06 逆らう者がどうなるか
「ボウリスを殺ったのはお前だろう。そのあとは、何をしていた」
「いえね、いろいろと。確認と言いますか、だめ押しと言いますか」
ユーソアは肩をすくめた。
「詰めが甘かった誰かさんの、補助をね」
と騎士はちらりとアトラフに視線をやった。
「何だと?」
「あんまり、気分のいいもんじゃないな。抵抗できない怪我人を殺るなんてのは」
「どういうことだ、ユーソア」
ヨアティアは問うた。
「どうもこうも」
騎士は肩をすくめた。
「アトラフ殿。あんたはレヴシーが死んだかどうか、確認を怠っただろう」
「何」
アトラフは顔をしかめた。
「まさかと思ったが、ではやはり」
「そう、そのまさかさ。ルー=フィンはレヴシーを助けてた。だが心配は無用。そいつぁ、俺の計画と反するんでね。見つけ出して」
ユーソアは短剣を握るような仕草をした。
「始末してきた」
「は」
アトラフは笑った。
「成程。ルー=フィンに代わる、裏切りの騎士がいたか」
「下手な魔術なんかより、確実だろ」
にやりとしてユーソアは言った。
「あんたらの行動と俺の利害が一致すれば、だがな」
「ふん、悪くない」
ヨアティアは鼻を鳴らした。
「更に言えば」
平然とユーソアは続けた。
「アンエスカは館に釘付け、クインダンはご存知の通り、ルー=フィンは町を巡回中、タイオスは負傷、と」
彼は列挙した。
「いまなら、邪魔をする者はいません。下手にことを荒立てて話を長引かせるより、ホーデン殿とは個人的に話をするとか何とか言って、穏便に済ませた方がいいと思いますよ」
ちらりとユーソアは、礼拝堂を見た。
「ああ、ひとりは、やっちゃったんですか」
「そうだ」
ヨアティアは肩をすくめた。
「ひとりもふたりも、同じこと」
「ユーソア様!」
痺れを切らしたように、ホーデンが少し離れた場から騎士を呼んだ。
「その男は、成敗されるべきです。そうでなかったとしても追放を」
「何を」
「まあ、まあ」
両者を取りなすように、ユーソアはにこにことした。
「荒立てんでくださいよ」
またヨアティアに囁くと、彼はホーデンのいる方に少し進み、彼らの中間に立った。
「――その判断をなさるのは、ハルディール国王陛下だ」
そこできっぱりと、騎士は言った。
「違うか?」
問いかけられてホーデンは詰まった。
「いえ……仰る通りです」
「そうだ、もちろんだな」
様子を見るように黙っていたアトラフも同意した。
「陛下の、仰せのままだ」
口の端を上げて、男は言った。
「その通り」
ヨアティアも便乗した。
「そのときまで、静かにしているんだな。もとより、ハルディールは俺を認めるに決まっている」
ふふ、と自称の神殿長は笑った。
「誰にも文句は――」
「文句のないはずがあって!?」
だがそこに、朗々と、声が響いた。
「これ以上醜態は晒さないことね、ヨアティア・シリンドレン。少しでもシリンドレン家の名誉を保ちたい気持ちがあるのなら」
「巫女様」
「エルレール様だ」
神官たちは驚いて声のもとを探した。
吹き抜けになっている礼拝堂の、三階部分の渡り廊下から、エルレールはヨアティアとアトラフを見下ろしていた。
「ち」
アトラフは舌打ちをした。
「どうやって……まあいい」
それからアトラフは気を取り直したようにエルレールを見上げ返した。
「陛下のご意向に逆らう、と言ったか」
口の端を上げて男は言った。
「反逆の意志あり、という訳だ」
「何ですって」
かっとしたエルレールが何か言い終えるより早く、アトラフはその場から姿を消した。観衆たちが驚くなか、偽の魔術を操る男は、エルレールのすぐ隣に跳んだ。
「立場を判っていないようだな」
男は巫女の首を掴もうとした。
「どうやって出てきたのか知らないが、おとなしく――」
その右手は、しかしとめられる。下からは見えないところに控えていた〈シリンディンの騎士〉が、アトラフの手首をがっちりと掴んだからだ。
「エルレール様に触れるな」
彼は低く、言った。
「この……」
アトラフはクインダンの手を振り払おうとしたが、鍛えた騎士相手に敵うはずもない。
だがアトラフには、偽物であろうと魔術のような技があった。彼は空いている左手を振り上げると、クインダンをめがけて術を振るった。
否、振るおうとした。
クインダンはアトラフがどうやって術を振るうものかよく判っていなかったが、振り上げられた腕をも反射的に掴み、その発動を阻んだ。
「くそ、放せ」
アトラフはうなったが、もちろん放すはずもない。
