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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第3章
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07 恐慌状態

 混乱はやがて、異なる混乱を生んだ。

 それは決して、自然と発生したものではなかった。

 ウィスタの町で。タクラズの町で。

 リゼンやコミン、キルヴンでも。

 満を持したとばかりに灰色ローブの魔物たちは深くかぶっていたフードの奥の顔をあらわにし、人々は息が詰まるほどの恐怖を味わった。

「ば、化け物だ!」

「お助けを」

「終わりだ、もうおしまいなんだ」

「神様!」

 その恐慌は魔物たちにとって美食であった。彼らには心地よい幻夜の薄闇のなか、ソディエらは人々を存分に「食らい」、力を溜めた。

「この――奇態な夜が続けば」

 幻夜に行き合った、ひとりの魔術師が呟いた。

「魔力線は奴らに支配され、もっと多くのソディエや……それ以外の種族もこちらにやってくるだろう」

 それは不気味な予言(ルクリエ)のようだった。

「混沌の時代がやってくるか。世界がそれを求めるのであれば、仕方あるまい」

 黒い太陽が、白い炎を放っている。

「美しいな」

 幻夜に行き合った、ひとりの詩人が呟いた。

「どうしてみんな、こんなに怖がるんだろう? あんなに幻想的なのに」

 だがこうして冷静、または呑気でいられたのはごくごくわずかな者だけだった。多くの者にとって、それは怖ろしい光景だった。

 人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、魔物に行き合っては悲鳴を上げて立ちすくんだ。

 それはまさしく「恐怖と混乱」を絵に描いたかのようだった。

 魔術師協会への向かおうとしていた少女シィナだったが、彼女の道行きはちっともはかどらなかった。

 大の大人たちが恐慌状態だ。機敏とは言え十代半ばの少女が自由に走り回ることは困難だった。スエロともいつの間にか、はぐれてしまった。

「どけっ」

「危ない」

「早く向こうへ」

「黒い光に当たり続けたら、死んでしまうぞ!」

 根拠のない流言飛語はあっという間に広まっており、建物に逃げ込もうとする人もいれば、なかから施錠して暴徒と「黒い光」を家に入れまいとする人もいた。

 ほかにもやはり「世界の終わりだ」「神の怒りだ」「みんな死ぬ」そんな悲嘆があちこちで聞かれ、シィナは舌打ちした。

「なっさけねえな! みんな死んだり、するもんか!」

 自棄気味に彼女は啖呵を切った。

「八大神殿の神官なら知ってる、昔にも起きたことだって。昔にあったってことは、世界は終わらないし、みんな死んだりもしないってことだっ」

 近くの人々は期待を込めて声の元を見た。本当かとすがるように尋ねる者もいたが、何も知らないガキがと罵る者もいた。

「何だとぉ」

 シィナは腹を立てた。

「それじゃてめえはオレよりよく知ってんのかよ!? オレぁ神官の偉いさん……しんかんちょーとかから直接聞いたんだぜっ」

 ヴィロンは何も「幻夜は怖ろしくない」と彼らに説いたのではなかったし、本当のことを言うのならヴィロンとシィナの間にリダールが入っているのだが、「直接聞いた」以外は嘘ではない。

「こいつは幻夜って言うんだ。前にもあった。世界は終わらない!」

 堂々と彼女は言い放った。

「ほ、本当か」

「死なないのか」

「いま、神官たちが祈ってるさ」

 次には口から出任せを言ったが、あながち間違ってもいないだろうと思った。

「どうしても心配ならおとなしく家に帰って女房子供を安心させてやれよっ。ただし人を押しのけたりするな、危ないからっ」

 威勢のよい少女の言葉は、しかし残念なことに、それを耳にした半数の心にも響かなかったようだった。恐慌状態に陥ったことを恥じ、この子の言う通りだと自宅への道を取る者はいたが少数派で、ほとんどの人々は下町の薄汚い子供の台詞を丸呑みにはしなかった。

 シィナの一喝は一(リア)だけその周囲を鎮めたが、それだけに終わった。人々の波は縦横無尽に町を乱し、次の知らせも入ってきたからだ。

「化け物だ!」

「灰色のローブを着た化け物があちこちに」

 ついにそのフードの下を明らかにしたソディエらは、人々の行く手に立ちはだかり、新しい恐怖を生み出していた。

「くそ、何ごとなんだ」

 リゼンの町で、戦士が毒づいた。

「おい、走るな! 子供がいる、危ないだろう!」

 〈縞々鼠〉亭の護衛、イリエードの代理を引き受けたままの戦士ミュレンは混乱した人々に厳しく怒鳴ったが、耳に入った者はいないようだった。

「ち」

 彼は格別子供好きでもなければ優しいと言われる性格でもないが、我先にとみっともなく逃げ出している連中のことは気に入らなかった。

「てめえら、そんな態度で恥ずかしくないのか、恥ずかしく!」

「化け物だ!」

 ひとりの男が、戦士に怒鳴り返した。

「あぁ?」

「向こうに化け物が、いるんだよ! あんた、戦士ならやっつけてきてくれ!」

「太陽が食われ、俺たちは化け物に食われちまうんだ」

「私はまだ死にたかないよ」

 口々に言って人々は人をかき分けていく。

「化け物、ねえ」

 ミュレンは繰り返し、イリエードの話をまた思い出した。

 たかが太陽が黒くなったくらいで騒ぎすぎだ、これはおそらくちょっとした事故のようなもので、明日にはいつも通りのお日様が顔を見せるに違いないと、彼は根拠なく思っていた。仮にそうでなかったとしても、自分が焦ったり喚いたりして解決することでもないという、冷静さのような諦観のようなものを抱いていた。

 だが化け物となると、話は別だ。

 第一声には何を言っているのかと呆れたミュレンはだったが、向こうからやってくる誰も彼もが化け物だ魔物だと騒いでいる。

「魔物、か」

 彼はまた繰り返し、にやりとした。

(戦士と言っても、俺は戦士崩れみたいなもんだ)

(モウルのおやっさんやイリエードみたいに、町の外で命を賭けてきたことはない)

 ミュレンが行ってきた「戦士業」の多くは街道よりも安全な場所での護衛だった。金持ちの家や大きな施設での雇われ護衛。敵はたいてい、盗賊だ。向こうは戦士の目をかすめようとするが、殺そうとしてくることはまずない。

 生憎と皆無ではないし、死んだ仲間もいる。そこまではいかずに済んだものの、彼自身も危険な目に遭ったことはある。ただやはり、街道の危険とは違う。

(魔物)

(いっちょ)

「見に行って、やろうじゃないか」

 ひとつぱぱっと退治して、箔をつけてやろうという気持ちもあった。彼はイリエードのことを嫌ってはおらず、護衛仲間として好いているが、「魔物退治くらい俺にだってできる」とちょっと威張ってやろうという感じだ。

「化け物はどこだって!?」

 ミュレンは声を大きくした。

「そういうのは戦士に、任せとけ!」

 自らを鼓舞するように言って、ミュレンは駆け出した。


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