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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第1章
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07 神の使者

「クインダン、クインダン」

 エルレールは彼女の騎士を呼ぶ。

「しっかりして!」

 落下の際に酷く全身を打った騎士は、朦朧としながら立ち上がろうとしていたが巧く行かなかった。砕け散った木片に当たってできた傷は大したことがなかったものの、骨がばらばらになったような痛みを覚えていた。

 エルレールもまたそれに近いものがあったが、本来ならば彼女の受けていた衝撃のほとんどをクインダンが引き受けたため、痛みはあったがふらつきながらでも立ち上がることはできた。

「殿下……」

 クインダンは視界がぼんやりしている状態をどうにかしようと首を振り、かろうじて目の焦点を合わせた。

「お逃げ、ください」

 灰色ローブの化け物たちが迫っていることを見て取った彼は言った。

「ユーソアに……」

 もうひとりの騎士が王姉を守ると、クインダンがそうしたことを言おうとする間に、エルレールは瞳を閉じて祈りをはじめた。

「エルレール、様」

 どうかお逃げくださいと、朦朧とした男が繰り返すよりも、ソディエらが近づいてくる方が早かった。

「騎士様」

「巫女姫」

「ええい、お前たちは近寄るんじゃない! 連中が危険なことは、よく判ったはずだ!」

 助けに飛び込んでいきかねない神官たちを制したのはユーソアだった。

「で、ですが……」

「ヨアティア殿! 奴らを引かせるんです」

 青年騎士は前神殿長の息子ところに駆け戻った。

「〈シリンディンの騎士〉と神殿は二度と敵対してはならない……」

 彼は言葉を探すようだった。

「今後の彼の行動には俺が責任を持つ、いまは引かせるべきだ!」

「む」

 それは「自分が団長になった際に始末をつけるから、いまは騒ぎを起こすべきではない」と判断できる台詞だった。

「騎士のことは、俺に。巫女姫に万一のことがあれば、神殿を掌握することも難しくなる」

「……おかしいな」

 ヨアティアは呟いた。

「何故、お前は」

「離れなさい!」

 エルレールは声を張ると、灰色ローブを睨み据えた。だがもとより、彼らの聞くはずもない。三体のソディエの動きは鈍くなることもないまま、一本の手がクインダンに、一本の手がエルレールにかかり――。

離れなさい(・・・・・)!」

 彼女は再度叫んだ。その叫びは、一度目のものとは違う響きを帯びていた。ヨアティアやユーソアも、はっとしてそちらに目を奪われた。

「神の」

 巫女姫の身体がかすかに光の衣をまとったこと、ユーソアは確かに見たと思った。

「神を畏れぬ異界の生き物よ。退け」

 エルレールの声はそのとき、いつもと違って聞こえたと、神官たちはそう感じた。

「幻夜は訪れ、そして去る。その理を返そうと言うのであれば、相応の代償が要ろう。自らを犠牲にする覚悟のないままで理を乱さんする者に降りかかる災いを」

 何かがエルレールの声を使って喋っていると、ヨアティアですら、そう思った。

「自ら、知るとよい」

 ソディエらは――やはり怯んだりはしなかった。だがどこか、かすかに戸惑うような気配が彼らの間にも漂った。

 しかしそれを越えて、一体のソディエが改めてエルレールに手を伸ばした。それが巫女姫に触れた瞬間と、彼女の碧眼に強い光が宿ったのは、同時だった。

 何が起きたのかとっさに判らなかったのは、見ていた人間たちだけではない。魔物たちも、同様だった。

 灰色ローブの中身は、突風に煽られた砂の彫像ででもあったかのように、ふわりとローブを落とし、礼拝堂の床に粉を残して消えた。

「神よ……」

 かすかな呟きは、神官のものだった。彼らははっとして、祈りをはじめた。

「神、だと」

 ヨアティアがうなった。

「馬鹿な。巫女ごときに、そんな力など」

「――シリンドレンの息子よ」

 エルレール、それとも違うものがヨアティアに呼びかけた。

「お前は、どこを見ている。何を見たいのか。その答えを出すまで、どれだけかかる」

「何を」

 ヨアティアは唇を歪めた。

「神を気取っているつもりか? 馬鹿らしい」

 〈峠〉の神に守られた国で生まれ育った男は、言い放った。

「何か……誰か、魔術師でもいるのか? そうだな、そうに決まっている」

 そう決めつけるとヨアティアはうなずいた。

 灰色ローブたちは、粉と化した同族を見て――見るような姿勢をして――しばしじっとしていたが、不意にほぼ同じ行動を取りはじめた。即ちほとんどのソディエが一斉に、エルレールを指そうとしたのだ。