クインダンはそのまま突進してアトラフを強く欄干に押しつけ、手すりに背を打ちつけた痛みにアトラフが身をこわばらせた隙を利用して男の腕を持ち換えると、背後からひねり上げる形に持っていった。
「クインダン様!」
「騎士様だ」
まるでただの野次馬のように、神官たちは歓声のような声を上げた。
「クインダン」
ユーソアも驚いたように呟いた。
「ヘズオートめ」
ヨアティアは憎々しげに呟くと、その場からじっとクインダンとアトラフを見つめた。
「――ちょうどいい」
彼は呟いた。
「生意気な口を利くアトラフともども」
すっとヨアティアは、右手を上げた。
「死ね」
二階部分の渡り廊下で格闘するふたりに〈魔術の腕〉の照準を合わせたヨアティアは、上げた手を思い切り振り下ろした。
目に見えない力が勢いよく飛び出し、そこを目指す。
「クインダン!」
エルレールにも、それは見えなかった。だが彼女は知らず、愛しい男に叫んでいた。
「左へ!」
騎士もまた、それを見なかった。仮に見えたとしても目で見てからでは遅かっただろう。
ただ彼は愛しい娘の声にあった警告と、それから彼自身が感じ取ったもの、言うなれば塊となって飛びかかってくる敵意に、アトラフを放して左へ飛びすさった。
アトラフも気づいた。彼を狙った、彼が操るものと同種の力。
しかし、彼には何もできなかった。クインダンに直前まで押さえつこられていたためもあれば、彼が学んだことの多くはライサイとソディの敵を滅ぼすための術であって、自らを守るものではなかったからだ。
「おのれ」
アトラフは歯噛みした。
「ヨアティア・シリンドレン! 貴様に――」
災いのあらんことを――というような呪いの言葉を発し終える間もなく、力はアトラフと欄干を激しく撃った。男の頭から肩にかけた辺りが蕃茄のようにぐしゃりと潰れ、欄干と廊下の床の一部は、左右一、二ラクトに渡り、粉々に吹き飛んだ。
「あっ」
その崩壊に巻き込まれたのは、エルレールだった。
彼女は足元が崩れ落ちることに気づいたが、とっさにどうすることもできなかった。
クインダンは崩壊から逃れたが、王姉の危機に一瞬で決断をした。
手を差し伸べても届かない。飛び移ってからでは遅い。
彼は落下する彼女に向かって飛び込むようにした。
落下時間は三秒となかっただろう。
だが騎士の能力か神の加護か、クインダンの手は確かにエルレールを捕まえ、華奢な身体を抱きかかえることを可能とした。
どぉん、と鈍い音が続けて響く。青年騎士が巫女姫をかばい、背中から床に落ちた音だった。
「クインダン様」
「エルレール様!」
近くの神官は慌てて彼らのもとに駆け寄ろうとした。
「動くな!」
だがヨアティアの術が彼ら自身や木製の長椅子を撃ち――先ほどよりはずっと弱いものではあった――その足をとめさせた。
「俺の意に逆らう者がどうなるか、理解しただろう?」
その台詞が示唆するものに恐怖を浮かべる者もいた。殊、僧兵のなかには、ヨアフォードが彼らに課した〈死の腕輪〉のことを思い出した者も多かった。
逆らう者には、死を。
ヨアフォードが神殿長として君臨したのは強い牽引力のためのみならず、そうした脅迫の力もあったこと、彼らはまざまざと思い出した。
「クインダン」
ち、とユーソアは舌打ちをした。
「格好つけてんじゃねえよ馬鹿が」
「くそ」
ヨアティアも舌打ちをした。エルレールとクインダンが近すぎる。彼にとって邪魔なのはクインダンだけだ。利用できるエルレールまで殺すつもりはなかった。
「おい、お前たち、そいつらを捕まえろ」
ヨアティアが次に命じたのはソディエたちだったが、魔物らは人間の命令など聞く気はなかった。アトラフにも従っていたのではない。彼らの都合のためにどう動くか、それはライサイ、エククシアらとの相談の上であり、アトラフはその通話管に過ぎなかった。
彼らは人間の言葉を解さないのではなかったが、いちいち耳を傾けて聞いてやる必要はないと考えていた。話さないのも不可能だからではなく、下等な獣の鳴き真似などしたくもないからだ。彼らにとってライサイやエククシアは獣使いという辺りである。よく調教された犬に、時々に応じて芸をさせたり牙を剥かせたりする、こちらで過ごすには便利な技能の持ち主。
よって彼らはヨアティアの命令に従う意志も理由も持たなかったが、クインダンとエルレールが調教前の獣であることは理解した。そして男の方が闘犬であることも。
渡り廊下の崩壊に巻き込まれなかった近くのソディエらは、彼らの言葉で少しだけやり取りをすると、巫女姫と騎士のところに集まってきた。