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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第3章
166/206

01 喜んでくれてた

 ソディ一族の宗主にして、ソディエたちの指示者、魔物ライサイ。

 その子であるらしい、半魔。〈青竜の騎士〉エククシア。

 二体の敵を前に、ヴォース・タイオスはゆっくりと剣を抜いた。

「決闘ってのは、一対一でやるもんだと思ったがね」

 戦士は言った。

「俺の勘違いだったか」

「そのようだな」

 エククシアが答えた。

「決闘と言ったのはお前であって私ではない」

「てめえも、認めたじゃねえか」

 タイオスは指摘したが、言葉尻を捕らえて言い合うつもりはない。真に受けてひとりできた自分が馬鹿なのだ。

(親玉ふたりか)

(片方だけでもきついってのに)

 さて、と戦士は考えた。

 距離はある。エククシアは既に抜いている。前触れなく襲いかかってみたところで、不意打ちにはならないだろう。

 ライサイは剣を持っていないが、不思議な術を持つ。タイオスが地面を蹴るより早く、彼を撃つことが可能だ。

(……打開点が見つからん)

 タイオスは乾いた笑いが浮かぶのを感じた。

 奇妙な傷のこともある。イズランの推測した通りであるなら、万にひとつも彼に勝ち目はない。

(玉砕覚悟、のつもりじゃあるが、絶対に玉砕する以外ない、ってのはまた違う話だからなあ)

 死を怖れずに立ち向かうことと死ぬしかないと判りながら立ち向かうことは、似て非なるものだ。

(結果的に玉砕しかないとしても、そうならん手段を探して、みっともなく足掻きたいとこだ)

 時間稼ぎでもいい。連中の企みが判るまでの。

 そうすれば、イズランなりサングなり、この件に噛んできた魔術師連中に手がかりを渡せる。気に入らないが、魔物に好き勝手されるよりは、ヴィロンやラシャでもかまわない。

(この際、神頼みでも何でもするさ)

 タイオスは、ちょうど背後に守る形となった神殿と、そこに奉られた神のことを思った。

 だが生憎と言おうか案の定と言おうか、〈峠〉の神が〈白鷲〉の願いに即座に応じてくれることはないようだった。

「自分で何とかしろってことかねえ?」

 彼は呟いた。

 かつてサナース・ジュトンは、ほかならぬこの場所で神の騎士としての活躍をした。

 ヴォース・タイオスにそれは可能なのか。サナースほどの技能も、若さもない、しがない中年戦士。

「――それで?」

 彼は話を続けることにした。

「俺は生け贄かい? ここの神様は、そんなもん望んじゃいないがね」

 たぶんな、と心のなかでつけ加えた。

「生け贄か」

 エククシアがくっと笑う。

「適切な表現だ」

()るのか? それとも、刃を交えずに変な術で俺を殺す気か」

 「後者だ」と答えられても困るのだが、タイオスは問うていた。

(はなむけ)に、一戦交えてもよいが」

 エククシアは首を振った。

「生憎と時間がない」

「時間だと?」

 刻々と時間が流れているのが判った。

 世界がすうっと、暗くなっていくからだ。

 夕暮れのようで夕暮れではない。とても奇妙な感覚。

 魔物たちから目を離したくはなかったが、空の方も気になる。タイオスはちらりと天を見上げ、真っ黒な太陽にぞっとした。

「あれは……」

 彼は地上に目を戻す。

「お前らの、仕業なのか?」

 問うともなしに問えば、魔物たちは笑った。

「星辰の定めたことだ」

「無知は時に醜悪を通り越し、滑稽であるな」

「何ぃ? 馬鹿にしやがって」

(だがそう言えばヴィロンの野郎も、星辰がどうとか言ってたな)

(天の神様が決めたこと、だってか?)

