02 敵になるな
ライサイが何か合図をした。それは人間には聞き取ることのできない音だったが、ソディエたちには伝わった。
彼らは一斉に手を伸ばした。
(拙い)
だがそれは、タイオスに向けられたものではなかった。
ソディエたちの標的となった人物は、しかし素早くその場から移動した。その人物は不敬にも――それは実に、驚くべきことと言えた――祭壇の上に飛び上がると、そこから続けざまに矢を放った。
ライサイを射抜いた正鵠さは偶然ではなく、矢はソディエたちの肩に胸に、見事に命中した。高い場所にいれば的になるとタイオスと同じことを考え、射手はすぐさまそこから飛び降りると再びライサイに狙いをつけた。
「手下を引かせろ」
彼は言った。
「さもなくば、射る」
「お前」
タイオスは呟いた。
「弓矢なんかも、得意だったのか」
「一、二度、試したことがあるだけだが」
「……これだから、天才って奴は」
状況にもかかわらず、タイオスは銀髪の騎士を罵った。
「どうする、ライサイ。射抜かれたいか」
ルー=フィン・シリンドラスは堂々と尋ねた。
「やってみるといい」
簡単に、魔物は返した。ルー=フィンは躊躇なく矢を放った。それはやはり狙い過たず、ライサイの胸部に到達した。
「面白い」
否、到達しなかった。鏃は魔物に当たる直前でぴたりと静止していた。ライサイが動じることなく手を振ると、一本目と二本目の矢は手品のように燃え落ちた。
「うわっちぃっ」
気の毒にその火の粉を浴びることとなったタイオスは奇天烈な悲鳴を上げた。
(しまった)
と思ったときにはもう遅く、彼はせっかく飛びついたライサイから手を放し、落下することになる。
跳び上がれるほどの高さであるから、落ちたところで大したことはない。中年戦士は少々ふらついたが、幸いにして、彼を英雄と称える人々の前で尻餅をつくようなことにはならなかった。
(俺がやったこたぁ、飛びついただけか)
(いや、少なくとも幻なんかじゃないことは判った)
彼が掴むこともできれば、矢も――。
「白き鷲、そして銀の鳥か」
しかし、ライサイの様子は変わらなかった。生憎なことに顔色は判らなかったが、それでも痛みをこらえたり、強がったりしている感じはない。
(どうなってる)
タイオスは顔をしかめた。
(一本目は、命中したろ? こいつは化け物か?)
(……そうだったな)
タイオスが真剣に馬鹿げたことを考える間、ルー=フィンはもう一度矢をつがえた。
「ならば急所を探すのみ」
淡々と彼は言った。
「生き物である以上、不死のはずはない」
「くくく」
ライサイは笑った。
「不死やも、しれんぞ?」
「試そう」
全く動じることなくルー=フィンは言い、次の矢を放った。
数本のそれが同じ目に遭った。即ち、ライサイに到達するより早く、燃え尽きた。
「続けろ!」
タイオスは言った。
「一本目が当たったとき、こいつは確かに衝撃を食らってる」
だからこそ、ふらついたかのように位置を低くさせ、タイオスは飛びつくことができたのだ。
「〈百射れば一当たる〉」
ルー=フィンは次の矢をつがえた。
「詠唱を!」
神殿長ボウリスが再び指示を出した。はっとして神官たちは祈りの言葉を唱え出す。ソディエの間に困惑のような色が広がっていった。神の加護を信じてその場に留まった勇気ある神官たちが発する聖なる言葉は、魔物に何かしらの影響を与えていると見えた。
ライサイもまた、かすかにだが、顔をしかめたようだったからだ。
「いまだルー=フィン! やれ。やっちまえ!」
タイオスは叫んだ。
「言われるまでもない」
銀髪の若者は、矢を放った。
そのとき、これまでと違うことが起きた。
矢は燃え尽きるのではなく、見えぬ壁に阻まれたように、かつんと跳ね返って落下した。
「何だ?」
「――羽虫の羽ばたきでも」
囁きは、タイオスの背後から聞こえた。戦士は振り返る。
「集まれば、やかましい」
「エククシア!」
そこにいたのは、金目銀目を持つ〈青竜の騎士〉であった。
「無駄な真似はやめておけ、〈白鷲〉よ。ここがシリンディンの聖域であろうとも、我らにその力は通用しない」
