03 最期までそのままで
「俺ぁてめえらをこの世から一掃すると決めてんだ」
タイオスは礼拝堂中の魔物たちに言い放った。
「神様談義は終わりだ。暴れさせてもらおうか」
「待てと、言っている」
エククシアは首を振った。
「順だ」
「うっせえな。ヴィロンは否と言ったろ。色よい答えがくるまで繰り返すつもりか?」
繰り返されれば傾くのではないか――という危惧が彼にそう言わせた。見抜かれたものか、エククシアは笑う。
「お前には話していない」
「何ぃ」
「もう一度訊こう、クライス・ヴィロン」
言葉の通り〈青竜の騎士〉は、タイオスを無視してヴィロンを向いた。
「改革は、お前の望みに合うものではなかったか?」
「何……」
困惑したように言ったのはタイオスとヴィロンの両方だった。
「改革、だあ?」
「お前が主導すればよい」
タイオスの声をまた無視して、エククシアはヴィロンに言った。
「この神殿の長になる気は、ない」
静かに、しかしはっきりとコズディム神官は答えた。タイオスは安堵したが、それはつかの間だった。
「神殿長にはならぬが、この神殿は私による改革を必要としている」
「な」
「何を言い出すんだ」
困惑と憤りの声は、じっと成り行きを見守っていた神官たちの間から起こった。
「おい、てめえ、何を」
タイオスも顔をしかめた。
「私はまず、提案しよう」
それを制するようにヴィロンは片手を上げる。
「神殿長は、そのまま」
彼はボウリスを見た。
「前神殿長の息子は、一神官に」
「な、何だと!」
ヨアティアは怒りの声を発した。
「反省と成長が見られるようであれば、次期神殿長候補ともする。こうした案であれば、認める者もいるのでは?」
「それは……」
「だがしかし……」
「み、認められるはずがあるか! こんな人物を」
声高に叫んだのはホーデンだった。
「許しを与えず、未来を全て否定する? 仮にも神官が、そのような?」
「ぐ……」
神官は詰まった。
「面白い」
言ったのは、魔物の宗主だった。
「コズディムの司る、隠と陰の性質か。突出を防ぎ、荒波を鎮めんとする」
だが、とライサイは笑った。
「無駄だ。動き出した――は止められぬもの」
ゆっくりと魔物は首を振った。
「我の処罰は、定まっている」
そしてライサイは、ヨアティアを指差した。
「祈りだ!」
はっとしてタイオスは、気づかぬ内に叫んでいた。何が起きようとしているか、戦士の勘が告げた。
「死にたくなけりゃ、お前の神に祈れ! いくら何でも聖言のひとつくらい、覚えてんだろ!〈峠〉の――」
その言葉に、ヨアティアの口の端が上がった。
「断る」
彼は言った。
「〈峠〉の神は、父を守らなかった。俺も同じだ」
「んなの」
やってみなけりゃ判らないだろう。
ここの神様は気まぐれなんだ。
素直に反省すりゃ、もしかしたら。
そうした台詞のひとつもタイオスの口から出る前だった。
ライサイの指先から、目に見えない礫が放たれた。
ひゅん、と何かが空気を切る音がする。そしてその礫は、ヨアティア・シリンドレンの心臓を正確に撃ち抜いた。
「ヨア……」
ずいぶんと、その光景はゆっくりして見えた。
容赦のない一撃で急所を貫かれた男は、歪んだ笑みを浮かべたままで、後ろ向きに神殿の床へと倒れ込んだ。
こうして反逆者の息子は、最期までそのままで――「ヨアフォード・シリンドレンの息子」以上のものになれぬままで――鼓動をとめた。
「――ライサイッ」
タイオスは剣を強く握り締めた。
「てめえ……」
「怒りか。奇妙なものだ」
魔物は首を振った。
「ニンゲンの――は多様なる色合いを見せるが、お前のそれはヨアティア・シリンドレンに対して何ら好意的な色をしていない。だと言うのに、その死に怒るのか」
「言ったはずだ。俺ぁそいつをぶっ飛ばしてでもぶっ殺してでもシリンドルから追い出すつもりだった。だがいまは、とんでもない極悪人でも呆れるほどの大馬鹿でも、人間の端くれである以上は」
〈白鷲〉は思い切り突きつければ届くとでも思うかように、剣を持つ手を高く差し上げた。
「守る意志がある、とな」
それは、照覧あれと神々に誓う、古典芝居の英雄の所作に似ていた。
「口先だけでないならば、見せてもらおう、白き鷲よ」
