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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第2章
162/206

13 どちらにも偏らない

 その朝――。

 南の小国シリンドルの空もまた、晴れ渡っていた。

 夜明け前に目を覚ましたタイオスは、神官の質素な食事を分けてもらい、軽く素振りなどをして身体をほぐすと、さっさと〈峠〉に向かうことにした。

「祝福は必要か?」

 振り向けば、そこにいたのはコズディム神官だった。

「神力は戻ったのかい」

「いや」

「そうか」

 戦士は肩をすくめた。

「気持ちだけもらっとこう」

 それ以上は触れず、彼は簡単な返事をした。

「ところで、妙なことはまだ考えてるのか?」

「妙なこととは、何だ」

「だから、改革がどうとかさ」

 渋面を作ってタイオスは言った。

「無論」

 ヴィロンはうなずいた。

「一夜ごときで考えの変わるはずがあろうか」

「……一宿一飯の恩義って知ってるか」

 タイオスは言ったが、神官は気にもとめないようだった。

「神殿長と話をした」

「何ぃ」

 いつの間に、とタイオスは驚いた。

「彼は悪い人物ではないが、やはりシリンドルに生まれ育った人間としてひとつの考えに凝り固まっている」

「それは、お前も同じじゃないのか」

 彼は指摘したが、ふと何かが引っかかった。

「何だ、その顔は」

「いや」

 タイオスは呟いた。

「よく判らなくてな」

「何?」

「いや」

 何でもないと彼は言った。何に引っかかったのか、自分でも判らなかったのだ。

「とにかく、だ」

 こほんと彼は咳払いをした。

「神官は、人と人の間の不和を取り除くことも仕事だろ。不和をあおるなよ」

「私は何も、争いを起こすつもりはない」

「起こそうとしてるようにしか聞こえんが」

「神殿長との語らいのことを言っているのか? これで不和が発生すると言うのであれば、それはボウリス神殿長の不徳というものだ」

「この野郎」

 タイオスは顔をしかめた。

「もっとも、語らいはあまり益がなかった。議論で洗脳を解くのは困難だな」

「洗脳だと? お前は、この国の信仰を洗脳だって言うのか」

その通りだ(アレイス)

「はっ、八大神殿の信仰がそうじゃないって、どうして言える」

「強固なる基盤と、確立された神学、そして」

「阿呆らしい」

 彼は一蹴した。

「結局、自分の信じるもんを他人にも押しつけようってだけじゃねえか。向こうから知りたいと言ってくるなら教えてやればいいし、てめえの縄張りが荒らされそうになったとでも言うなら牙を剥いたっていいが、人んちに押しかけてまでこれを信じろと暴れるのが八大神殿のやり方かい」

「縄張りなどという下等な考えではない。しかし、シリンディンの特殊な教義をこの国の外へ持ち出すことは感心しない」

「言い方をどう変えようと同じことじゃねえか」

 タイオスは指摘した。

「だいたい、こっちの神官が他国に布教に出向いたなんて話は聞かねえぞ」

「〈白鷲〉はカル・ディアルの伯爵やその息子を手懐けていると聞くがな」

「は?……あのなあ」

 もちろん彼自身とリダール、加えてサナースとキルヴン伯爵のことを言っているのであろう。筋違いもいいところだと戦士は反論しかけたが、急に馬鹿らしくなって手を振った。

「馬鹿らしい。阿呆臭い。その手の話は神殿長やルー=フィンと続けてくれ」

 昨夜の議論とやらにルー=フィンもいればよかったのにとタイオスは思った。もっとも、それでヴィロンが説得できたとも思えないが。

「そんなことより、俺ぁお仕事よ。こいと言われてのこのこ出向くのも気に食わんが、この際、仕方ない」

 彼は南の峠を見上げた。

「――ヴィロン!」

 そろそろ行くかとタイオスがヴィロンをあとにしようとしたとき、話が終わるのを待っていたかのようにやってきたのは、フィディアル神官ラシャだった。

「よかった、無事だったのですね」

 ほっとしたように言ったラシャに、タイオスは目をしばたたいた。

「あんた、どうしてここに」

「私にできることがあればと」

 フィディアル神官はそれだけ言って目を伏せると、祈りの仕草をした。

「ヴィロン殿、ご無事で何よりです。おかしな話を聞いたので、まさかと思いましたが」

 そして顔を上げ、黒髪の神官に話しかける。タイオスはどう言おうか迷ったが、彼が答える必要はなかった。

「おかしな話とは、私が神力を失ったという件か」

 当のヴィロンが、動じもごまかしもせずに返事をしたからだ。

「ええ」

「生憎だが、事実だ」

「何ですって」

 ラシャは目をしばたたいた。

「だが一時的だ」

 ヴィロンはまた言った。

「すぐに戻る」

「それならば、よいのですが」

 フィディアル神官は心配そうな顔をした。

「あなたに何かあったら会の計画が頓挫してしまうところです」

「何だって?」

 つい口を挟んだのはタイオスだ。

「〈神究会〉」

 ヴィロンが言った。

「三十歳未満の若手神官で作られた、八大神殿の枠を持たぬ未来の会だ」

「はあ?」

 こいつは何を言っているのかと、タイオスはぽかんと口を開けた、

「ヴィロン殿」

 ラシャは諫めるような咎めるような声を出したが、ヴィロンは首を振った。

「彼には少し、話をした。異論もあるようだが、神職にない者も説得できぬようでは、私がいようといまいと頓挫するだろう」

「話したのですか」

 ラシャは拍子抜けしたようだったが、気を取り直したようにタイオスを見た。

「ヴィロン殿が〈神究会〉の将来的な指導者とされますのは、何も神力だけの話ではありませんが」

「待て、何の話だ」

 タイオスは片手を上げた。

「神究会? 指導者だって?」

「話したのでは?」

「会の話はしていない」

「そうですか」

 ラシャはうなずいた。

「私たちは既存の枠を撤廃して互いに協力し合うことを決めたのです」

 神官は笑みを取り戻した。

「そして形成されたのが〈神究会〉。各神殿間のつまらない諍い……中身のない見栄の張り合いに、若者たちはうんざりしています。年を重ねたというだけで能力あるわれわれの頭を押さえつけようとする老人たちに、従う理由などありません」

