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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第1章
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10 一緒に、ふたりで

 なかなか戻ってこないアンエスカに痺れを切らしたフェルナーは、扉を開かんとするために立ち上がった。

 ちょうどそのとき、まるでそれを待っていたかのように、戸の叩かれる音がした。

「入れ」

 ほとんど反射的にフェルナーは言ったが、アンエスカではないことには推測がついた。いまやあの騎士団長は、偽の王に敬意を払うふりをする必要がないからだ。

「フェルナー殿、ですね?」

「お前は……」

 少年ははっとして身を引いた。

「く、くるな!」

「お待ちを。先ほどのように、無下に払おうとは考えていません」

 いつもながらの丁寧な口調で、シンリーン・ラシャ神官は言った。フェルナーは追いつめられた獣さながらの表情で、ラシャを睨んだ。

「リダール殿からあなたを払い、ハルディール陛下からあなたを払う。それを繰り返していても意味はない。真なる解決方法を見つけなければ」

「その『真なる解決方法』とやらは、どうせ、僕を殺すことなんだろう」

 フェルナーの表情は変わらなかった。

「近寄るなよ、神官。何かおかしな真似をすれば、本当に、ハルディール王の身体を傷つけてやるぞ。脅しじゃないぞ」

 と少年は言ったが、刃物はもとより、武器になりそうなものはアンエスカがみな片づけてしまっている。彼の言葉は、ただの脅しにしかなり得なかった。

「落ち着いて」

 だがラシャは慌てた。或いは、そのふりをした。

「少しお話をしたいだけです。あなたのためにも、リダール様のためにもなることを」

「騙されないぞ」

「――救われたくは、ないのですか?」

 静かに、神官は問うた。フェルナーは何か返そうとして、口をつぐんだ。

「……んだ」

「はい?」

「どういう意味で、言ってるんだ」

 彼の表情はまだ敵対的なものだったが、生じた興味――望みは隠せなかった。

「僕を冥界送り、それとも獄界送りにする以外に、方法があると言うのか」

「あります」

 神官は答えた。フェルナーは、黙った。

「なるべく、あなた自身の意思で足を運んでもらいたいと思っています」

 ラシャは祈りの仕草をし、フェルナーはぴくりとした。

「お判りいただけますね? 力ずく、などという真似はしたくないのです」

 穏やかに、あくまでも優しく、ラシャは言った。

「……お話を聞いていただけるのでしたら、隣室に」

 彼は片方の壁を指した。

「お待ちしています」

 丁寧に頭を下げるとラシャは退き、フェルナーはしばらくその場に立ちすくんでいた。

 それから――およそ、十五(ティム)後。

 ハルディール王の姿をしたフェルナー・ロスムは、ゆっくりと廊下に姿を現し、躊躇いがちに指定された隣室の扉の前に立った。

 そしてそのまま、三十(トーア)近く迷っていただろうか。

 きつく唇を結んで、彼は勢いよく扉を開けた。

「ラシャ!」

 部屋に入ったフェルナーは一(リア)、ぽかんとした。

 燭台に灯が入っている廊下からやってくると、そこは真っ暗闇に見えた。

「何だ? 確か……」

 確かこちらだったはずだが、などと呟きかけたフェルナーは、誰かが彼の背後からやってきて、扉を閉めてしまったことを知る。

「何」

「お話を」

「ラシャか」

 それは「隣で待っている」と言ったはずの神官だった。

「どうしてこんな暗い部屋だ。それに、お前はいままで何を」

「『お待ちしている』のは、私ではありません」

 静かな声で神官は言った。

「どうぞ、そちらに」

 窓から射し込む星灯りが、かすかに人影を映していた。

「……お前は」

「フェルナー、どうか」

 リダールはゆっくりと彼を呼んだ。

「ここに座って。僕と」

 話をしようとフェルナーの友人は言った。

 断ると、フェルナーは即答しなかった。

 彼はしばらくその場に佇み、ラシャにそっと背中を押されて、一歩、二歩と進んだ。

 それはずいぶん遅々とした歩みに見えた。

「話を……」

 椅子の背に手をかけ、しかし腰を下ろすことはせず、フェルナーは闇に慣れてきた目でリダールを見た。

「何の話を、しようと言うんだ」

「僕は……」

 考えながらリダールは声を出した。

「僕は、君を助けるために、僕はたくさん本を読んだり、神官と話したりした。でも生憎と、僕の生半可な勉強くらいじゃ、何も掴めなかったんだ」

「ふん」

 フェルナーは鼻を鳴らした。

「僕を助けるためだって? やっぱりお前は、いまでもひとりで友人ごっこを続けているのか」

「……友だちって、何も、約束に基づいて友だちになったり、続けたり、やめたりするものじゃないだろ」

「お前の方では、僕を友だちと思っていますという訳か。何だか気持ちが悪いな」