「――エルレール様を」

「巫女姫をお守りしろ!」

 まず声が挙がったのは、多少なりとも武器の扱いに長けた僧兵の間からだった。

「その通りだ」

「巫女姫様を」

 神官たちも同調した。

「エルレール様!」

「神よ、お力を」

 僧兵たちも勇気を取り戻した。

「よし、みな」

「戦うぞ」

「……こうなったら仕方ないか」

 呟くように言ったのはユーソアだった。

「不安な奴は、早めに逃げろ! 責めも報告もせん! 戦える奴は、三人組になって戦え、奴らの標的をひとりに絞らせるな」

「ユーソア、何を言っている」

 ヨアティアは怒りの声を出した。

「何を?」

 騎士は振り向いた。

「彼らを守るのは俺の仕事だ。戦いの意志があるなら戦わせることで守る。何もおかしくなんかないがね」

「煽って、どうするのだ。おとなしくさせなければ無意味」

「おとなしく氷像になって叩き壊されろと?――ふざけんなよ」

 彼は低い声を出した。

「仮にも神殿長を名乗るなら、てめえの麾下のもんくらい守ろうという気持ちだけでも見せやがれ」

「何を言っている」

 ヨアティアはまた言った。

「ソディエどもは俺の言うことを聞かんようだ。アトラフを殺したのは失敗だったかもしれんな。だが、そのことはもういい」

 ユーソアの言葉を全く聞いていないようにヨアティアは続けた。

「巻き込まれてはたまらんが、不必要に大きな力を使いすぎたせいで跳ぶことができそうにない。ユーソア、俺を守りながらついてこい」

「――お前は、なあ」

 騎士は呟いた。

「すんません、団長。俺もう、限界で」

「何?」

「てめえの絡んだクソ芝居、畳むのにてめえも参加しろっ」

 不意にユーソアは足を振り上げ、くるりと回るとヨアティアの背を蹴り跳ばした。

「ぐっ」

 突然の、それも思いもしない方向からの一撃は、完全にヨアティアを捉えた。

「ユーソア、貴様」

 床にはいつくばり、ヨアティアはぎろりと彼を睨んだ。

「貴様、さては、最初から」

「おうよ」

 騎士は鼻を鳴らした。

「うちの団長は、はなっから〈白鷲〉の話を信じたさ。騎士団のなかで嘘ついたり演技できたりするのは俺だけだからな、外道騎士のふりでお前の様子を探ってたって訳だ。本当なら、もうちょっと続ける予定だったんだが」

 ユーソアは剣を抜き、ヨアティアの鼻先に突きつけた。

「我慢も、限界」

「貴様」

 ヨアティアはうなった。

「神官を……民を脅して言うことを聞かせる、それがお前のやり方か? シリンドレンの血筋が聞いて呆れる。仮にもその系譜を名乗るなら、この場を収拾して見せろ!」

 怒りを込めて、または鬱憤を晴らそうとユーソアは叫び、鼻を鳴らして「無理だろうがな」とつけ加えると男から目を離した。

「戦う自信のない神官と見習いは、外へ! 僧兵もびびってる奴ぁ逃げろ! 俺とクインダンと共に、この化け物どもと戦おうって奴だけ武器を取れ!」

 確かに彼らのなかには、ユーソアの指摘通り、怖れを捨て切れぬ――隠し切れぬ者たちもいた。だがそう言われたところで逃げ出すこともできない。

 体面や誇りというような問題もあれば、ここから出ることのできるふたつの戸口の傍には、それぞれヨアティアか灰色ローブかがいるのだ。

「単独では立ち向かうな!」

 ユーソアが声を飛ばした。

「神官は僧兵を前に出して、標的を逸らすだけの役を果たせ。それから――」

 考えながら思いつくままに彼が指示を出した。〈峠〉の神の使徒たちはソディエらの指先をエルレールから逸らすことには成功したが、しかしながら特に神官は戦い慣れてなどいない。とっさのことに足を止めてほかの者の様子を見たり、目標を決めかねたりしている間に、ソディエの餌食となった。

「カロアス殿っ」

「トキアーノ!」

 続けざまにヒトガタの氷ができあがってゆく。

「くそ」

 ユーソアは剣をかまえた。

「相手が、悪すぎる」

 騎士が弱音のような台詞を呟いたときだった。

 ばたんと扉が開き――神の使者が、姿を見せた。

「ずいぶん、いいところにきたみたいだな」

 彼は言った。

「ほう、戦か。血湧き肉躍るな」

 もうひとりが言った。

「タ――」

「タイオス様!」

「〈白鷲〉だ」

「神が〈シリンディンの白鷲〉をお送りくださった!」

 希望の声が、礼拝堂に響いた。

「送っていただいた訳でもないんだがねえ」

 ヴォース・タイオスは口の端を上げた。それはいつもに増して、物騒な表情に見えた。

「余計な口上は述べずに済みそうだな」

 中年戦士と老戦士は、抜き身の剣を構えた。

「――覚悟しやがれ、ソディエども!」


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