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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第3章

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02 混乱

 キルヴンの町は、混乱状態に陥った。

「何だ……何が起きているんだ!」

「神よ! 太陽(リィキア)が」

「太陽が――」

「消える!」

 シィナがそれを指し示して喚くまでもなく、キルヴンの町びとたちは急に暗くなった空と冷たくなった風に気づいて、騒ぎ出していた。

「ち」

 少女は品なく舌打ちをした。

「いい大人どもが、びびりやがって」

 シィナはすっくと立ち上がると、いつもならとてもではないが直視できない太陽神を睨み据えた。

「これが……幻夜か」

 勘よく彼女はそれに気づいた。

(どうする、シィナ)

(落ち着け。オレまでみんなと一緒になって慌てたところで何にもならない)

(幻夜の話をしてたのは神官と魔術師だ)

(神殿には、びびった奴らが駆けつけるだろう)

 冷静に、そう推測した。実際、神の怒りだの悪魔の仕業だのという悲鳴も聞こえている。怒りを鎮めてもらうためでも悪魔を追い払ってもらうためでも、人々が神殿に殺到することは想像に難くない。

(よし、それじゃ協会だ)

 彼女が行ってどうなるということもない。魔術師だって起きたことに気づいているだろうし、対策があるなら立てているか、或いはこれから実行しようとするかというところだろう。

 だが彼女は「それじゃオレが行っても仕方ないや」とは思わず、魔術師協会への道を採ろうと思った。

 何でもいい。できることをするのだ。

 騒ぎは広まっていった。

 欠けていく太陽に気づいて大騒ぎをする者がいれば、みな空を見上げ、その恐慌は伝染していく。

 なかには伝説で聞いたことがあると言う詩人もいたが、そんな話を冷静に聞いていられる者はなかった。

 建物に駆け込んでは大変だと騒ぎ、何ごとかと出てきた人々がまた騒ぐ。

 町は年越しの祭りのときより賑わいを見せたが、それは生憎と、恐怖に彩られていた。

 そんななかで、シィナはぱっと走り出した。

(リダールのいない間)

(オレがキルヴンを守んなきゃ)

 何かの遊びだとでも思うのか、犬もシィナを追いかけるように走ってくる。気づいたシィナは少しだけ緊張を解いた。

「よしスエロ」

 彼女は犬に話しかけた。

「奴らがいたら、また頼むなっ」

 犬は彼女の言葉を理解しないが、騒ぎに触れて興奮しているようではあった。

 シィナは騒ぎの激しい大通りを避け、協会へと急いだ。


 おいおいおい、と言ったのは〈痩せ猫〉だった。

「副隊長さんよ。ありゃ何だ」

「何、と言われても」

 町憲兵はぱちぱちと目をしばたたいた。

「そっちこそ情報はないのか、情報屋」

「無茶言うない」

 プルーグは悲鳴のような声を上げた。

「〈痩せ猫〉の縄張りはこのコミン、地上限定だ。お空のことなんざ、知るかよ」

 いささか引きつりながら、プルーグ。

「何だ」

「空が」

「おい、太陽(リィキア)が」

「――消えてる!」

 コミンの町でも騒ぎがはじまり出した。

「仕事だぜ、旦那」

 プルーグは促した。

「む」

 何が起きているにしろ、人々が恐慌状態にあるなら鎮めて騒ぎを大きくしないことも町憲兵の務めだ。

「〈痩せ猫〉、あれに関する情報を集めとけ」

 町憲兵は言うと騒ぎの大きな方に向かった。

「毎度」

 情報屋はにやりとしたが、その顔色は青く、いつものような余裕は見られなかった。


 アル・フェイルが首都アル・フェイドでも、騒ぎは発生した。

 町憲兵たちは人々を鎮めようとしたが、彼らも人間だ。欠けゆく太陽に仰天し、どこへともなく逃げ出す者もいた。彼らがどんとかまえていれば騒ぎも少しは収まったかもしれないが、制服姿の町憲兵が醜態をさらしたことは目撃者の恐怖に拍車をかけ、街の一部は酷いことになった。

 騒動はあっという間に大きくなり、世界の終わりだと泣き喚く者がいれば、それを信じて絶望する者もいた。

「――ええい、鎮まれ、鎮まれ!」

 そんななか、ひとりの男が街の広場に馬を乗り入れた。

「アル・フェイドの民よ、怖れるな! 世界は終わらぬ。アル・フェイルもな!」

 凛と叫んだ声は不思議なほど通った。

「……トーカリオン様?」

「王子殿下だ!」

 さすがに首都ではトーカリオンを知らぬ者もない。その姿に人々ははっとした顔を見せた。

「アル・フェイドの民よ、怖れることはない! 軽挙妄動に陥ってはならぬ。この事態は私と王陛下が鎮める、必ずだ!」

 トーカリオンとて起きていることを把握などできていなかったが、こうした宣言は早く強いほど有効だ。王子は奇怪な現象に気づくとすぐに飛び出し、騒ぎの平定に当たった。

 王の影に隠れることの多かった第一王子であったが、無能という訳ではない。地味で着実な仕事をしてきたトーカリオンには、実績とそれに相応しい自信があり、彼は堂々としていた。

 トーカリオンを「嫡子である故の世継ぎ」、つまり血筋だけと考えていた者にとって頼れる王子の姿は意外なものだったかもしれないが、もしも無事に騒ぎが収束すれば、彼らが言うことは目に見えていた。

 即ち、「トーカリオン様は立派なお世継ぎだと、俺は以前から思ってたさ」「もちろんトーカリオン様は、次代の王陛下としてアル・フェイルを繁栄させてくださるに決まっている」と。

「何ひとつ慌てることはない。恐慌や流言に惑わされるな。いつも通りの暮らしを送れ」

 王子は続けた。

 最後の一言はいささか酷であったが、できるはずがないというような反発よりも安堵を引き起こした。大したことではないのだと、彼らはそう錯覚できたのである。

「中隊長、混乱に乗じて悪事を働く者は厳しく罰せよ」

 民たちの歓声に片手を上げると、トーカリオンは連れた兵士に命じた。

「但し、ぬしらが混乱のもとにならぬようにな」

「肝に命じます」

 機微の見極めが必要な命令を受けた中隊長は、しかし苦情を言わずに敬礼をした。

「それから、例の、魔物だ。イズランやサング術師の話を覚えているな」

「はい。にわかには信じがたいですが……」

「時間はあったはずだ」

 トーカリオンはぴしゃりとやった。いま初めて聞いた訳ではないだろう、ということだ。

「決められたように、対処せよ」

「はっ」

 中隊長は再び敬礼した。

「民を守れ! 死を怖れるな!」

 それから彼は背後に揃った兵士たちに言った。

「だが、なるべく死ぬなよ」

 少しだけ甘いことを言ってトーカリオンは口の端を上げ、別の場所の騒ぎを抑えに向かった。


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