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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第2章
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01 この世でいちばんの極悪人であろうと

 ライサイはもはや、その異形を隠そうとはしていなかった。

 青みがかった銀色の鱗で覆われた顔面を露わにし、まぶたのない金色の両眼で、礼拝堂にいる者たち全てを見下ろしていた。

 そう、それは、手の届かない空中から。

「下りてきやがれ」

 タイオスはぶんと剣を振った。

「てめえが、おかしなことを企んだ……せいで」

 ソディエによるカル・ディアル侵略。この出来事の裏、そして頭にいるのがライサイであることは間違いない。

 人間を使役し、服従させている魔物。

 不気味な鱗状の肌、まぶたのない両眼、それらはソディエたちに共通した特徴であり、同種の動物の区別が付きにくいように、個体差は判りにくかった。

 しかしライサイを「ほかのソディエと違う」と感じたのは、何も事前にその魔族を知るタイオスだけではなかった。

 もっとも、その原因について素早く把握できた者は、タイオスを含めいなかったであろう。「喋ったからか」と考える者もいたが、それは理由のひとつ、一部にすぎない。

 ソディエは、異質だった。何もかもが異質だった。見た目はもとより、滑るような動きや魔術師の言うところの「波動」、神官の言うところの「魂の気」、普通の人間には存在を意識されないそうしたものまで。

 生き物としての根本的なところは、無論ライサイもほかのソディエと同じだった。

 だが、長年人間のなかで暮らしてきた宗主には、ライサイ自身意識していないと思われる「人間めいたところ」があった。

 それは却ってライサイを不気味に見せた。

 異質なものに人は嫌悪を感じ、恐怖を感じる。だがどこかに自分と似たものを見つけたとき、それらは弱まるどころか強まる。

 不思議なことに、ライサイがほかのソディエより人間らしい動作をすることが、ライサイをますます「違うもの」に見せた。

 礼拝堂には奇妙な均衡が生じていた。

 人間も魔物も、まるで代表(・・)同士のやり取りに勝敗を委ねると決めたかのように争いをやめ、彼らを見ていた。

 もっとも、騎士たちと老戦士は油断なく周囲を見ていたし、隙をついて手近な一体を倒すことも可能であったが、下手に刺激してはならないとも理解していた。的確に指示を出す者がいれば、まず騎士たちが狙われることは必須だ。彼らは死を怖れないが、人々を守りきれずに無駄死にをしても仕方ない。