「どうしてそんなに、攻撃的なの?」

 リダールはしっかりと、ハルディールのなかにいるフェルナーと目を合わせた。

「僕と向かい合って話をするのが、そんなに嫌なの?」

 生きている少年は続けた。

「そんなに、怖いの?」

「何だと」

 死んだ少年はかっとした。

「挑発か。大した真似をするようになったじゃないか、リダール」

「そんなつもり、ないよ。ただ、訊いただけ」

 首を振ってリダールは返す。

「怖いのは、仕方ないもの」

 ぽそりと彼は言った。

「知らないものに相向かうときは、とっても好奇心がうずくこともあるけど、とても怖く感じる場合もあるよね」

「知ったようなことを」

「――知らないよ」

 リダールは言う。

「知らないから、知りたい。君が怖れているなら、その怖れについて。そうじゃないなら、その敵意について。死んだからとか、生きているからとか、そういうことなの? 僕が裏切ったと言ったよね、そのせいなの? それとも」

「黙れ」

 フェルナーは椅子の背を痛むほど強く握り、それから息を吐いた。

「話して、どうするんだ」

 ぎ、と椅子の引かれる音がした。

「教えてくれるのか」

 ぼそぼそと、フェルナーは言う。

「僕を助けて……くれるとでも」

「そうしたい」

 リダールはすぐさま答えた。

「本当に心からそうしたいんだ、フェルナー。だから」

 そのためにとリダールが言ったのと、フェルナーが腰かけたのはほぼ同時だった。

 少年たちは向かい合い、少し居心地悪そうに身体を動かした。リダールはかすかに笑みを浮かべ、フェルナーもあからさまに敵意を示すことをやめていた。

「不思議な感じがする」

 それからぽつりと、リダールは言った。

「あのとき……あの墨色の王国で、僕はタイオスと一緒に、確かに君に会ったと思った。六年前のままの、それから六年後……もしも君が生きていたならなっていただろう姿の」

「ああ」

 短く、フェルナーは相槌だけを打った。

「そしていま、僕の目の前にいるのはハルディール陛下の姿をした、それでもやっぱり、君なんだ」

 不思議だとリダールはまた言った。

「間違いなく君だと感じる。ずっと会いたかった、僕の友だち」

「また『友だち』か」

 フェルナーは口の端を上げた。その様子は皮肉めいていたが、先のような刺々しさはなかった。

「それがどうしたんだ、リダール。僕はお前の悔恨の言葉を聞こうと足を運んだんじゃないぞ」

「うん、ごめん」

 リダールは詫びた。

「それで、それでね。フェルナー。僕は考えた。君も僕も助かって、ほかの誰も巻き込まない方法」

「……聞かせろ」

「うん、あのね」

 少し言葉を探す風情で、リダールは間を置いた。

「ラシャ神官も手伝ってくれた。僕が君を追い払いたいんじゃないってこと、判ってもらった」

「どうだか」

 信じ難いと言うようにフェルナーは呟いたが、何が何でも認めないなどとは言わなかった。

「本当だよ。僕は」

「お前じゃない」

 彼は遮った。

「神官が、祓い損なった悪霊(・・)を見逃すなんてこと、するのかって」

「君はそんなものじゃないだろう」

 首を振って、リダール。

「君自身はもちろん、ラシャ殿だってご存知だよ。さっきは、その……シィナが取り乱していたし、僕を取り戻すことが先決だとお思いになったから」

「ふん」

 リダールの言葉からは、神官が彼のことを「リダールを乗っ取った悪霊」以外に考えているという根拠は特に聞き取れなかった。フェルナーは少し顔をしかめたが、そこは追及しないで続きを促した。

「それで? お前、それとも神官は、僕をどうすると言うんだ」

「僕……」

 リダールは少しうつむき、フェルナーは少し身を乗り出した。リダールがこんなふうに自信なさそうにしているとき、彼の声はいつもに増して小さくなるからだ。

「君、君は僕の身体を使えばいいんだ」

「何だって?」

 フェルナーは聞き返したのは、当然と言えた。それはかつてリダール自身が、先ほどは神官が否定したことだったからだ。

「あ、違うんだ、そうじゃなくて」

 これまでのこととは違う、とリダールは手を振った。

「君が、その、僕を『乗っ取る』んじゃなくて……僕と君と、一緒に、ふたりで、この身体を使ったらいいんじゃないかって」

「……何だと?」

 またしてもフェルナーは聞き返したが、今度は意味が判らなかったためだった。

「だから……」

「――あなたが入り、リダール様が追い出されるというのではない。あなたとリダール様と、ひとつの身体にふたつの魂、という形はいかがですかと申し上げています」

 ラシャの声が薄闇のなかから聞こえた。神官の同席を忘れていたフェルナーはびくっとする。

「馬鹿な。それじゃまるで幽霊じゃないか」

 死んだ少年は嘲笑うように言った。

「神官が進んでそんな状態を作ろうとなんて、するものか」


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