15 俺に任せてください
「何故、知っている」
「急がないと間に合いませんよ。タイオス殿は、とうに出発なさいましたし」
イズランは答えず、〈峠〉の方に手を振った。
「ここを離れることはできない」
「ハルディール陛下でしたら、私がお守りしていますよ」
「お前を信頼もできない」
はっきりとアンエスカは言った。イズランは息を吐いた。
「私に陛下を傷つける、どんな理由があるって言うんです」
「理由は、見えない。だがそれはあくまでも、私の知る範囲では、ということになる」
「アンエスカ」
ハルディールは騎士団長を見た。
「実際、イズラン術師が僕をどうこうする理由はないと思う」
「そうかもしれません。しかしそうした話をするならば、陛下をお守りする理由も、この魔術師にはない」
「私がお守りすると申し上げて万一のことがあったら、タイオス殿とアンエスカ殿に斬られるに決まってるからだ、というのは駄目ですかね」
「それは『理由』ではないな」
「もっともです」
肩をすくめてイズランは認めた。
「イズラン。何故エククシアの発言を知っているのか、その問いに答えてもらっていないようだが」
「私は〈峠〉の神と〈白鷲〉に興味があります。〈峠〉の神は普段静かにお休み中ですが、有事の再には活発になる。〈白鷲〉はその顕現のひとつですね」
魔術師は言った。
「シリンドルで〈白鷲〉が動いている。それが何を意味するかは、陛下や団長の方がよくご存知のはずですが」
「――シリンドルの危機」
ハルディールが呟いた。
「そして、神の干渉」
アンエスカが続けた。イズランは、教え子が正解を口にしたときの教師のように笑みを浮かべてうなずいた。
「タイオス殿はまだ〈白鷲〉を単なる称号と考えているきらいがありますが、それだけでは済まない。〈シリンディンの白鷲〉が存在する、そのこと自体が顕現なのです」
「だから、何だ」
顔をしかめて、アンエスカ。
「その話と、エククシアの言葉を知っていることと、どう関係する」
「ですから」
したり顔でイズラン。
「昨日、『幽霊屋敷』の近くで再会をして以来、私は〈白鷲〉殿にちょっとした術をかけまして、彼の聞くことをみんな聞いていたんですよ」
さらりと魔術師は告白した。タイオスがいれば唖然としてから怒りを覚え、いい趣味じゃねえかこの野郎と殴りかかったかもしれないが、アンエスカは先ほどよりも苦い顔をした程度で済ませた。
「ではみな、知っていると」
「ええ。ですから、私の方には質問することがありません」
平然とイズランは言った。
「ただ協力を申し出ています」
「貴殿の利は」
アンエスカは問うた。
「何も……などと言っても信じてもらえませんでしょうな」
「無論だ」
きっぱりと騎士団長は告げた。
「今日日、八大神殿の神官ですら、容易に信頼できるとは言えぬようだからな」
「『彼ら』のことを言っているのだったら、あれは特殊ですよ」
「特殊、とは?」
ハルディールが尋ねた。
「それに……『彼ら』と?」
「ええ」
「彼ら」です、とイズランは繰り返した。
「私はあまり詳しくないんですけど、八大神殿では最近、若手の造反……とまでは行きませんが、それに近いことがまかり通っているようで」
「造反とは穏やかでないな」
「十年もすれば『若気の至り』ってことになるのかもしれませんけれどね。それはあくまでも、〈神究会〉が立ち行かなかった場合の話でして」
「神究会?」
「そういう名称で活動しているようなんですよ。正直、私はよく知りません。近頃カル・ディアルの八大神殿はきな臭いって話ですが、今回の件に直接関係するとは思いませんね。私の兄弟子でしたら私よりもいくらか把握しておりますので、必要なら呼びますが、いまは」
イズランは窓の向こうを見るようにした。
「団長殿は、急いだ方が」
「だが……」
彼らが同じ話を繰り返しそうになったときだった。
「騎士団長」
王の呼びかけに、アンエスカは姿勢を正した。ハルディールが真剣な調子で彼を役職で呼ぶとき、そのあとに続くものは推測ができた。
「命令を下す」
案の定、少年王は言った。
「〈峠〉へ出向き、タイオスの補佐をせよ」
「は……しかし」
「タイオスのことだけに限らない。〈穢れ〉の期を終えた〈峠〉には、いま」
王はじっと騎士団長を見た。
「いまのシリンドルに役立つかもしれないものが納められているはずだな」
「陛下」
ハルディールの言葉が何を意味するか、アンエスカには伝わった。
だがハルディールをひとりにする訳にはいかない。アンエスカはすぐには肯んじることができなかった。
「――俺が陛下といます、団長」
戸口に現れた姿にアンエスカははっとした。ハルディールも目を見開く。
「レヴシー!」
「無事だったか!」
少年騎士はにやっとして敬礼を決めた。
「ルー=フィンとユーソアが助けてくれたんです」
彼は言った。
ライサイの術下にあったルー=フィンが、ぎりぎりの範囲で彼の救命に尽力したこと――レヴシーを殺したと思い込んだアトラフがルー=フィンに「あと始末」だけを命じたという運も味方した――、ルー=フィンへの術が破れたと知ったアトラフはレヴシーの生存を疑って彼を探そうとしたが、そのときにはユーソアがレヴシーを保護していた。
「話はみんなユーソアから聞きました」
レヴシーは真剣に彼の王と団長を見た。
「最新の辺りは怪しいですけど、どうやらアンエスカは〈峠〉に行く必要があるんでしょう? ここは、俺に任せてくださいよ」
「酷い顔色で何を言っとる」
「団長だって人のこと言えませんよ」
笑って少年は指摘した。
「大丈夫ですよ、ほんとに。俺は最年少で、子供で、頼りないかもしれませんけど」
アトラフに遅れも取ったし、と彼は頭をかいた。
「でも〈シリンディンの騎士〉です」
顔を上げて彼は、もしも団長が否と言ったらすぐさま抗議の言葉を投げつけようという目つきでアンエスカを見た。
その視線を受けて、アンエスカはふっと笑った。
「ようし、レヴシー・トリッケン。死の淵から戻ったばかりであろうと、我らが務めに変わりはない。全てを賭して、陛下の御身をお守りせよ!」
「はっ、〈峠〉の神に誓って!」
青白い頬に赤みを差してレヴシーは敬礼をした。