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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第2章
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04 この夜が明けたら

「なあ、ヴォース」

 ゆっくりとモウルは、弟子に話しかけた。

「復讐と仇討ちは似て非なるもんだ」

「ああ?」

「復讐ってのは憎しみや恨みからくる。感情的な強い力だが、一緒に何を巻き込むか判ったもんじゃない」

「それは、忠言なのか?」

「まあな。だがそれだけじゃない」

 モウルは肩をすくめた。

「言い訳さ」

「あぁ?」

「仇討ちってのは、これは義務、責任だ」

 タイオスの疑問の声を無視して、モウルは続けた。

「弟子の仇くらい討ってやりたいと……ま、感情的と言えば感情的だがね」

「おい、だから、何の話を」

 モウルの弟子は困惑した。

「〈青竜の騎士〉とやら」

 老戦士は剣をかまえた。

「このラカドニー・モウルが、アースダル・オントンの仇を討つ」

「なっ」

 タイオスは目を見開いた。

 一度だけ、想像してみたことがある。いや、想像と言うのとも違っただろう。仮定の話だ。もし仮に。

 もしも、兄弟子アースダルや師匠モウルが、エククシアに殺されているようなことがあったらと。

 だが、彼らに接点はないはずだった。そう思っていた。

 しかしそうではなかった。タイオスが知らずにいただけ。

(アースダルが?)

(まさか……)

 彼は呆然としたがモウルは本気であるようだ。エククシアも否定する様子はない。

「面白い」

 エククシアはまた言った。

「師を名乗るからには、あの男よりも楽しませてくれるのであろうな?」

「お望みなら笑わせてやろう。人間はな」

 老戦士は、彼の弟子がやったように、剣をくるりと回した。

「のどを切り裂かれると、笑いすぎて苦しんでるみたいな音を出すんだ」

 ああ、と彼は呟く。

「てめえは人間じゃなかったな。どういう音を出してくれるのか、こっちこそ」

 モウルは力強く礼拝堂の床を蹴った。

「楽しみだ!」

 タイオスはとめることができなかった。言葉でとめてモウルが聞くはずはないばかりか、彼と師匠のいる位置は離れていて、腕を掴むこともできなかった。

 モウルは現役を離れて久しいとは思えぬ速さでエククシアに斬りかかった。半魔は判っていたかのようにひらりとそれを避けたが――かすかに眉をひそめた。

「――うるさい」

 エククシアの口がそう動いた。タイオスにはそう見えた。

「祈りか!」

 彼ははっとした。

「神官! 祈りの声は奴に効いてる、続けろ!」

 はっきりと指示を与えられた神官らは気勢を上げた。祈りの声が強くなる。

(どの程度であれ)

(聖言は奴に影響を与えてる)

 タイオスの号令に神官らは勢いづき、エククシアはいささか動きを鈍らせた。少なくとも戦士にはそう見えた。

(気のせいじゃない)

 彼は確信した。

(明らかに、遅くなってる)

 舞踏でもしているかのような華麗な足さばきを見せた〈青竜の騎士〉であったが、祈りの声では踊れぬようであった。タイオスは長椅子を飛び越え、エククシアの後ろの回ろうとした。

(行ける、かもしれん)

(俺も助太刀すれば)

 卑怯、などとは思わない。戦は生き残ってこそだ。名誉がどうのというのは騎士たちに任せて――。

(まあ一応、〈白鷲〉も騎士だが)

(俺は誓いの言葉を述べた訳でもないしな!)

 中年戦士は早々に参戦を決め、剣をかまえた。そのわずかな間にも、エククシアとモウルの剣戟は続いた。

 タイオスは驚きを覚えていた。

 先ほどからの師匠の動きは、目の端で捕らえていた。いまでは現役時代のような訓練はしていないだろうし、仮にしていたとしてもどうしたって身体は衰える。それはタイオスですら感じていることだ。

 しかし培ったものは消えはしない。十年二十年と死線をくぐり抜けて得てきたものは彼らの内に染み込み、多少の空白期間があったところですぐに引き出される。

 モウルはそれをタイオスに見せ、既に彼を驚かせていた。

 そして、いまはそれ以上。

 まるで現役の頃のようだった。若かったヴォース・タイオスが、この人には一生敵わないと感じていた、あの日の姿のまま。

 行けるのではないかと、タイオスは再度思った。エククシアの動きが鈍っている、いまならば。

(ん)

(誰か)