 動きがあれば瞬時に対応できる体勢を取りながら、彼らもまた見守った。

「てめえの、せいでなあ!」

 戦士は腹の底から怒声を発した。

「お前の相手はあとだ」

 ライサイは言った。

「そこの小物に、罰をくれてやらなければならない」

 魔物が視線を向けたのは、ヨアティア・シリンドレンだった。

「小物だと」

 ヨアティアはライサイを睨みつけた。

「何を偉そうに。お前はソディどもの長かもしれんが、俺はお前に仕えた記憶などない。見当違いの台詞はよすんだな」

「救い、拾い、力を与えてやった我に対して、ずいぶんなことだ」

 ライサイはかすかに笑ったようだった。

「我は、お前が我に恩を感じ、我のために全てを投げ打ちたいと思うように記憶を変えてやることもできる。だがそうしていない。何故だか判るか?」

 魔物の笑みは、嘲笑となった。

「そのような手間をかける価値など、お前にはないからだ」

「何だと」

「アトラフには、代わりの身体が用意してある」

「代わり……くそ」

 ヨアティアは顔をしかめた。

「まだそんなものがあったのか」

「戦には、備えをするものだ」

 ソディの宗主は嘲笑を続けた。

「お前は騎士を殺そうとし、誤ってアトラフも巻き込んだ形にするつもりでいたな。だが騎士は生き延び、アトラフも死んだとは言えぬ。お前は何ひとつ、果たせぬ男だ」

「愚弄するか!」

「いや」

 ライサイは首を振った。

「お前は確かに、ひとりの男を殺した。アトラフに身体を与えたソディ一族の者だ。気の毒に」

 と、宗主は笑う。

「お前が殺した身体の主は、この先永遠に、狭間で生きる。戻ることのできる糸が断たれた故、な」

「何……」

 ヨアティアは青ざめた。

 と言うのも、ライサイの言葉は、彼の身にもその永遠が振りかかることを示唆したからだ。

 もしもフェルナーがヨアティアの身体を使っているときに死ぬことがあれば、ヨアティアは永遠に〈墨色の王国〉に。

「何を怖れる?」

 ライサイは笑った。

「案じずとも、お前に永遠はない。ここで、その身体のまま、死ぬのだからな」

「ふざけるな」

 ヨアティアはライサイを睨み返した。

「俺を殺す気か」

「指示に逆らい、アトラフを殺した。お前もアトラフも羽虫(グー)にすぎぬが、それでもあれは役に立つ羽虫だ」

 ライサイはすっと片手を上げた。

「お前への罰は、お前がアトラフに与えようとしたものと同じにするのが、相応しかろう」

「この……」

「おいコラ。こっちを無視すんな」

 タイオスは口を挟んだ。

「そんな小物のことなんざ、それこそあとでいいんだよ」

「何だと!」

「うるせえ、黙ってろ馬鹿息子」

 ぎろりとタイオスは強い視線をシリンドレンの息子に向けた。

「お前が片づくんなら俺は万々歳だ。どうぞどうぞと道を空けて見物し、拍手喝采したっていい。半日前なら、間違いなくそうしたさ」

 彼は言った。

「だがな。俺はもう、たとえこの世でいちばんの極悪人であろうと、こいつらに人間が殺されるなんて考えるだけで腹が立つんだよ」

 変わらぬ調子で発せられたその台詞の意味を理解したのか、はたまた単にタイオスの迫力に押されたか、ヨアティアは黙った。

「ニンゲン」

 ライサイはタイオスを見下ろした。

「たががニンゲンの分際で、ずいぶんと我が同胞(はらから)を傷つけてくれたようだな」

「はっ、殺されたくなけりゃおうちへ帰んな」

 タイオスはライサイを睨み据えた。

「てめえらは俺をこの上なく怒らせた。少し前までなら俺は、シリンドルから出てカヌハに籠もってろと言ってやったさ。だが」

 ぶん、と戦士は剣を振った。

「逃げ帰ったところで、もう許さねえ。みんなぶっ殺してやろうと決めた」

「くく」

 魔物は笑った。

「英雄気取りか。いや、英雄なのだったな、〈白鷲〉とやらは」

「シリンドルのため? なくもないがな、もはやおまけ(・・・)よ」

 神の騎士は言い放った。

「雑魚ばっか殺っても仕方ねえ。いや、あとで片付けてやるがな」

 タイオスの怒りは燃え続けた。

「まずはてめえと、青竜の。絶対にぶっ殺す」

「焦るな」

 ライサイは空中から手を振った。

「エククシアとは明日、刃を交えるがよい」

「ああそうかい」

 タイオスは鼻を鳴らした。

「てめえらの仕込んだ舞台の上じゃなきゃ()れんって訳だな。それならそれで結構。ご指定の場所にご指定の時間、出向いてやるさ」

 だが、と彼は続ける。

「そいつぁエククシアとの約束だ。てめえをいつ殺るかは決まってねえ」

「その機会は無い。生憎だがな」

 ライサイは耳障りな声で答えた。

「仮にも神秘を名乗るなら、せめて空でも飛べるようにするのだな、白き鷲」

「俺が名乗ってる訳じゃねえ!」

 苛立ちも最高潮だ。もう少しでタイオスは、剣の届かぬ位置にいるライサイに向かって、もしかしたら届かないかとばかりにみっともなくぴょんぴょん跳ねながら剣を振りでもするところだった。

 彼がそうしなかったのは、無駄なことで体力を浪費するなという理性の声のためだけではない。

 機会が、やってきたからだ。

 しゅん、とかすかな音が風を切った。ライサイの身体がびくりとし、大きく揺れ沈んだ。

(いまのは)

 タイオスは驚いたが、魔物を貫いた矢とそれを放った人物について考えるより、逃してはならない機会の方を採った。

「うおりゃあああああ」

 中年戦士は雄叫びを上げ、長椅子に足をかけると低い位置まで落ちてきたライサイの足をひっ掴むべく飛び上がった。

 その目論見は成功したが、それはそのまま魔物を床まで引きずりおろすことには通じなかった。

 ライサイは感情の見えないことエククシア以上である金の瞳をタイオスに向けたまま、彼をぶら下げたままで、空中にとどまった。

「この、落ちろ、この野郎っ」

 右手に剣、左手にライサイの足という状態となったタイオスは、問題に気づいた。

(――こりゃ)

(いい的だ)

 ソディエらは戦う意思のある者から狙って順に氷像を作り出していたが、必ずしも統率が取れず、指差されたものの痺れを覚えた程度で済んだ僧兵もいた。

 それは混戦のためだ。ソディエらとて戦慣れしている訳ではない。実際、数体のソディエがタイオスやモウルの刃の前に、なす術なく塵と消えていった。

 だが、慣れていようといまいと関係ない。いまのタイオスは、礼拝堂中のソディエが指を差すことのできる位置にいる。


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