士〉を信じろ」

「――ユーソア」

 メリエーレの表情は、状況を案じるものからユーソアを案じるそれとなった。

「死なないで」

「平気さ」

 気軽に笑って答えたあと、ユーソア・ジュゼはふっと真剣な眼差しを見せた。

「俺を買ってくれる人がいると、あんたは何度も言ってくれたろ。俺はニーヴィスに受けた恩を忘れないし、アンエスカがくれた機会も無駄にしなかった」

 ユーソアはきゅっと右手を握った。

「俺は必ず、生きて戻る」

 そう言って彼は空を見上げた。

 黒い太陽は白い炎を揺らめかせたまま、じっとその場にとどまっていた。


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