 戦士の視界を駆け抜けた影があった。

 それは、およそ騎士のものとは思われなかった。

 素早くはあったがたどたどしく、戦い手にしてはずいぶんと華奢だった。

 いや、華奢という程度では済まないだろう。

 それは十代も半ばの少女であった。

「危ねえっ」

 はっとしてタイオスは叫んだ。

「この――」

 彼は少女を捕まえるべく走ったが、間に合わなかった。

「エククシア様!」

 叫び声を上げて、フィレリア――フィレンはモウルの前に飛び出した。

「危ねえっ」

 モウルもまた言って素早く剣を引いた。それは奇跡的な反応と言えた。敵を前に突撃している戦士が、そうそう容易にできることではない。一度つけた弾みはとまらないものだからだ。

 彼は素晴らしい反射神経を見せたが、それは同時に、大きすぎる隙を見せることでもあった。

 エククシアがフィレンの腕を引き、少女と入れ違いざま、その細剣でモウルの身体を貫いた。

「ぐ……はぅ」

 そのまま刃を引き抜かれた胸からは、魔物と異なり、大量の血が噴き出す。

 無様な悲鳴を上げまいと必死で耐えるモウルの口からは、うなるような低いうめき声が洩れた。

「師匠!」

 タイオスこそが、悲鳴のような声を上げた。

 モウルの手から剣が落ち、膝が崩れる。きつくエククシアを睨む目は不意に回り、白目となって閉ざされると、ラカドニー・モウルは床に突っ伏した。

「師匠、師匠!」

 弟子は駆け寄り、血まみれの老人を抱えて――既に事切れているのを知った。

「……クソ」

 彼は血まみれの両手を拭い、立ち上がった。

「クソ――エククシア、てめえ」

 前〈白鷲〉サナースと、兄弟子アースダルを死に至らしめた男。

 そして、師匠モウルまでもが。

「なかなかであった」

 冷静な声が言った。

「ニンゲンにしては、楽しませてくれたな」

 かっと怒りが、既に沸点を向かえていたはずのタイオスの怒りが、増した。

 どんな手を使おうと、戦は、生き延びた方の勝ちだ。もとよりエククシアは、何も少女を使った訳ではない。少女が勝手に飛び込んできたのだ。

 だがどうであろうと、彼の怒りが、衝撃が、収まるものではなかった。

「てめえ、今日という、今日こそは」

「明日だ」

 血の滴る細剣を手に、半魔は言った。

「決着は明日、必ずつけよう」

「逃げる気かあっ!」

 させじとタイオスは、剣を大きく振り上げて強く床を蹴ろうとした。

 だがエククシアは、こともあろうにフィレリアと名乗っていた少女フィレンを引き寄せると、自身の前に盾のごとく立たせた。

「く」

 タイオスの足がとまる。

「てめえ……」

「私はヴィロンと話をしにきただけだが、お前がいれば話は進みそうにない」

 エククシアは肩をすくめた。

「フィレンは、変わらず預けよう。まさか神の騎士や神官が、小娘に無体な真似もするまいな?」

「エククシア様」

 フィレンは彼を振り向いた。

「また私を置いていってしまわれるのですか? 私……寂しいです」

 その声音には、ハルディールの前では存在しなかった――隠されていたものがはっきりと含まれていた。

 それは媚びとも言える、成熟した女の色。

「幻夜が過ぎれば、また状況も変わろう」

 〈青竜の騎士〉は淡々と返した。

「お前はよくやっていた。余計なことを言う輩がいなければ、確実に王を籠絡していたであろう」

「エククシア様のためでしたら、私は何でもいたします」

 そこにあるのは、崇拝。うっとりとしたその顔に、タイオスは胸の辺りがむかむかした。

「こいつらの手駒なんざろくな女じゃなかろうとは思ったが、案の定か。ハルを騙しやがって」

「騙すですって」

 フィレンはキッとタイオスを睨んだ。

「おとなしくしていただけで、勝手に思い込んだだけじゃないの」

「勝手にだあ? このクソガキ」

「この、無礼者」

 少女は両の拳を握った。

「〈しるしある者〉たる私に対して……」

「ああ、ああ、成程な」

 タイオスは口の端を上げた。

「カヌハの狂信者か。魔物を崇めて自分たちは特別だとでも思ってる、大馬鹿野郎ども」

「――エククシア様っ」

 少女は敬愛する男を呼んだ。

「こんな男、ぎったぎたにのしてやってくださいっ」

 その発言にエククシアは少し笑ったようだった。

「明日だ」

 半魔は繰り返した。

「この夜が明けたら峠に登ってこい。よいな、ヴォース・タイオス」

 繰り返すと〈青竜の騎士〉は姿を消した。

 あとには気分の悪い静寂が残った。


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