09 道化
この日に彼らふたりが再会を果たしたのは偶然であったかもしれず、強いて言うならばイズラン・シャランの計画通りであったかもしれず、はたまた、イズランの言動をも含む〈定めの鎖〉につながれた事象かもしれなければ、やはり〈峠〉の神の導きであったかもしれなかった。
ヴォース・タイオスとラカドニー・モウルは、まるで昨日まで欠かさずに一緒に鍛練を積んできたとでも言うようによく合った呼吸で、混乱のなかに斬り込んでいった。
「素人は引っ込め! 邪魔なだけだ!」
〈白鷲〉は吠えた。
それは何も、彼らを守るために吐いた乱暴な言葉ではない。
実際、どうしていいか判らずに立ちすくむ者は障害物でしかなかった。敵を散らすというユーソアの考えも誤りではなかったが、それは勇気と技能を持ち合わせた者にのみ可能なやり方であった。
剣の振り方も知らぬ神官や怖れをなした僧兵をソディエがいちいち標的にすることもなく、彼らは囮たり得なかった。だが戦いの技術を持った者も、訓練の通りには動けなかった。外されたフードの下からあらわになった魔物の鱗状の皮膚やまぶたのない瞳に、本能的な嫌悪感や恐怖を全く抱かずに済ませることはできなかったからだ。
「いいからとっとと逃げろ!」
戦士は叫んだ。
「こいつらは、俺が、全滅させてやる」
それから彼は、低く呟いた。
もっとも、タイオスとモウルが参戦したことにより、その場の空気は一気に変わった。
戦える者は少ない。できることなら逃げ出したいと思っていた者も、〈白鷲〉の登場に勇気を鼓舞された。
向こうは言うなれば飛び道具を持っているようなものだったが、それでも。
それでも〈シリンディンの白鷲〉がともにあるならば。
「うおりゃあ!」
怒りに燃えた戦士は容赦なく――そうでなかったとしても容赦する必要などないと考えただろうが――ソディエを一体、二体と打ち倒していった。
「まあまあだな」
ぼそりと呟いたのはモウルだった。
「死ぬなよ」
そっと彼は続けた。
「俺ぁお前の仇を討つためにわざわざきたんじゃないからな」
そうして老戦士は、主に武装していない者たちの支援に当たった。
ユーソアは〈白鷲〉が上手に敵をさばいているのを見ると――彼には、そう見えた――泡を食っているヨアティアをもう一度蹴り飛ばしてからエルレールのもとへ向かった。
「殿下!」
そのときにはエルレールの周りは奇妙なことになっていた。巫女姫を包んでいた光の衣は、一体のソディエを殲滅させたあと、次第に薄れた。それと同時に、神の依り代は糸の切れた操り人形のようにくずおれた。
だが彼女は床に身体を打ちつけることにはならなかった。クインダンが両の手でしっかりとエルレールを受け止めたからである。全身がきしむようだった痛みは、光とともに消えていた。
「神の巫女に手出しをしようと言うのであれば」
武器ひとつ持たぬままで、彼は言った。
「〈シリンディンの騎士〉が相手だ」
エルレールには指一本たりとも触れさせぬ。クインダンはそうした決意のもと、ソディエを見据えた。「下等な獣」であるはずの彼女が見せた力に魔族が対応に迷う間、神官や僧兵がその背後を囲む。
「巫女姫様」
「騎士様」
口々に彼らは呼んだ。神秘の瞬間を目の当たりにした感激に興奮していることもあったが、純粋にエルレールを守り、クインダンを手助けようという気持ちもまた彼らの内にあった。
と言っても本来、暴力的なことは避けるのが神官である。もちろん武器などは携帯していないし、殴りかかるような真似も彼らには困難だった。
「クインダン!」
ユーソアは神官たちをかき分けた。
「ええい、化け物ども、俺が相手だ」
彼は剣を持つ自分に敵の意識を引きつけようとそれを振り回した。それは成功し、近くのソディエは揃ってユーソアを指そうとした。
「されてたまるか」
ユーソアは大きく移動して奇妙な術の的になることを避け、攪乱を試みた。
「――魔除けだ!」
そのとき、礼拝堂に大きな声が響き渡った。
「皆の者、その魔物たちからは魔除けで身を守ることができる。魔除けに込める祈りを詠唱せよ!」
「ボウリス神殿長!」
「神殿長、ご無事で……」
祭壇に現れたのは、間違いなく神殿長ボウリスその人だった。死の報せを受けていた彼らはその姿に驚き、そして安堵した。
いや、そうした者ばかりではなかった。
「何だと」
立ち上がったヨアティアは歯がみした。
「ドルタン! あいつも、俺に嘘を」
そこで彼は気づいた。
ボウリスに怪我の様子すらないことにも。
(階段から落ちたというのも嘘か)
(ユーソアが……自分がやったと俺に思わせるために、そんな話を)
率先して戦っている僧兵団長もまた、ユーソアと同じだ。彼の前で緊張しているように見えたのは、何も畏敬の念を抱いていたからではなく、つき慣れない嘘をついていたこと――それも彼ではない、エルレールの前で――におののいていたから。
「おのれ……おのれ」
それらは全て「ヨアティア・シリンドレン」を引っ張り出すための細工だった。そのことにようやく彼は気づいた。自らの道化ぶりを知らされたヨアティアは、怒りで顔を赤くした。
「殺してやる! 貴様ら、全員」
彼は〈魔術師の腕〉を高く振り上げた。
「まずはボウリス、貴様だ!」
振り向きざま、ヨアティアはボウリスに術を振るった。
「神殿長!」
術はしかし、ボウリスに届かなかった。その代わり、ひとりの神官が、彼の盾となってその衝撃波を受けた。
「バーシ!」
ヨアフォードに恩義を覚え、ヨアティアにひざまずこうとした老神官は、そのままばたりと倒れた。
「……バーシ」
ヨアティアは呆然とした。
「何故」
バーシはもうぴくりともしなかった。即死だということは傍目にも明らかだった。
「判らないのか」
言ったのは、その始終を目にしていたホーデンだった。
「シリンドレンに神殿長殺しの汚名など着せられないと、バーシ殿はそう、お思いに」
それは彼の推測に過ぎなかったが、有り得ることでもあった。
「貴殿は、それでも殺すと言うのか。ボウリス殿を。われわれを!」
「俺は……くそっ」
先ほどまで完全に勝利を確信していた男は、完全な孤立を知った。腹立たしい相手であろうと同じ河岸にいたアトラフを殺し、味方と思い込んでいたユーソアとドルタンにはしっぺ返しを食らい、本当に唯一彼に味方し得たバーシを殺した。
アトラフ殺しはエククシアやライサイにも知られるだろう。なおかつ、シリンドレンの血だけで神殿を掌握できなかった彼のことは、もう利用価値もないと捨て置かれるやもしれなかった。
「くそ、くそっ」
口汚く彼は罵りの言葉を連発した。
「俺は、俺だって、何も考えていない訳じゃない! 俺は……」
「どうするつもりで、いたのか?」
神経質な感じのするヨアティアの高めの声よりももう少し高く、そしてもっと耳障りな声がした。
混乱のなかでその異質な声は奇妙に通り、タイオスの耳にも届いた。
「出やがったな!」
彼は次の標的を定めた。
「親玉め」
神聖なる礼拝堂に降臨したのは、ライサイと呼ばれる男――魔物だった。