 いったい神々という奴らは何を考えているのか、とタイオスは不敬に罵った。

(あいつは何て言ってたっけな。表が裏にとか、光が影にとか何とか)

(神が降りる夜……とも)

 それが何を意味するのかは判らない。本当に〈峠〉の神が――黒髪の子供という「使い」でもなく――降臨して奇跡を起こし、魔物どもを追い払ってくれると言うのであれば、有難い話だ。

 だがそれを期待して待っている訳にもいかない。そもそも、連中が待つものがそれであるはずがない。

 このままでは彼は殺される。運よく生き延びたとしても、魔物たちの企みを潰えさせなければ、この先いったい何が起こるものか判らない。

 タイオスには、いや、〈白鷲〉には仕事が山積みなのだ。

(待っちゃいられないし)

(――死んでもいられん)

「時間がないなら、とっとと()ろうぜ」

 わずかなりとも勝利の可能性があるとすれば、それはエククシアとまともに剣を交えることだけだ。術を使われたら終わりである。

 タイオスは剣を手にしたまま、ゆっくりと半魔の方へ向かった。

(巧くエククシアを倒せたとしても、ライサイがいるが)

(そんときゃ、また考えるさ)

 とにかくエククシアを引っ張り出すことだ。タイオスは右手に剣をかまえ、左手で手招くようにした。

「こいよ、早く」

 時間がないんだろ、と繰り返す。

(これで乗ってこないようなら――)

 こちらから行くしかない。

「その必要は、無い」

 きっぱりとエククシアが言った。ライサイが、片手を上げた。タイオスはぎくりとする。

「何を」

 だが戦士の警戒とは異なり、魔物の手から彼を傷つけるための術が放たれたということはなかった。

 高々と差し上げられたライサイの手には、何か棒状のものがあるようだった。魔物はもう片手を同じ高さに合わせると、棒の一端を引っ張るようにした。

 すると「それ」は引き紐のようにぐいんと伸びた。少なくとも木材ではなかったようだ。

 では何なのか。もしここに魔術師がいれば言ったであろう。

 まるで魔力そ(・・・)のもの(・・・)のようだと。

「時間は、流れる」

 魔物が言った。

「となれば無論、星も動く。この、わずか五(ティム)ほどの幻夜は我らにたいそう心地よい。なれば」

 ライサイの両手から生じた何かは長さ一ラクト以上になり、幅は掌ほど、二、三十ファインだろうか。

 空の黒い太陽に似て、縁から不気味な光を放つ、それは黒い柱のように見えた。

「この〈杭〉は」

 ライサイの両手が動き、黒い柱を地面に押し込んでいく。

「星辰を固定し、ニンゲンどもの――を固定する役割を持つ」

「何だって?」

 聞き慣れない言葉が間に挟まった。タイオスはその意味を計りかねたが、ライサイは特に説明する気はないようだった。

 実際のところ、それはタイオスには――人間には聞き取ることのできない単語だった。魔物は時にそうした言葉を使う。魔術師たちのような知識を持つ人物は、知らぬ言葉、聞き取れぬ言葉に人外を感じ取ってぞっとするようなこともあった。幸か不幸かタイオスには、そこまでのことはなかったが。

「光はもはや戻らない。そしてニンゲンどもが抱いた恐怖の影は消え去らぬ。気の狂うような恐怖に包まれて生涯を過ごし、そして我らの食糧となるのだ」

「……何だか判らんが」

 戦士は正直に言った。

「気に入らんってことだけは、確かだな」

 怯えながら一生を過ごすのも魔物に食われるのもご免だ。タイオスは無論、そう思った。彼の思う「食糧」とライサイの言う意味は異なっていたが、どちらにせよ人間たるタイオスの感想は変わらなかっただろう。

「この〈杭〉の固定に、お前の命が要る」

「はなから、命をやる気ぁねえが」

 ふんと戦士は鼻を鳴らした。

「そうと聞いちゃますます、やられる訳にいかんな」

「お前にかまっている時間は、ない」

 今度はライサイが言った。〈杭〉を地面に立てた魔物の両手は空いており、再び右手が差し上げられた。そのまぶたのない目は、いまやほかでもない、タイオスに注がれている。

(くる)

 戦士は感じた。彼の勘は間違っていなかったと言えよう。

(くそっ)

