02 彼女の消息
「失礼、私にも見せていただけますか、それ」
魔術師はこれまで待機して自分の番を待っていたのだとでもいうように、挨拶ひとつなしでモウルを押しのけた。老いたりと言えども腕力で魔術師に負けるモウルではないが、ここは何も戦うところではないとばかりに素直に引いた。
「術師。どう思う」
そして老戦士は、魔術師の意見を求めた。
「呪術的です、とても」
それがイズランの一声だった。有難くない言葉だ、とタイオスは天を仰ぐ。
「ですが通常、呪術であればそれは傷をただれさせ内蔵を腐らせ、苦しめて苦しめて死に近づけるものです。よかったですね、タイオス殿」
「どこがいいんだ、どこが」
「ですから」
イズランは咳払いをした。
「それは通常ではない。働く力はその逆、内蔵を保護し、傷口をふさいでいる」
「それってのは……どういうことだ」
まさか、と戦士は渋面を作る。
「奴らに『助けてくれて有難うございます』と言えってのか?」
エククシアなりライサイなりの技だという推測はついた。と言うより、そうとでも考えるしかない。
「どうしても礼を言いたいなら言ったらいいですよ。もっとも、これまでの話によれば、明日殺すために今日は生き延びてもらわなければならない、ということでしょうが」
「今日生き延びて、明日も生き延びるさ」
タイオスは適当なことを言った。
「それにしても、興味深い」
魔術師は呟いた。
「彼らがこんなことも可能にするとは」
「その『彼ら』……灰色族は」
モウルはイリエードの言い方を使った。
「移動先は判ったか」
「国中にいます」
イズランは短く答えた。
「何だって?」
「シリンドルを取り囲むように」
魔術師はぐるりと手を回した。
「但し、それは半分」
やはり短く、イズラン。
「半分? じゃ、残りは?」
「それは」
イズランは顔をしかめた。
「麓の神殿、です」
「何」
タイオスも渋面を作った。
「神殿だと?」
彼は寝台から降りようとした。モウルがとめる。
「まあ、待て。いくら痛みがないと言っても、刺されたって言うのに」
「動ける。剣も振るえそうだ。問題ない」
「あるに決まってます」
イズランが言う。
「神官のかける回復の業とは違う。強いてどちらかと言うならば、私たち魔術師の方に近いです」
いろいろ違うんですけれど、と間に挟まった。
「たとえば、私がその場にいて、タイオス殿の傷をふさいだとします。そうした場合、出血をとめるために傷口を合わせているだけですから、治ったのではありません。そこで」
魔術師は指を弾いた。
「私がそのあと、タイオス殿がすっかり油断して動き回っているときに術を解いたら、どうなると思います?」
その問いかけに、タイオスは口をぱかっと開けた。
「成程、な。奴の招待に応じてのこのこと決闘になんか行けば、剣を抜くまでもなく俺は大怪我してるって寸法か」
それからうなり声を発し、嫌な納得をする。
「その通りです」
イズランはこくりとうなずいた。
「決闘ですって?」
それから魔術師は驚いたように尋ねた。
「明日の朝、〈峠〉の神殿にこいとさ」
タイオスは肩をすくめた。
「ご親切に、山道を登れるくらいには俺を回復させたってことだ。ま、すぐに瀕死にさせて、生け贄みたいに殺すつもりなのかもしれんがね」
「生け贄」
モウルも顔をしかめた。
「ってのは普通、子供や若い処女と相場が決まってるもんじゃないのか? 何でお前みたいな中年親父を」
「知るか」
中年戦士はうなった。
「いや、知ってるな。〈白鷲〉は『神秘』だかららしい」
「神秘」
また繰り返し、モウルはぷっと笑った。
「お前が。神秘」
「笑われても仕方ない。俺だって、思い切り笑い飛ばしたい」
〈シリンディンの白鷲〉は乾いた笑いを浮かべた。
「とにかく奴ら、主にエククシアはそう言うんだよ。神秘の力を見せてみろだのと言って散々俺に絡んできて」
