04 保証はしません
「レヴシー」
「はい、陛下」
「僕は、人心を鎮めなくてはならないと考える。それには、僕が姿を見せるのがいいだろう」
「外へ?」
ユーソアが顔をしかめた。
「しかし陛下……」
「僕と〈シリンディンの騎士〉が何も心配ないと呼びかけることは、大きな効果を生むと思うが、違うか?」
「いえ、違いません」
「つまりレヴシー。館で僕を守るよりも危険なことがあるかもしれない。それでも……」
「もちろんです、ハルディール様」
にっこりと少年は答えを返した。
「きっとそう仰ると思っていました。だからこそ、術師に頼みたいんです」
「そうか」
ハルディールも笑みを見せた。それには危惧が混じっていたが、迷いはなかった。
「お願いする、術師」
王の決定にレヴシーは顔を輝かせ、イズランは少し顔をしかめたが、仕方なさそうに息を吐いた。
「こうした際、多く使われるのは幻術の一種です。つまり『疲労してなどいない』と身体を騙す。ですが実際のところは体力の低下著しく、思うように動くことはできません。たとえば『次の町にたどり着くまでどうにか保たせる』というような目的ならばいくらか役に立ちますが、魔族と戦いを繰り広げようという方には向かないですね」
「向くかどうかなんてどうでもいいんだよ」
「ちっともどうでもよくないです」
イズランは首を振った。
「勢いよく振り上げたつもりの剣がちっとも上がっていなくて、あっさりとソディエの的になったらどうするんです」
「ならないようにするさ」
「ですから、『ならないようにしよう』と思っても、思うようには動けず」
魔術師の解説は先ほどのところに戻った。
「でもほかには、ないんだろう?」
「なくもないんですが」
イズランはぽそりと言った。
「まだ研究中なんですよね」
「じゃ、それで」
あっさりとレヴシーが言った。魔術師は目をしばたたいた。
「話を聞いてからの方がよくないですか?」
「簡潔にしてくれよ」
レヴシーは要請した。判りましたとイズランはうなずいた。
「誰に対しても使える術じゃありませんが、若くて健康なレヴシー殿ならどうにかなるかも」
そんな前置きをしてから、イズランは説明をはじめた。
「通常、人間は常に全力で動いてはいませんね。それを術で引き出すということができます」
魔術師は何かを引っ張り上げるような仕草をした。
「それを応用して、レヴシー殿の内に元来存在する体力を引き出す。一時的には普段のようか、もしかしたらそれ以上に動けますが、あとでどうなるかと言うと」
「言うと?」
「まだ試したことがないんで判りません」
さらりと魔術師は言った。
「たぶん死なないだろうとは思いますが、保証はしません」
「おい」
ユーソアが顔をしかめた。
「本当にどうなるか判らないんです」
イズランは肩をすくめた。
「体力は自分のものですから、幻術のように限界を超えて突然死んでしまうようなことはないはずです。とは言えやはり体力は『尽きるもの』ですので、絶対に安全と言い切ることはできません」
「……陛下のご許可があっても、副団長代行として、納得いかない話だな」
「何だよ、いまさら!」
レヴシーは叫んだ。
「もちろん、陛下のご決断には従う。ですが陛下、術師のいまの話をお聞きになっても、同じことを仰るのですか」
「僕は」
ハルディールは冷静だった。
「レヴシーの気持ちを尊重したいと考える」
「命を賭けるべきときはある。俺もそれは否定しません。ですが――」
「やめろよ」
レヴシーは顔をしかめた。
「ユーソア、あんた、どう思うんだ。これが自分だったら……」
「生憎、自分じゃない」
「それじゃ」
少年は拳を握り締めた。
「ニーヴィスの、ことは!」
その名を耳にしたユーソアは、殴られたような顔をした。
「あんたは、後悔を知ってるだろ! ニーヴィスのことは俺だって痛い。クインもアンエスカも、みんな同じだ。でも乗り越えなきゃいけなかった。俺たちが争う訳にはいかなかったということもあるけど、争ったって何にもならないって判ってたからでもある」
少年はじっと年上の後輩を見た。
「ユーソア、あんただって、判ってるはずだ。なのに吹っ切れない。いいや、引きずったっていいさ。でもそれを見せたら駄目だってことは判ってるはず。俺たちが不和の種になったりしちゃいけないって」
判ってるはずだと彼は三度言った。ユーソアは黙っていた。
「……あんたが、俺らと違うしんどさを抱えてるのは、自分がその場にいなかったからだろ」
それからレヴシーは静かにそこを指摘した。ユーソアはきゅっと眉根を寄せた。
自分がいれば何かできたかもしれない。思い上がりというのではない。ただ、何かが変わったかもしれないという、後悔。したところで何にもならないのに、逃れられない。
もちろんレヴシーも、自分がいなければハルディールを守れないと思っているのではない。ユーソアだってルー=フィンだって、命に換えても彼らの王を守るだろう。
だが騎士たちを含め、誰ひとりほんの少しも負傷しないというようなことは現実的でない。自分が行けば、少しでもそれを防げるかもしれない。行かなければ死んでしまう誰かを守れるかもしれない。レヴシーはそう言いたかった。
「――その件を持ち出されると、な」
ユーソアは口の端を上げた。
「判った。もう何も言わない。いや、一緒に行こう」
「有難う、ユーソア。……ごめん」
「馬鹿、謝るな」
青年騎士は苦笑いを浮かべた。
「では、話がまとまりましたところで」
こほんと咳払いをして、イズランはレヴシーに向き合った。緊張した面持ちのレヴシーの手を取り、何やらぶつぶつと唱え出す。もう片方の手指を細かく動かし、握ったり開いたりする様子は、いかにも「魔法をかけている」という風情だった。
もっとも、芝居師や場合によっては詐欺師がやるようなそ「いかにも」な雰囲気は本物から作られるのであるから、当然とも言えた。
もとより、イズランのことを「魔術師のふりをしているだけかもしれない」と考える者もいまさらいなかったが。
「……さて、どうですか?」
術をかけ終えると魔術師は少年の手を放して尋ねた。
「すごい」
レヴシーは目をしばたたいた。
「本当だ。いや、術師を疑ってた訳じゃないけど。本当に、治るなんて」
いつも通りだ、と彼は驚いた顔で呟いた。
「先ほども申し上げた通り、『治った』のではないですよ」
イズランは忠告した。判ったよ、とレヴシーは笑った。
「いいですか、なるべく体力の温存を心がけるように。せっかく助かった命です、無駄にしないでくださいね」
魔術師はそっと言った。
「有難う。……術師、あんたって」
レヴシーは目をしばたたいた。
「いい人なのかな?」
「どうでしょうね」
イズランは首をかしげた。
「たいていの人間は、見知った顔に死んでもらいたくないですよ。何も身内や親しい間柄でなくてもね。憎んででもいれば別ですけど」
「案外、人が好いんだな」
ユーソアが言った。
「『どうでもいい』って奴も多いがね」
「『どうでもいい』は『死んでしまえ』とは違うでしょ」
魔術師はそう返した。
「とにかく、なるべくご無事でお戻りください。生憎、神官のように祝福はできませんけどね」
「しかし……エルレールを待たなくてはならないな」
ハルディールは言った。彼は目線を下にやった、それは躊躇や落胆を示すものではなかった。
「巫女姫にこの場を代わってもらわなければ」
ハルディールは右手にした護符と、ともに握っている冷たい手の持ち主をじっと見た。
「まだ、血の色が戻らない。死 神 の気配は去ったように思うのだが」
ハルディールはちらりとイズランを見た。
「どうだろうか、術師」