多少はやかましいがな、とエククシアは囁いた。
「神サマのお力なんざ、当てにしてねえ」
戦士は言い切った。
「わざわざおかしらを守りにきたってか? 成程、騎士らしいこった」
嘲笑するように彼は言った。
「だがなあ、俺としちゃ叶ったりよ。明日なんてまどろっこしいこたあなしにして、いますぐ戦ろうじゃねえか」
「急くな」
ふっとエククシアは笑った。
「傷口が塞がったからと言って、無理はよくなかろう」
「うっせえ」
タイオスは一蹴した。
(案の定、こいつらの力が俺の傷をふさいでいるようだな)
(だが)
(知ったことか)
たとえその術をいま解かれたとしても。絶対に奴らを道連れにしてやる。
戦士の心にあったのはそうした思いだった。
「親玉組が、勢揃いときた」
タイオスは剣を大きくぶんと振り回した。
「まとめて始末してやらあ」
「急くな」
エククシアは繰り返し、薄く笑った。
「順番だ」
「何ぃ」
「ライサイ」
半分のソディエは父親とされる魔物に声をかけた。
「新たな神殿長を提案しよう」
無論、とエククシアは言った。
「ヨアティア・シリンドレンではない」
その発言にヨアティアはむっとした顔を見せたが、タイオスに睨まれて黙った。
「聞こう」
ソディの宗主は答えた。
「――クライス・ヴィロン」
コズディム神官の名を口にすると、エククシアは礼拝堂の片隅を見た。騒ぎに気づいてやってきていた黒髪の神官は、自らの名にぴくりとした。
「何だ」
「誰のことだ」
シリンドルの神官たちの間から戸惑いの声が出た。祈りの場を求めてやってきていたヴィロンのことを知らぬ者も多い。
「ほう。――か」
ライサイもヴィロンを認めると、彼から何かを嗅ぎ取った。「何」だと言ったのか、その場の人間は誰ひとりとして聞き取れなかった。
「くだらん話に乗るなよ」
タイオスはヴィロンに声を投げた。
「そいつらと手を組むなら、お前は俺の敵になるからな」
「……私は」
ヴィロンは静かに声を出した。
「私の道を進んでいるだけだ。最初から、お前の味方であった訳でもない」
「まあ、確かにそうかもしれんがな。奴らと手を組みゃ『味方でも何でもない』状態から敵になることは間違いないからな」
「裏切るなよ」などと言う気はない。ヴィロンは協力してくれたが、それが正義感や好意によるものでないことは判っていた。いや、彼なりの正義感――彼の神への冒涜を許さぬため――であったかもしれないが、もしも甘言に乗って魔物につくのであればヴィロンはコズディムを捨てることになる。
だがそれは、コズディムへの裏切りであってタイオスへのそれではない。
だから戦士は言わない。「裏切るな」とは。その代わり、言った。「敵になるな」と。
「我が神は、コズディムだ」
ヴィロンは言った。
「他宗の神殿長の座など提示されて、揺れると思うのか」
それはタイオスへの返答であると同時にエククシアに向けたものでもあった。しかしながら、その声は世辞にも力強いとは言えないものだった。耳にした半魔は笑う。
「そのコズディムは、お前を見捨てたままであろう」
エククシアの嘲笑にヴィロンの表情は強ばった。
「神様なんて奴ぁ、気まぐれだ」
タイオスは鼻を鳴らした。
「祈ったからって届くもんでもない。それくらい、ヴィロンは承知してるだろ」
「笑止」
金髪の半魔は首を振った。
「お前にコズディムのことが判ると言うのか」
「少なくともお前よりは判ると思うがね」
敬虔な信徒にはほど遠くても、人外よりはましだ。戦士はそう答えた。
「神と呼ばれる存在がニンゲンを救うと、本心から考えているのか」
ライサイが笑う。
「奴らは確かに力を持つ。だが太古に見捨てられたニンゲンが、その存在に気づいて勝手に崇めるようになっただけのこと。『神』の方では虫のごとき生き物のことなど、気づいてもおらぬ」
「訳の判らんことを言ってんじゃ、ねえ」
全くもって、判らなかった。彼が冷静であったなら、「意味が通じるように喋れ」くらいの文句を言ったかもしれない。だがこのときのタイオスは、意味を汲み取ってやる必要はないと一蹴した。