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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第2章
160/206

11 空

 珍しいな、と声がかかって、男はひょいと振り向いた。

「よう、ゴルンの旦那」

 ひょろひょろした体格の男は、制服姿の町憲兵にひらひらと手を振った。

「〈痩せ猫〉の活動時間は夜じゃなかったのか? プルーグ」

 コミンの町憲兵隊副隊長ゴルンは、〈痩せ猫〉と呼ばれる情報屋をじろじろと眺めた。プルーグはおどけて両手を上げた。

「俺ぁ、町憲兵の旦那にしょっぴかれるような真似はしてないぜぇ」

「『見つかってない』というだけだろうが」

 ふん、とゴルンは鼻を鳴らした。

「情報を得るために他人様の敷地に忍び込んだりだとか、弱者を脅してネタを吐かせたりだとか、してるだろう」

「とんでもない。冤罪もいいところだ」

 プルーグは肩をすくめた。

「俺ぁ、善良な情報屋なのさ」

「聞いて呆れる」

 言葉の通りに副隊長は呆れた顔をした。

「もっとも、近頃は静かなようだな」

「景気が悪くてねえ」

 情報屋は嘆息して首を振った。

「善良な情報屋に金を弾もうって輩がいないのさ。報酬が確約されないんじゃ、俺も動けん」

「先に金をもらってとんずら……じゃないのか、お前は」

「冗談はやめてくれよ。情報屋は信用第一。もうらもんもらって逃げるような真似をしたら、そんな話はあっという間に広まって、命を賭けた情報だって買ってもらえなくなっちまうんだぜ」

 プルーグは諭すかのように言った。

「その辺、タイオスの旦那は判ってくれてるからな、あの人は俺の得意客なんだが」

「あいつもしばらく見ないな」

 思い出したかように言って、ゴルンはあごを撫でた。

「また護衛業にでも出てるのか」

「何だ。知らないのかい」

 情報屋はにやりとした。

「タイオス旦那がどうしてるか、教えてやろうか。安くしとくよ」

「馬鹿野郎。お前から情報なんか買うか」

「ちぇ、町憲兵の旦那はケチ臭いなあ」

 落胆したようにプルーグは肩を落とし、それからまあいいやと言った。

「今日みたいな天気のいい日は、俺も気分がいい。特別に、ただで教えて差し上げよう」

「金を出すほどの情報じゃないってことじゃないか」

 ゴルンは顔をしかめてから、言ってみろと促した。

「〈紅鈴館〉の熟練の踊り子と旦那が懇意だったのは知ってるかい? 彼女が先日、例の劇団に誘われて――」

 情報屋は得意気にタイオスとティエの話をしようとしたが、不意に口をつぐんだ。

「なあ、旦那」

 彼は空を見上げていた。

「何だか……変じゃないか?」


 〈ホルッセ劇団〉は、しかしいつまでも消沈としてはいられなかった。

 ティエの騒動のあと、トーカリオン王子の使いとして魔術師サングがやってくると、公演の決定を知らせたからだ。

 彼らは慌ただしく首都アル・フェイドに向かい、ティエの話は禁忌のようになっていた。

 もっとも、穢らわしいとして口をつぐんだのではない。

 踊り子の教師のことをほとんど知らぬままだった者も、大まかな話を聞き、公演を成功させるのがティエの弔いになるとも考えて練習に励んだのだ。

 そんななかで道化師ラサードと踊り娘キーチェルだけは、顔を合わせればティエの話をした。

 と言ってもそれは哀しみを再確認する以上のことにはならなかった。

「タイオスは、どうしたかね」

 時折、ラサードは戦士の話もした。

「あたしはね、あいつに言ってやったんだ。どうしてティエに求婚しなかったんだって」

「彼は、何て?」

「いまさらだ、なんて笑ってたけど。……もう、聞いたろうね。あの魔法使いから」

 彼らの前に現れた魔術師イズラン・シャエンがタイオスの知人だということには驚かされたけれど、彼の居場所は判っているから必ず伝えるという約束に、ラサードは安堵したものだ。

 タイオスには知る権利があると、彼はそう思っていた。

「彼も悔やんでるんじゃないかね、いまごろは」

 道化師は呟いた。

「たぶん彼は、思ってたんだ。ティエはいつでも、自分を待ってくれていると。ティエがこの劇団に入って、以前のようには会うことがなくなっても……二度と会えなかったとしても、遠い空の下で元気にやってて、たまには彼のことを思い出してくれてるってね」

「でも……先生は亡くなってしまったわ」

「だからさ」

 ラサードは肩をすくめた。

「繋がっていると思っていた糸がぷつっと切れちまった。これは、あたしのことでもあるんだけど」

「どういうこと?」

 判らなくてキーチェルは尋ねた。

「あたしは若い頃、ティエに夢中だったんだ」

 彼は告白した。

「当時一緒にいた一座で問題が起きて、離ればなれになっちまったけど、彼女はどこかで元気に踊ってるってそう思ってた。或いは、誰かと結婚していいおっかさんになって幸せに暮らしてるってね。再会したときは、そりゃあ嬉しかったさ」

 ラサードはかすかに笑みを浮かべた。

「ま、あたしもずっと彼女一筋だった訳じゃないし、再会して老いらくの恋をしたって訳でもない。ただ、持ってた糸の先にティエがいて、踊りを忘れていなかったのが嬉しかった。反面、普通のおっかさんになっていなかったことが気の毒でもあったんだけれど」

 彼はタイオスにも言ったようなことを言った。

「あの戦士が彼女の近くにずっといたこともね、嬉しかったよ。いや、ちょっとだけ、意味もなく妬いたかな。あんまり、お似合いだったからね」

「あたし、その人のことよく覚えてないわ」

 少し残念そうにキーチェルは言った。

「でもその戦士さんがうちにやってくる理由も、もうないわね。あたし……あたしたちだけ逃げたことを謝らなくちゃいけないのに」

「そのことは、もうお忘れ」

 優しく道化師は言って、少女の頭を撫でた。

「ティエは、あんたたちを守るために残って、戦ったんだ。あんたたちが逃げずに一緒に氷像になってたら、みんな無駄死にさ」

「でも、四人だったら、何とかなったかもしれないわ」

「ならなかったさ。化け物なんだよ」

 首を振ってラサードは諭した。

「自分を責めるのはおやめ。ティエが哀しむ」

「ラサード……」

 少女は何度目になるのか、瞳に涙を浮かべた。ティエのことを話すたびに、つらくてたまらなかった。

「おやおや、泣かない、泣かない」

 道化師はその役割に相応しく、おどけて言った。

「さ、もうひと練習、頑張るんだよ。今日はいい天気だ。お天道さんも見てる。ほら、笑って――」

 陽気を装ってラサードが天を仰いだとき、すうっと冷たい風が吹いた。

「ん?」

 彼は目をしばたたいた。

「何だ……あれは?」

 釣られるようにキーチェルも同じものを見た。彼らは呆然と、その場に立ちすくんだ。


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