08 神秘の命ならば
〈白鷲〉の挑発に、エククシアは笑った。ニイッと、口の端を大きく上げた。それは滅多に見られない表情だった。
「ライサイ」
半魔は魔物を呼んだ。
「少し、遊んでやろうと思う」
「手早くやれ」
「三十秒で充分」
エククシアは答えた。馬鹿にされたもんだ、とタイオスは乾いた笑いを浮かべる。
「我が手にかかることを望むなら、それもいいだろう」
金髪の半魔が足を踏み出す。しかしライサイがすっと片手を上げた。
「待て」
〈青竜の騎士〉は命令に従ったのか、はたまた彼も気づいたのか、とにかくエククシアは足をとめた。
魔物たちが視線を同時に移したのは、シリンドルから通じる北側の入り口だった。釣られてタイオスもそこを見れば、息せき切ってやってくる、ひとりの娘がいた。
「エククシア、様!」
愛しい男を目に留めて、フィレンは安堵するような笑みを浮かべた。
「何をしにきた」
淡々とエククシアは尋ねた。少女は少し怯んだが、そのまま彼に駆け寄った。
「決闘などと耳にしました。心配で……」
「くだらぬ」
半魔は一蹴した。
「ニンゲンごときを相手に、私が敗れるとでも思うのか」
「ですが」
フィレンは引かなかった。
「相手は神の騎士だと聞きました」
言われた〈白鷲〉は口の端を上げた。
「魔物の騎士と神の騎士、どっちが強いか試すところなんだ。お嬢ちゃんはどいてな」
タイオスの言葉に、フィレンは彼をキッと睨みつける。
「お前ごときに〈月岩の子〉が負けるはずがないわ!」
そう思うのであれば心配などしなくてよいのではないかとタイオスは思ったものの、指摘はしなかった。
「どけ、フィレン」
囁くような声でエククシアは命じた。
「生憎だが」
しかしそこで、ライサイが首を振った。
「三十秒は過ぎた」
「おいおい」
タイオスは性質の悪い冗談だと思って苦笑したが、エククシアはかすかに舌打ちをした。
「仕方あるまい」
「……おい」
つまらない言葉尻だと人間が思ったことは、どうやら魔物たちには重要なことであるらしかった。
「だがお前の望みは尊重してやろう、〈月岩の子〉よ」
宗主は薄く笑った。
「〈杭〉に捧げる神秘の命ならばそこにひとつ、ある」
ライサイは、フィレンを指差した。少女は一瞬きょとんとした顔を見せたが、宗主であると思い直したか、はっとして地面に両膝をついた。
「おい――」
三度タイオスが口にする間の、ことだった。
ライサイの振り下ろされた手から発した衝撃波は容赦なく少女を撃った。
「あ……」
フィレンは目を見開き、何が起きたかも判らぬ様子で、そのまま大地に倒れ込んだ。身体は有り得ない位置でふたつに折れており、少女が即死したのは遠目にも明らかだった。
「て、てめえっ」
驚いたタイオスは反射的に叫んだが、ライサイは気にも留めぬようにそのまま両手を動かした。フィレンの身体――遺体はライサイの糸に操られて黒い柱のところまで引きずられ、そして、ひゅうん、と言うようなかすかな音が聞こえた。
タイオスは呆然と口を開けているしかできなかった。
幅ニ、三十ファインほどの〈杭〉のなかに、少女は飲み込まれるようにして、消えてしまった。
「な、何が」
「ようやく宿った四分の一だが、だからこそ効果はある。何、孕ます機会はまたあろう」
魔物は言った。
「そうだな」
半魔も言った。
「よく学んでいる娘とも思ったが、我が子の母となるにはいささか愚かしくもあったようだ」
「てめえら……」
ひとつの、いや、ふたつの命を奪っても何とも思わぬどころか、ちょうどいい駒だったと言った。自らの血を引く、腹のなかの赤子を〈杭〉への生贄にしたのか。
「てめえらが人間じゃねえのは、判ってるが」
ぎりぎりとタイオスは歯軋りをした。
「魔物だからって納得いくとか許せるとかってもんでも、ねえな」
フィレン。師匠モウルの死の原因ともなった少女。
だがそれでも、ざまあみろというような気持ちは浮かばない。ライサイやエククシアへの怒りが強い。
それから、もうひとつ。
彼の敵であろうと、敵の味方であろうと、人間だ。魔物から人を守るという彼の決意がまた、目の前でひとつ打ち砕かれた。
黒い杭が、輝き出した。白い炎はますます燃えさかるようだった。
フィレンの、それとも彼女の腹の子の命を食らって。
「ふん、小さすぎたか」
ライサイは言った。
「完全な固定にはならぬな。せいぜい、一日であろう」
「ではやはり、まだ贄が必要だな」
エククシアは口の端を上げた。
「シリンディンは一度介入したが、媒介が存在したために力の発動を可能とした。護符も持たぬ〈白鷲〉に、もうシリンディンは力を与えぬ。与えたくても、できまい」
魔物は言い切った。
「早めに決着をつけて〈杭〉に埋め込め。我はほかの〈杭〉に力を流す故」
「承知した」
「ほかの」
タイオスはぞっとした。
では、ほかにもあるのだ。その不気味な、黒い光の柱が。生け贄を食らう〈杭〉が。
「待てライサイ――」
言ったところで、虚しいというもの。魔物の親玉はタイオスが呼びかけるよりも早く姿を消していた。
「待たせたな」
エククシアは剣をかまえた。
「何の邪魔も入らぬところで、最後の戦を行おうではないか」
「それには異論、ないがな」
タイオスも剣を持ち直した。
「ひとつだけ、訊かせろ。その〈杭〉とやらを抜くと言うか、消す方法はあるのか」
「答えると思うのか?」
「まあ、そうだわな」
戦士は地面を踏みしめた。
「簡単に教えてくださるとは思っちゃいない。その代わり」
〈白鷲〉は〈青竜の騎士〉を見据えた。
「いますぐ、喋りたくなるようにしてやるさ」