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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第4話 神の影 第1章
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05 勝手な真似を

 彼らの不安は的中した。

 神官、神官見習い、僧兵ら、およそ四、五十名から成る神殿の住民は、至急礼拝堂に集まるよう指示を受け、何ごとかと首をひねりながら従ったところだった。

 時刻はもう深夜も近い。就寝の支度に取りかかっていた者も多く、神官服に決まった装飾品をつけ忘れている姿も見受けられた。

「揃ったようだな」

 ドルタン僧兵団長はそれを見回してうなずいた。

「全員、揃いました」

 団長は改めてアトラフに向かって言った。

「よし」

 とソディの青年もうなずくと背後を振り向いて、一体の灰色ローブに丁重に頭を下げた。

「お願いいたします」

 ソディエはやはり言葉を発さず、うなずくといった意思表示もないままだった。だがそれでも彼らは彼らの言語を操っている。瞬く間に礼拝堂の前後左右は十体強の灰色ローブに囲まれた。

「な」

「何だいったい」

 神官たちは騒然となったが、ドルタンがぱしんとひとつ大きく手を打ち鳴らせば、すぐに静かになった。

「これから重要な発表がある。無闇に騒ぐことのないように」

 ドルタンは告げた。聴衆は不安そうに目を見交わす。彼らには全く「重要な発表」の見当がつかなかった。

「全員、起立」

 前に進み出てそう命じたのはアトラフだった。見知らぬ男の号令に彼らはやはり驚いたが、黙って従った。

「ボウリスが怪我をした話は知っているだろう」

 彼らを見回してアトラフが続けた。敬称なり「神殿長」なりをつけない呼び捨てに顔をしかめる者もいたが、出来事自体はは隠されていなかったので、彼らはうなずいたりかすかに肯定の言葉を述べたりして答えた。

「生憎なことに、打ちどころが悪く、死んだ」

「な」

「何ですって」

「まさか」

 これにはまたしても礼拝堂が騒然となった。再びドルタンが、二度、三度と手を打って静粛にと命じる。

「しかし気に病むことはない。余計な争いごとが生じずに済んで助かるくらいだろう」

 口の端を上げてアトラフは言い捨てた。

「何を言う!」

 ひとりの若い神官が、憤りの声を出した。

「神殿長が……亡くなって、助かるなど!」

「事実だ」

 座れ、とアトラフは命じた。

「黙って話を聞け」

 ドルタンも声を出す。

「僧兵団長、しかし」

「意に添わぬ者には」

 くっとアトラフは笑った。

「神の罰が下ろうぞ」

「何を――」

 見知らぬ男に言われたことが若い神官の気に障った。彼は続けて何か言おうとしたが、そのまま永遠に、言葉を発することができなくなった。

 ソディエらに一斉に指差された若者は、見る間に彫像と化して――しまったからだ。

 目の当たりにした者たちは、しかし何が起きたのかとっさに理解できず、呆然とした。

「同じ目に遭いたくなければ、おとなしくしていろ」

 冷酷な声にまたしてもざわめきが上がったが、若者――だったもの(・・)――の周囲と、ソディエたちに近い辺りから、それこそ湖に氷の張るごとく、静寂が支配していった。

 シリンドルは神に近い国とは言え、奇跡は日常茶飯事ではない。〈峠〉の神に仕える神官というのは、儀式を司ったり、魔除けを作ったり、民たちに祝福を与えたり、八大神殿の神官と同じようなことをやるが、「神力」と言われる者を身につける者は稀である。少なくとも現在の神官のなかにはいない。

 彼らにあるのは敬虔なる信仰心と知識、そして〈シリンディンの騎士〉たちにも通じるような誓いの心だ。

 僧兵たちはもともとヨアフォードが組織した神殿のための兵であったが、やはり彼らも敬虔な心を持っている。争乱のときは金で雇われたあらくれ者も多かったが、そうした者たちはヨアフォードの死とともにシリンドルを離れた。残っているのはもとからシリンドル国民であり、〈峠〉の神を崇める者たちだ。

 彼らは、他国の者から見れば少し驚くくらい純粋に神を信じている。

 だが、だからと言って、タイオスの言うような「不思議なこと」には慣れていない。タイオスが繰り返し面する「奇跡」は、稀少な出来事だからだ。

 目前で起きた思いもよらぬことに彼らは硬直し、萎縮した。

「新しい神殿長を紹介しよう。お前たちもよく知る人物だ」

 その様子を見てうなずいたアトラフはすっと身を引いて、ドルタンの反対側に並ぶ形となった。それはいかにも権威ある者を迎えるようであり、神官たちははっとして――迎えられた者は満足そうだった。

「久しぶりだな、こうして諸君と顔を合わせるのは」

 神殿長のマントを羽織り、現れたヨアティアは言った。

「正統なる後継が、この神殿に帰ってきてやったぞ」

「まさか……」

「ヨアティア……」

「――ヨアティア、様」

 ざわめきはまたしても小波を作ったが、今度はアトラフもそれを制止しなかった。

「これでようやく元通りだ、諸君。偽のシリンドレンが神殿長職を盗んでいた月日は終わる。ああ、諸君に罪がないことは判っている。ボウリスに従ったことは咎めまい」

 揚々とヨアティアは言い、軽く手を振った。

「だが、知っているであろう。誤りであったこと。そしていま、こうして正統な後継者が戻った」

その通り(アレイス)