「何だって?」

 さっぱり判らなくて、タイオスは目をしばたたいた。

「要するに、私たちは八大神殿に改革を起こします」

 さらりとラシャは言った。

「改革」

 その話はここからか、と彼は顔をしかめた。

「当初、シリンドルとシリンディンはあまり研究する必要もない田舎の信仰と思いましたが、私の誤りでした。ここは重大な転換点となります」

「星辰が幻夜を示す」

 ヴィロンが呟いた。

「『神が降りる夜』を体験することは、〈神究会〉の役に立つだろう」

「リダール様とフェルナー・ロスムの件もまた、役に立ちます」

 ラシャが言う。

「あのような魂離れは、これまでに例がない。無事に納めたことは〈神究会〉の伝説の第一歩となるでしょう」

「ちょ、ちょっと待て。何だか、判らんが」

 タイオスはようやく、遮った。

「納めた? 納まったのか?」

「ええ」

「ハルは。あいつはどうしてる。昨日の俺ぁ、かっとなって飛び出してきちまったが……」

 ヴィロンの手が借りられなくなって、ハルディールを取り戻すにはエククシアに勝つしかないという話になっていた。もっとも、いまやタイオスの気持ちとしては、とにかく連中をぶっ潰すという方向になっているが。

「ハルディール陛下は、ご無事です」

「戻ったのか」

 タイオスはほっとした。

「それじゃ、フェルナーは……」

「アスト・ラムラマド」

 フィディアル神官はコズディムの印を切った。

「ええ、無事、冥界に」

「そう、か」

 タイオスは複雑な表情を見せた。

「悪いが、何とか会やフェルナーの話は、あとで聞かせてくれ。俺はあっちに用があるんでな」

 戦士は峠を指した。

「それから、ラシャ」

 どう言ったものかと迷いながら、タイオスは思いつくままに続けた。

「悪いが、改革云々の話もあとで聞かせてくれんか。その、ほかの誰かとする前に」

「は?」

「彼はこの国の信仰を守る立場だ」

 説明するようにヴィロンが言った。

「改革が気に入らぬらしい」

「何も『守る立場』じゃないがね」

 それは〈白鷲〉の使命ではなかったはずだと彼は思った。

「俺が言いたいのは、俺はどちらにも偏らない、両方を知る人間だってだけだ。そういう立ち位置の意見も必要だろ? 公正に考えて、そうじゃないか?」

「偏らない、とは思えぬが」

 ヴィロンは肩をすくめた。

「立ち会いたいと言うのであればそれもよいだろう」

「偏らないようにするさ」

「どうだかな」

「まあまあ、ヴィロン殿」

 ラシャは年下の神官に取りなすように言った。

「タイオス殿はお判りでないのです。致し方ないこと」

「そりゃあ何とか会のことは知らんが」

 何だか少しむっとして、タイオスは顔をしかめた。

「ことが落ち着いたらハルディール陛下とお話をしたいと思っています。それまでは様子を見るだけにしますので、ご安心を」

 フィディアル神官は確約した。

「そう、か」

 タイオスはまた同じように返した。

 様子を見る。それはヴィロンと同じ言葉だ。安心できるのかできないのか、よく判らない。

 少しだけ、嫌な感じはした。だがそれが何であるのか、タイオスは掴めなかった。

 もう少し落ち着いた場所で落ち着いたときに落ち着いて同じ話を聞いたとしたら、彼も気づいたかもしれない。思い出したかもしれない。

 初めて〈峠〉の神を崇める者を知ったときの、薄気味悪さ。自分の知らぬ価値観に殉ずる他人に感じる、異質さ。

 だがタイオスはやがてそれに慣れた。そういうものだと考えるようになった。シリンドルは彼に馴染み深いものとなり、守りたいもののひとつとなった。彼は受け入れるようになり――。

 このとき、見落としてはならぬものを見落とした。

 感じた違和感を、ささいなものと、考えて。

 もっとも、それは彼の使命ではない。彼が「公正な立場から」と言ったのは本心であり、無闇にシリンドルをかばうつもりも、八大神殿を貶めるつもりもなかった。

 ただ何にせよ「あとだ」と思った。

 彼の使命はいま、〈峠〉にある。

(まあ、万一)

(負けるつもりはないが、俺が万一死んだとしても)

(アンエスカの野郎は簡単に負けんだろうし)

(クインダンもユーソアもいる。奴らはそれぞれ、巧いこと、それぞれの欠点を補い合うようだし)

 慎重なクインダンを大胆なユーソアが引っ張る。逆に、クインダンがユーソアを抑える場合もあるだろう。

(ルー=フィンは)

(あいつは独立独歩と言うか、自分の道を行ってるからな)

(ハルや館、こっちの神殿の方は、騎士連中に任せて)

(俺は、俺の仕事を)

 何かが引っかかっていた。

 それも、ひとつではない。何か、見落としていることがあるような。

 だがいったい何であるのか判らぬままで、戦士は〈峠〉に向かって歩き出した。


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