魔物は高い声で言う。
「明日だ。明日に全てがかかっている」
ライサイもまた芝居がかって、鱗に覆われた両手を大きく広げた。
「我はシリンドルに杭を打つ。お前にはその人柱となってもらう手はずだ」
「け、なめやがって」
やはり意味は判らない。しかし見下されていることだけは、確か。
「シリンドルのみではない。杭は各地に打つ」
「各地だと?」
「カヌハからこの地につながるひとつの脈筋、そして崩落によって露わとなった新たな境界から生じさせた新たなる脈筋をシリンドルへ導くために」
「訳の、判らんことを」
タイオスはうなった。
「一期に一度どころではない、十期に一度あるかないかの千載一遇。我はこの大陸の、いや、この世界の王となろう」
「大きく出たもんだ」
ふん、とタイオスは笑う。
「人間には誇大妄想狂ってのがいるが、人外にもいるみたいだな」
「誇大かどうか、その目で確かめるのだな。いや」
ライサイは目を細めた。笑ったようだった。
「明日死ぬのであっては、我が王国を目にすることはできぬな。気の毒をした」
「それじゃてめえの墓標には、『世界の王を目指した阿呆な化け物』とでも刻んでおいてやるさ。……ああ」
タイオスは口の端を上げた。
「墓は、要らねえな。死んだら、消えちまうんだから」
「そうだな、墓の支度は不要だ。これはお前のことだが」
ライサイは言う。
「怒りが肥大し出している。狭苦しいそれは醜悪だが、お前のそれは広すぎるほどに広いな。我等から全てのニンゲンを守ろうなどとは」
魔物は、舌なめずりをした。
「想定していたよりも、良質の杭ができそうだ。楽しみにするとしよう」
「待ちやがれ!」
前後の見境をなくしたように、タイオスは広刃の剣を持ち替えると、槍のようにそれを投げた。
タイオスは考えなしにそうした訳ではなかった。彼には目論見があった。しかし生憎と、巧くはいかなかった。
投げた剣はまだ存在した魔障壁に当たって落下し――仮にそれがなかったとしても、消えてしまった魔物の首領にそれが届くことはなかっただろう。
「ち」
タイオスは舌打ちした。ライサイが「消える」のを阻止することはできなかった。
自分の言いたいことだけ言ってさっさと消えてしまう、こうした点は魔物も魔術師も似たようなものだ。残された側には苛立ちばかりが残る。
「仕方ねえ。親玉が消えたんなら、あとは」
戦士は物騒な目つきで礼拝堂中を見回した。だがライサイが姿を消すと同時に、傍観していたソディエらも消え去るところだった。厳密に言うのなら、ライサイのようにぱっと消えたのではなく、煙のように薄れていった。
「くそ」
逃げられた、と戦士は感じた。あのまま戦いを続けていればいずれ人間の方が疲労して敗れたかもしれなかったが、そうした冷静な判断によって安堵するより、いまは悔しかった。
だが彼の感情はどうあれ、魔物たちが招かれざる聖なる場所からいなくなったことは、緊迫していた空気を少し緩めた。
残ったのは神殿長ボウリスをはじめとする、この神殿にいることに何の疑念も問題もない神官や僧兵ら、そして巫女姫、騎士たち。そしてそれ以外では老戦士と他宗の神官と――金髪の半魔だった。
「お残り下さるとはね」
タイオスは言った。
「まだ用事があるのでな」
エククシアは囁くような声で言った。
「はっ、俺の挑戦を受けて下さろうってか」
「待て」
反応したのは、意外な人物でもあった。
「引っ込め、ヴォース。挑戦するなら、俺だ」
「あ?」
間の抜けた声を出して、タイオスは師匠を見た。モウルはタイオスの斜め前方から、こちらに近寄ってくるところだった。
「代理を引き受けてくれようってのか? だが」
「俺は何も、ここへお前の応援にきた訳じゃないんだ」
モウルは肩をすくめた。
「俺は、〈青竜の騎士〉エククシアとやらを剣の錆にするためにきた」
「面白いことを言う」
金髪の半魔はくっと笑った。
「老人。お前は何故そのようなことを」
「弟子の弟子、ってのは何て言うのかね?」
モウルは考えるように首を傾げた。
「ともあれ、師匠の師匠には、相応の礼儀ってもんが必要だと教えておいてやる」
「ほう」
「師匠?」
タイオスは混乱した。
「何を言って……」