05 一個人だと思うのか
「いや、でもさ、陛下はまだ十五だろ?」
「そうだ。十五歳。本来ならばまだ、どんなに短くてもあと十五年くらいは『お世継ぎ』でいらっしゃるはずだった。だがいまや、陛下が十五でも六十でも関係ない。次のお世継ぎが必要とされる立場においでだ」
「それは、そうだけど、でもまだ」
十五歳だ。成人したばかりの、子供なのだ。
レヴシーはハルディールより少しだけ年上だが、結婚など考えたことがない。子供の頃から〈シリンディンの騎士〉を目指していた彼は、女の子と遊ぶよりも剣の訓練に励んできた。恋の経験がない訳ではないが、その成就よりも騎士になることを優先した。
結果、少年は非常に若くしてその座に就いた。実際のところ、剣技にとても秀でていたと言うよりも、純粋に国を思う少年の心を当時の騎士団長が買ったと言うのが正しかった。修行の間に、年の近いハルディール王――当時は、王子であった――と仲良くなったレヴシーは、国のために騎士となり、王家を守りたいという気持ちを強く持つようになっていたからだ。
もちろん、審査に通るだけの実力もあった。当時、騎士団長であったのはアンエスカではなく、亡くなった老ウォードであったが、どちらにせよ彼らは「ハルディールが親しみを覚えているから」というような理由で登用したりはしない。
それだけの力を身につけるために、少年は少年らしい少年時代を犠牲にしてきたとも言えたものの、彼自身は満足していた。
「騎士」という身分は別の意味で少女たちの憧れでもあり、クインダンもレヴシーも国中の女性に人気が高かったが、彼らには厳しい倫理観も求められる。気軽に「遊ぶ」などもってのほかであり、たとえ真剣に恋に落ちても、クインダンのようにするか、いまは亡きニーヴィスのように退役して結婚をするか、どちらかだ。
つまり、どんなにもてはやされたとしても、彼らは実際のところ何の身分もないただの男たちより異性から縁遠かったと言えた。
そうしたこともあって、レヴシーがフィレリアに見とれたハルディールをからかうかのように言うのは、子供っぽい言い立てに過ぎなかった。色気づいてきたばかりの少年が気の置けない友だちに「お前、あいつのこと好きなんじゃねえの」などと言う類である。
だがそうはいかないと、クインダンは言ったのだ。
レヴシーは頭では理解したが、何だか納得がいかなかった。
「フィレリア嬢がどうだと言うんじゃない」
後輩のそんな様子を見て取って、クインダンは首を振った。
「だが、陛下のお妃は、お若い陛下の助けになる家の……」
「アンエスカみたいなこと」
ぽつりとレヴシーは呟いた。
「クインまで、アンエスカみたいなこと言うんだな」
「……レヴシー」
青年は後輩を見やった。
「その話は前にもしたことがあったな。もちろんハルディール様のお気持ちがあって、誰であれお相手も同様で、なおかつ知識教養充分、容姿も端麗、家柄も文句なしであれば最高だ。だが」
「切っていくとしたら『お気持ち』部分からって言うんだろ」
「……そういうことになるだろうな」
静かにクインダンは認めた。
「俺だって、そこまで子供じゃないんだし、クインやアンエスカの言うことも判るさ。陛下は、陛下なんだから。殿下時代ならまだ……たとえばシリンドルを知らない他国の姫様とかでもいろいろ覚えてもらう時間があったけど、いまはもうないとか」
「殊、神殿長一族の交替という大きな出来事もある。シリンドル王家とシリンドレン神殿長家には血縁のつながりも、歴史もあったが、ボウリス家との間には何もない」
「ハルディール様はボウリス神殿長を信頼してる。何もないなんて」
「陛下と神殿長の話じゃない。シリンドル王家とボウリス家の話だ」
ボウリスはシリンドレン家の血筋ということもあって神殿長に選ばれていたが、それは母方の血筋であって、ボウリス家とシリンドレン家、及びシリンドル家の間には何も繋がりがなかった。
「……判るよ、判るけどさ」
レヴシーは息を吐いた。
「判るけど、嫌な感じだ」
「家柄だの、家同士のつながりが? それを言えるのはレヴシー、あくまでもただの個人の場合だ」
「『陛下は陛下』だろ?」
むっつりとレヴシーは言った。
「その通り。それから」
「――騎士は騎士」
クインダンの言いたいことを先取ったのは、レヴシーではなかった。
「アンエスカ」
「団長」
若い騎士たちは揃って敬礼をした。シャーリス・アンエスカはうなずいて礼を返し、ふたりを眺めた。
「少し、聞こえたようだ」
騎士団長は言い、レヴシーは首をすくめた。叱責がくる覚悟を決めたのである。
「レヴシー。陛下には国王としての責がある。そのことは理解しているようだな。納得はしていないとしても」
アンエスカの正しい指摘に、レヴシーは小さくうなずいた。
「だがお前は、お前自身のことを忘れていないか」
「どういう、意味ですか」
「お前は誰だ?」
団長は問い、少年は目をぱちくりとさせた。
「答えろ。お前は誰だ」
「レヴシー・トリッケン」
彼は名乗った。
「シリンドル国の守り手、〈シリンディン騎士団〉の一員です」
「ほう」
アンエスカは片眉を上げた。
「判っていたのか」
「……当たり前じゃないですか」
いったいアンエスカは何を言いたいのかと、レヴシーはかすかに眉をひそめた。
「〈シリンディンの騎士〉が一個人だと思うのか?」
「……あ」
そこで彼は気づいた。
「す、すみません」
騎士団の制服を着た騎士ふたり――大げさな言い方をすれば騎士団の半数が国王の結婚やら神殿長家とのつながりやらと話していて、個人の感想だでは済まない。近くには誰もいないようだったが、通りすがった者が断片を耳にして、それが騎士団の総意であるなどと噂になればどうなるか。
「騎士の方々がそう言った」「きっと正しい」――下手をすれば、世論は容易に動くのだ。
彼らが「個人の意見」を交換したかったら、制服を脱いで、互いの家のなかでこっそりとでもやるしかない。もとより、団長が、王が、或いは神が定めれば彼らはそれに従う身だ。意見を持ち、述べることは罪ではないものの自重は必要であり、自説への固執は避けねばならない。
騎士に求められるのは技量のみに非ず。誓いを守る鋼の意志は、時に自身の心を隠し通すためにも使われる。
「今後は、気をつけるように」
アンエスカは厳しい声で言った。レヴシーは敬礼をした。
「……もっとも」
騎士団長は呟いた。
「注意が必要なのはお前よりもユーソアだな。見誤ったとは思わないが、いささか問題だ」
その言葉にクインダンとレヴシーは顔を見合わせた。
ユーソア・ジュゼ。新しい〈シリンディンの騎士〉だ。
「あれはいま、〈峠〉の見回りか」
「そのはずです」
クインダンはうなずいた。
「戻ってきましたらここを交替して、私は陛下のところに」
「いや、ユーソアには私のところにくるように言え」
団長は命じた。
「話があるからな」
どうやら後輩が団長から説教されるきっかけを作ってしまったらしい、とレヴシーは頭をかいた。