04 妹のことだけどさ
館の警護をしていた少年騎士は、交替にやってきた青年騎士を見つけるとすぐさま駆け寄った。
「クイン、見たよな?」
「何だって?」
「ほら、あの子だよ。フィレリアとかって、すごく可愛い子」
それは、その翌日のことだった。
「ああ、ルー=フィンが連れてきた兄妹か」
思い出しながらクインダンはうなずく。
「何だよ、気がない感じ」
レヴシーは唇を尖らせた。
「いくら自分にはエルレール様がいるからってさ」
「……そういう言い方はやめろ」
「照れない、照れない。いいじゃないか、みんな知ってるんだからさ」
レヴシーはにやにやした。
クインダン・ヘズオートは、王姉エルレールに密かな恋心を抱いている。
というのは、言うなれば公然の秘密だ。当人は隠しているつもりだったが、近くで見ていれば判りすぎるほど判るというもの。
一方でエルレールの方も、同じ想いを抱いている。ならばめでたく恋愛成就かと言えば、そうはいかなかった。
エルレールは巫女姫で、クインダンは〈シリンディンの騎士〉だからである。
それらの身分に恋愛を禁じる決まりはないが、少なくとも巫女が退位して人の妻となったという前例はなく、現在のシリンディン騎士団長は、国より家族を守りたくなったら騎士は辞めろという姿勢だ。
彼らは巫女と騎士たることを選び続け、結果、少年少女の淡い恋心のようなものを互いに抱き続けたまま、周囲をやきもきさせていた。
「……何を言っているのか判らない」
むっつりとクインダンは言った。
「またまた」
「レヴシー」
少年は先輩をからかうかの様子だったが、クインダンは厳しい顔を作った。
「妙なことを言い立てるな。エルレール様にご迷惑だ」
「そんなこと、ないと思うけどなあ」
レヴシーは呟いたが、クインダンの生真面目さはよく知っている。あまりからかい続けても、本気で怒らせるだけだ。少年はその辺りで切り上げた。
彼らの恋は、まるで歌物語のようだとも言えた。
だが当人たちは「許されない苦しい恋をしている」などとは思っていなかった。自らの立場で可能な限りに人を好き、相手も同じように思ってくれている、それはふたりにとって充分、幸せなことであった。
恋と同じだけ立場を大事に思う、そうしたふたりであったからこそ、それは生まれた均衡と言えた。もしどちらかでも恋の女神ピルア・ルーの虜になり、たとえ国を捨ててでも――などと言い出したなら、それは彼ら自身にも周辺にも混乱や不幸や哀しみを生んだことだろう。
レヴシーとて、クインダンがエルレールとの恋のことばかり考えていたら、実際にはとても困ってしまうはずだ。
だが先輩騎士はいつでも若者らしからぬ、しかし〈シリンディンの騎士〉らしい矜持を保って、後輩のからかうような発言をたしなめるだけだった。
「それで、じゃあ、その兄妹の妹のことだけどさ」
彼は話題を戻した。
「すっごく可愛いんだ。髪の毛はくるくるで、目はぱちっとしてて、仕草に品があって、控え目で……あ、声も可愛い」
「そうだな」
「だよな。クインも認めるよな」
レヴシーはまるで自分の手柄が認められでもしたかのように満足気にうなずいた。
「私も、とは?」
「ハルディール様さ」
少年王の友人はまたしてもにやにやした。
「フィレリア嬢を見た我らが王陛下ときたら、じっと彼女を見つめちゃって。隣にはもっと強烈なのがいたってのに、目もくれない」
「仮面の兄か」
「そうそう。強烈だよな、あれ」
「確かに」
クインダンは同意した。
「あの仮面は何かの願を掛けたためということだが、魔術師のようなローブは何なのだろうな」
彼はフェルナーを思い出しながら言った。
「魔術師であれば、あれは彼らの正装のようなものだから、ローブ姿のままで公の場にも出るし、王族にも面会する。だが……」
使用人がローブを預かろうとしたとき、フェルナーは拒否をした。特に何か言い訳をするでもなく、ただ「断る」と言ったらしい。
「汚れた格好でもしてたからじゃないのか」
「まあ、その辺りかもしれないな」
ローブの下に武器を隠し持ってでもいるのでは、との懸念も皆無ではなかった。だがハルディールを殺害して益のある者などいない。
「いなさそうに見える」という状態が安全ではないことは、誰もが苦い記憶の内に知っていたが、まさかまた神殿長の反逆があるはずもなく、ルー=フィンは王位を欲さず、ヨアティアは死んだと伝えられた。
もとより、王の隣には〈シリンディンの騎士〉が控えていた。
仮に面会者が刃物を持っていたとしても、狼藉を働こうとする様子があれば、その刃が王に届く前に斬り伏せられただろう。
もちろんと言おうか、兄妹のどちらも突然暴れ出すようなことはなく、主にはフェルナーが彼らの置かれた状況を語った。ハルディールは深く同情し、彼らが父親の友人と連絡を取って助けてもらえることになるまで、シリンドルに滞在するといいと言った。
「可哀想だよな」
少年騎士は呟いた。
「恨みや……欲のために他人を殺すだなんて、どうして、そんな酷い奴がいるんだろう。両親を殺されるなんて……どんな気持ちか」
レヴシーの脳裏には、件の兄妹のことばかりではなく、彼らのよく知る姉弟のことがよぎっていた。
「――ハルディール様もエルレール様も、つらいお心で彼らの話をお聞きだっただろう」
クインダンはきゅっと拳を握った。ハルディールは毅然と対応しながらも、怖ろしい光景が記憶から蘇りでもしたか、きつく唇を結んでいた。その場にはいなかったものの、あとで話を聞かされたエルレールは、顔色を青白くし、そっと祈りの言葉を囁いていた。
「でもさ」
そこで気を取り直すように明るく、レヴシーは言った。
「仮面の兄貴はともかく、フィレリアはエルレール様と仲良く話すことで落ち着いたみたいで、よかったよな。それに」
レヴシーは意味ありげに笑った。
「ハルディール様も」
「……レヴシー」
「何だよ」
「あまり、おかしなことは言うなよ」
「何がおかしいって? ハルディール様は本当に」
「ハルディール様は王陛下でいらっしゃるんだぞ」
クインダンはレヴシーの台詞を遮った。
「……そんなこと知ってるけど」
シリンドルでは、生まれ立ての赤ん坊だって知っていることだ。レヴシーはクインダンが何を言い出したのかと思った。
「判らないのか? ハルディール様は王陛下で、そして独り身でいらっしゃる」
「それだって、知っ……」
言いかけてレヴシーは「あ」と言った。