 アトラフがうなずいた。

もちろん(・・・・)誰もが(・・・)正統なる(・・・・)血筋を(・・・)認める(・・・)であろう(・・・・)

 彼がゆっくりと言ったとき、幾人かの神官がふらりと立ち上がった。

「……ヨアティア様」

「ヨアティア様、お帰りなさいまし」

「正しき神殿長はあなた様でございます」

「うむ」

 やはりヨアティアは満足そうであったが、神官たちの間には戸惑いが走った。立ち上がった神官がいずれもヨアフォードに忠実だった者であることは確かだ。だが争乱のあとはボウリスを立て、新しい体制作りに勤しんできた者でもある。この神殿に神官長のような位はないが、自然と信頼される人物というのはいるもので、彼らはそうした存在でもあった。

 それがほかの神官を困惑させ、追随したものかと迷わせた。

 中途半端に腰を浮かせる者もいれば、様子を見るようにしながら立ち上がる者も出はじめた。

「ヨアティア様」

 ひとりの老神官が、そっと彼を呼んだ。

「いつかこの日がくるものと……信じておりました。〈峠〉の神は、シリンドレンを見捨て賜わず……」

「バーシか」

 ヨアティアは老神官の名を呼んだ。

「お前はよく父上に仕えていたな。傍系の神殿長などに頭を垂れること、口惜しく思っていたであろう。だがもうその心配はない」

 笑みを浮かべてヨアティアが言う横で、アトラフもそっと笑っていた。

 彼の術中にないはずの神官までもが、支持を見せたからだ。

「簡単そうだな」

 アトラフは小さく呟いた。

「この調子なら――」

「何を言っている、愚か者どもが!」

 だがそのとき、ひときわ大きな怒声が礼拝堂に響き渡った。壮年の神官が顔を真っ赤にして、神官たちのほぼ中央に立っていた。

「如何に……シリンドレンの直系であろうと、このような」

 彼は部屋の周囲をぐるりと指した。

「気味の悪い、奇妙な力を使う連中を引きつれて、ボウリス殿が亡くなったから問題なく自分が神殿長だなどと言い出す男を認められるはずがあるか!」

「ホーデン、貴様」

 見覚えのある顔に、ヨアティアはぎろりと視線を向けた。

「死にたいか」

「〈峠〉の神の名の下に」

 ホーデンはヨアティアを負けじと睨み返した。

「この不気味な連中を引き連れて、我らの神殿から……我らの国から出て行け」

「身の程知らずな」

 ヨアティアもまた、怒りで顔を赤くした。

「覚悟はできているのであろうな!」

「何の覚悟だ、この馬鹿息子が!」

 ホーデンもまた怒鳴り返す。

「そのように人を脅迫する者に、神に仕える資格などあるはずもない。ボウリス殿の……」

 彼は唇を噛んだ。

「ボウリス殿の死も、お前の仕業ではないのか!」

「生憎だな」

 ヨアティアは鼻を鳴らした。

「あれは勝手に階段から落ちて、頭を打って、死んだのだ。時機はよかったがな」

「『よかった』だと」

「よく聞け、ホーデン。これが」

 にやりとヨアティアは笑った。

「神の加護、と言うのだ」

「この……」

 ホーデンはますます、これ以上は不可能だというほど顔を赤くすると、席を離れようとした。ヨアティアのところへ行こうとしたのだ。

「面倒臭い。アトラフ、あれも殺ってしまえ」

「ふん、まあいいだろう」

 アトラフが肩をすくめ、ソディエたちに何か合図を送ろうとしたときだった。

「――まあまあまあ、そう、派手なことはやりなさんな」

 気楽な調子の声がした。まるで、友人同士がちょっとした言葉の行き違いから喧嘩しそうなところをとめようとでも言うような。

 あまりにも場違いと聞こえる声音に、ヨアティアもアトラフも目をぱちくりとさせ、ホーデンも足をとめて、声の主を見た。

「ホーデン神官、義憤は結構だと思うんですが、押すところと引くところの見極めはなさってください。この場なんか、黙って聞いていればいいんです」

「な、なな、何を」

 壮年の神官はどもった。

「何を仰る、ユーソア様」

「大丈夫、ここは私に任せて」

 にっこりとまるで気楽な調子で言うとユーソアはホーデンを下がらせた。目を白黒させながら、神官は言われるままに距離を取る。

「やれやれ」

 ユーソア・ジュゼは肩をすくめ、それから声をひそめた。

「困りますよ、フェルナー、いえ、ヨアティア殿。勝手な真似をされては」

「貴様……」

 ヨアティアは口を開けた。

「知っていたと?」

「隠す気があったんですか? そりゃ驚きです」

 今度はユーソアは目を瞬かせる。

「何だと?」

「判ってましたよ、最初から。どうして陛下や、ほかの騎士たちが騙されたのか不思議だったくらいですが、聞くところによると俺は最初からほかでもない、貴殿と話をしていたことになる。陛下の変遷ぶりを見て、あれが陛下だとは思えないのと同じように、フェルナー憑きの貴殿を見破れなくても当然なのかもしれませんが」

「何、何を……」

「ですから」

 青年騎士は更に、声を低めた。

「判った上で協力を申し出てるんですよ、ヨアティア殿。せっかくの晴れ舞台に遅れたことには謝罪します」

「……ふん、貴様、思っていた以上の惑わし鼬(マギローフ)だな」

 ふん、とヨアティアは鼻を鳴らした。


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