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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第2章
165/206

16 幻夜がいま

 静かな太陽(リィキア)の光が、狭い山道を照らす。

 戦士はひとり、〈峠〉と呼ばれる場所に向かって歩いていた。

 ただ「峠」と言えばそれはこの付近の地形を大雑把に指すが、シリンドルで言われる〈峠〉となれば神殿のある付近に限定されるようだ。

 歩きながらタイオスが考えていたのは、そんなことだった。何の役にも立たないと言えば立たない茫洋とした思考。

 しかしそれは、無闇に心を(はや)らせないやり方でもあった。

 これからはじまる戦いのことや、死んでしまった女のことを考えると、興奮や怒りで視界が狭くなる。それは時に集中力の源となるが、たいていは自滅への道だ。

 エククシアが何を企むのか、それはやがて判るだろう。ならばそこを思い悩むのは時間の無駄。

 ライサイの企みは、判るようで判らない。ぴんとこないと言うべきか。魔物の侵略などという話は聞いたことがない。師匠モウルが数十年前に体験したという襲撃とは似て非なるものだとタイオスは考えていた。

 もっとも、化け物が人間を脅かす、そこについては同じだ。

 ティエの仇討ちという気持ちも消え去ってはいないが、そこから生じた感情――魔物から人間を守るという、そうした思いがいまの彼の主軸になっていた。

(ヴォース・タイオスにしてはずいぶんと分不相応、誇大妄想、熱によるうわごとってもんだが)

(神の騎士〈シリンディンの白鷲〉なら、それくらいの大言を吐いてもいいんじゃないかね)

 口の端を上げて彼はそんなことを考え、ゆっくりと着実に坂を登っていった。

 やがて神殿の入り口を示す、二本の柱が見えてくる。前にもこうして緊張しながらここへやってきたっけなと彼は思い出した。あのときはハルディールとイズランが近くにいた。いまはひとりだ。

(結構なこった)

 タイオスは思った。

(ハルを守りながら戦うのはきついし、イズランが何をしてくるか気にしながらってのも厄介)

(確実に味方で、かつ、自分の身を自分で守れる奴なら、いてもらってもいいがな)

 ハルディールも多少は剣の稽古をしているようだが、ルー=フィン級の技能でも持っていない限り、守らずに放っておくことはできない。

(ルー=フィン級か)

(あいつがいてくれりゃあ、もう少し気楽かね)

(俺ぁ負けるつもりじゃないが、実際のところ、勝率は低い)

 戦士は冷静に感情と理性を計った。

(「決闘」だと言われたらあいつもくちばしを挟みにくいだろうが、俺が)

(もしも、もしもだ。仮に、俺が負けたら)

 それは十中八九、死を意味した。

(あいつが二番手で戦ってくれりゃ、まず勝てる)

(もうおかしな術中に落ちることもないだろうし、あいつがいてくれりゃ)

 あまり前向きな思考ではないなと気づきながらも、考えずにはいられない。自分が敗れたら、どうなってしまうのか。連中が杭とやらを打ち込むことになればシリンドルが、或いはもしかしたらカル・ディアル、アル・フェイルの二国、マールギアヌ地方全体や、大陸、果ては世界が、魔物の領土になるのか。

(神の騎士でも、大役すぎらぁ)

 タイオスは少し笑った。

(さて)

(ご無沙汰してたな、って感じも、しないんだが)

 〈峠〉の神殿を前に、中年戦士は苦笑を浮かべた。

 この場にやってくるのはシリンドルを離れて以来ということになるが、黒髪の子供をはじめ、神の気配なら繰り返し感じさせられたし、過去の光景も目にさせられた。

 山賊の襲撃と、前〈白鷲〉の活躍。

(神様はサナースの仇討ちをお望みなのか)

(俺にその気はないが、場合によっちゃあ手助けも見込めるんかね)

 自分に都合のいいことを考えるとタイオスは足を止め、両手を腰に当てた。

(力は借りん……なんて青臭いことは言わん。貸してもらえるもんなら何でも借りて)

(勝つことが、第一だ)

 〈白鷲〉は神殿の上部に刻まれているしるし(・・・)を見上げた。

 どっしりと根を生やしたような大樹と、天に向かって枝を伸ばす若木らしきものが見える。若木の方は、彼の持つ――持っていた護符に刻まれていたものと同じだ。

(この前は、じっくり見たりしなかったな)

(確か神殿の奥に通じる扉にも、護符と同じ柄が描かれてたっけな)

 薄れかけている記憶――年は取りたくないものだ――を呼び起こしながら、タイオスは神殿を見上げていた。

(ん)

(いま、何かがよぎったか?)

 神殿の上を何かの影が横切った。

 それはもしかしたら、吉兆とされる鷲の鳥影であったのかもしれない。だがタイオスには確認できなかった。

 そのとき、それがはじまったからだ。

「何だ?」

 ヴォース・タイオスもまた、不審そうに顔をしかめた。

(急に……暗く)

(だが、お天道さんを遮るほどの雲なんざ)

 ついさっきまで、これ以上ないほどの快晴だったのだ。山神ルトレイスの機嫌は変わりやすいと言うが、ここはそれほど高い場所でもない。

(雲)

(そんなもんは、ないな)

 やはり天空に、白い雲はほとんど見当たらない。だが、突如として分厚い雲が現れて太陽を覆っていたとしても、これほど彼をぎょっとさせることはできなかっただろう。

(待て)

(空そのものが、暗く)

(まだ朝だってのに、急に夜に――なろうとしてる、みたいな)

 すう、っと気温も下がっていく。まるで寒い夜、たき火との間に誰かが立ちふさがったかのように、顕著に。

「何……」

 タイオスは空を見上げたまま、口をぽかんと開けた。

太陽(リィキア)が……」

 それは驚くべき光景だった。

 まばゆい昼前の太陽が、ゆっくりと、黒い円になろうとしている姿は。

「――はじまりだ」

 囁くような、声がした。タイオスは振り返った。

「〈シリンディンの白鷲〉よ」

 耳障りな、高い声が続いた。

永遠(とわ)に続く幻夜がいま、はじまったのだ」

 それは、欠けゆく太陽の下。

 左右色の違う瞳を持つ金髪の半魔と、鱗に覆われた皮膚を持つ魔物が、〈白鷲〉の前に現れた。


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