タイオスは嘆息した。
「遂には、殺してやるからここにこい、だ。俺が勝てばハルを解放するってことにはなってるが、本気とは思えん。……いや」
戦士は首を振った。
「あいつらはそうした約束を守ってきたんだったな。リダールのときもミヴェルのときも」
ううん、と彼はうなる。
「俺が勝てば、本当にフェルナーを引かせるかもしれん。もっとも、俺が勝つはずもないと思ってるんだろうが」
「その負傷じゃなおさらな」
モウルは言った。
「だが、行こうってのか」
「行かざるを得んだろう」
「そうか」
モウルは呟いた。タイオスは片眉を上げる。
「何だ? とめるでも煽るでもなし」
「怪我人が無茶をするな」或いは「怪我人だろうとやるからには勝てよ」、そうした言いようがくるものと思っていたタイオスは、師匠のどっちつかずな返答――ただの相槌に首をひねった。
「何か言いたいことでもあんのか?」
弟子は尋ねたが、モウルはいいやと首を振った。
「ま、せめてそれまでおとなしくしてるんだな。その傷がどういうものであれ……」
「だが、麓の神殿の件も放っておけない」
「じゃ代わりに、俺が行ってくるさ」
ひらひらとモウルは手を振った。
「お前は、ここで休んでろ」
「そうそう、タイオス殿はもう、ここでおとなしくしていた方がいいですよ」
モウルに乗るようにして、イズランが言う。
「いろいろと思うところもありますでしょうが」
「判ってんなら、判るだろうが」
戦士はふんと鼻を鳴らした。
「奴らが何を企むんでも――」
「仇討ちなんてのは理性を失わせますから」
言いかけたタイオスの声に、イズランの台詞が重なった。
「仇?」
彼は目をしばたたいた。
「お前、何の話をしてるんだ?」
「おい、術師」
「もしかして、サナースのことか?」
モウルが咎めるような声を出したが、それを何か不審に思うより、タイオスは思いついたことを口にしていた。
前〈白鷲〉サナース・ジュトンはエククシアに殺された。〈青竜の騎士〉が直接手を下したというのではないが、同じことだとタイオスは感じている。
「それなら、勘違いだ。まあ、ちょっとはそんな気持ちもなくはないが――」
「いえ、そうではなく」
「術師」
「いえ、そうではなく」
イズランは、先にはタイオスに、次にはモウルに、同じ言葉を繰り返した。
「ちょっとばかりね、私にも、罪悪感はありますよ」
「何だって?」
またしてもタイオスは聞き返す。
「私がやってきましたのは、ソディエの件もありますが、少しでもタイオス殿の……心の支えになればとも思いまして」
「はあ?」
戦士は顔を歪めた。
「俺ぁ何も、人外相手だからって絶望なんかしとらんぞ。戦力的には確かに助かるが、心の支えなんてのは気味が悪い上に意味が判らんな」
「判りませんか。判りませんよね」
イズランは息を吐いた。
「――ティエ殿の、ことなんですが」
「何?」
突然の名に、タイオスは目をぱちくりとさせた。
「何だ、結局ばらしたのか、サングの奴。まあ、仕方ないっちゃ、仕方ない」
「ラドーは言いませんでしたよ。ですがほかの経路から、彼女の消息が伝わってきまして」
「劇団はどうだ。巧く行きそうか?……ああ、いや、いまはそんな話をしてるときじゃないな」
タイオスは手を振った。イズランはじっと彼を見た。
「劇団は、困惑しています。せっかく得たばかりの、有能な教え手を失って」
「――何?」
「申し上げにくい。これまで私があなたの前に姿を見せなかった理由は、その一語につきます。ですが、いつまでも黙っている訳にも」
ぼそぼそと魔術師は言い、タイオスは胸の辺りに冷たい汗が流れるのを感じた。
「お前は何を……言ってるんだ?」
「タイオス殿」
ゆっくりと顔を上げ、イズランは彼と目を合わせた。
「ティエ殿は、亡くなりました」