 見えない術を避けるのは難しい。見えていたところで、困難だと言うのに。

 とっさにタイオスは、大きく右に飛ぼうとした。何であれ、避けようとしたのだ。

 だがその行為には、意味がなかった。

「う……がっ」

 振り下ろされたライサイの手から、どんな攻撃も生じてはいなかった。ほかのソディエたちのような人を凍らせる術も、昨夜ヨアティアを撃った(つぶて)も。

 だがタイオスは激痛を覚えて、その場に固まった。

「くそ……案の定か」

 フェルナーが深く刺した、彼の脇腹。黒い太陽のような円が描かれたところ。

 子供に柄を蹴り飛ばされた、あの瞬間と全く同じ痛みがそこに生じた。

「ちく、しょう、この、野郎」

 剣を握っていられない。立ってすらいられない。タイオスは傷口に手を当てた。――冷たい。

(包帯を)

(巻き直したのが、せめてもだったな)

 そうしておけと提案したのはモウルだった。イズランの推測が当たっていれば、再び傷を活動(・・)させられたとき役に立つはずだと。

 その考えは正しかった。おかげで、血が噴き出すようなことはない。

 だが、それだけだ。

 刺されて、布を当て、包帯を巻いただけの状態で思い切り剣を振るえるかと言えば、もちろん答えは否である。

(気が)

(遠くなりそうだ)

(しっかりしろ、ヴォース。まだ何も判っちゃいない)

(ここで意識を失ったら)

(確実に)

(死)

(冗談じゃ、ない)

(こんなことで、死ねるかよ)

 「刺されたその場で死ぬ」より、馬鹿げている。タイオスは必死で、意識を保とうとした。

「死なんぞ、俺ぁ」

「無駄だ」

 魔物と半魔のどちらが嘲弄したものか、タイオスには判らなかった。そんな簡単なことを把握するだけの注意力も、もはや外に向けることができなかった。

「〈杭〉に捧げるに相応しいだけの神秘。ヴォース・タイオスよ、お前は充分、それを見せてくれた。シリンディンはただの土地神と言えども、お前のような形で使者が送られる、このこと自体が稀なのだ」

 何を言っているのか、判らない。

「シリンディンの聖なる土地まで、足労であった。〈杭〉に力を与え、永遠(とわ)に続く幻夜の引き金となれ」

「俺ぁ」

 何の話だか、判らない。

 声もほとんど聞こえなくなった。目の前が真っ赤だ。いや、黒いのか。何も見えない。

(意識が――)

 激痛が、彼の意識を飛ばそうとしていた。必死の、文字通り死を目前にした抵抗にも、限界がある。限界が近づく。

(クソ)

(諦めるな)

(俺は、まだ)

 まだ死ねない。タイオスは懸命に何かにすがろうとした。何か、彼を繋ぎとめるものに。

(ティエ)

(そうだ、ティエに、顔向けできん)

(――〈白鷲〉の)

 〈白鷲〉の名に相応しい行いを。

 それは彼女の、長いつき合いの戦士に向けた、餞の言葉にして遺言となった台詞。

(ああ、そうか)

(ティエ……お前、喜んでくれてたんだな)

 ふっと彼はそのことに気づいた。

(俺が「英雄」なんて呼ばれる存在になったこと)

(俺が照れ臭がってる分)

(お前が、喜んでくれてた)

(まるでおっかさんか)

(女房みたいに)

 〈白鷲〉の名に相応しい行いを。

(こんなことで死んだら)

(〈白鷲〉の恥も、いいとこだ!)

 タイオスは歯を食いしばった。

 不意に、傷口が、暖かくなった気がした。

『神よ――』

 次に耳に蘇ったのは、エルレールの穏やかな祈りの声だった。

『レウラーサ……』

「……ルトレイン」

 〈白鷲〉と呼ばれる戦士は、巫女姫の声に唱和した。

 手からこぼれ落ちる寸前だった剣の柄をぎゅっと握り締める。

「……ほう?」

 エククシアの、面白がるような声がした。

「いま何かが、通ったな」

 半魔が何を感じ取ったものか、それはタイオスには判らなかった。

 ただ、引いていた。

 怖ろしいほどの痛みは、嘘のように。

 戦士はすっくと立ち上がった。

「もう一度、言う」

 彼は〈青竜の騎士〉に剣を突きつけた。

「さっさと、()ろうぜ」


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