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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第4章
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10 正しき血筋

 国王の命令を聞くな、というような指示がどこまで守られるかは甚だ不明であった。

 使用人たちも、ああして癇癪を起こし、すぐに使用人を罰すると言い立てる少年が彼らのハルディール王であるとは信じ難かったが、彼らの目にはやはりそれはハルディールとしか見えないのだ。あれは国王ではないと騎士団長が説明したところで、そうですかと納得できなくても仕方ない。

 アンエスカは一室にフェルナーを閉じ込め、彼自身が見張ることにしたが、下手をすればそれは神殿長ならぬ騎士団長の反逆。使用人たちは〈シリンディン騎士団〉を強く信頼しているものの、不安や惑いは隠しきれない。

 〈白鷲〉の受けた刺傷もまた、彼らを驚愕させた。

 ついにタイオスは気を失っていたが、そうであって当然だ。常人であればその傷よりも痛みのために死んでいるところである。

 アンエスカは医師と神殿長を呼ぼうとして、ボウリスまで負傷したという話をようやく知った。

 いったいこのシリンドルで、何が起きていると言うのか。

 アンエスカは胃の痛くなる思いだった。

 ハルディールは再び生意気な小坊主に取って代わられ、勝手な行動など取らぬはずの騎士たちは揃って行方をくらまし――〈シリンディンの白鷲〉は意識を失ったまま、「幻夜」とやらを迎えようとしている。

「明日までは死なせない、か」

 アンエスカは呟いた。フェルナーはちらりと彼を見た。

「明日。何があると言うのだ?」

「僕がお前に話すと思うのか」

 少年はせせら笑った。

「お前に問うたのではない」

 独り言だと騎士団長は口の端を上げた。フェルナーはむっとした顔をする。

「僕が、知らないと思っているのか」

「そうだな。知らずともおかしくない」

 彼は言った。

「エククシアは、お前も含めて、駒だと言った。遊戯盤の指し手には、駒に作戦を教える必要などない」

「馬鹿にするな。僕はちゃんと、知っている」

「ほう?」

 アンエスカは片眉を上げた。

(これは)

 と彼は思った。

(意外と、簡単かもしれぬな)

「怪しいものだ」

 ふんと鼻を鳴らして騎士団長は首を振る。

「何を……」

 かっとなったようにフェルナーは顔を赤くした。

「明日が幻夜とやらであることくらい、僕はちゃんと聞いている」

「は、その程度であろう」

 小馬鹿にするようにアンエスカは言った。

「タイオスが言うには、お前はまだ十歳だそうだな」

「十一だ! 十二に、なるところだった!」

 憤然とフェルナーは主張した。

「どちらにせよ、子供だ。話す価値などない」

「いまは十八だ」

「六年間、何も学ばずにいたのであれば、やはり十二だ」

「子供扱いをするな」

 フェルナーはハルディールの瞳に怒りを燃やす。

「ライサイやエククシアの話は、聞いている! 明日、幻夜がはじまったら〈峠〉の神殿とやらに杭を打ち込む。そうして、固定するんだ」

「……何を?」

 探ると言うより、意味が判らなくてアンエスカは尋ねた。フェルナーは詰まった。

「その……幻夜をだ」

「何?」

「幻夜を、固定する」

「お前」

 アンエスカは首を振った。

「判らないままで、話しているだろう」

「何だと!」

 図星(レグル)にフェルナーは、また顔を赤くした。

「僕の、話が、判らないのはお前が、馬鹿だからだ。僕はちゃんと、わ、判っている」

 空言(からごと)と指摘するも虚しい、子供の見栄。アンエスカは息を吐いた。

「エククシアはタイオスを幻夜に殺すと言っているようだ。生け贄にでもするのか」

「さあな。僕には関係ない」

 少年は不満そうだった。

「いい加減、僕を見張るのはやめろ。僕をここから弾き出した神官はもうお前に力を貸せない。僕を閉じ込めていたところで、お前の望むようにはならない」

「何を」

 アンエスカは顔をしかめた。フェルナーの台詞に、気づいたことが、あった。

「……それはこちらの台詞だ」

 彼は、そうとだけ言った。

(神よ)

 シリンドルの男はそっと祈った。

(どうか、私に力を)

 ――とそのとき、エルレールもまた祈っていた。

 僧兵団長ドルタンを伴って麓の神殿へ戻った彼女は、まず神殿長ボウリスの様子をうかがうべく彼の部屋を訪れようとした。

「いえ、そちらではありません」

 しかし、階段を昇って左に向かおうとした巫女姫をドルタンは制止した。

「あら、お部屋ではないの」

 てっきり私室で休んでいるものと思い込んでいた彼女は意外そうに言って足を止めた。

「ではどちらに――」

「そちらは神殿長の部屋ですので」

 両者の声が重なった。

「何ですって?」

 エルレールは聞き取れなかったと言うより、聞き違ったと思って尋ねた。

「お前はいま、何と言ったのかしら?」

「そちらは神殿長の部屋ですので」

 繰り返すドルタンはどこか緊張した様子だった。

「ボウリス殿は、そちらではありません」

「何ですって?」

 彼女はまた言った。

「お前は、何を……」

 そこで彼女は、はっとした。

「まさか」

「あっ、エルレール様っ」

 エルレールはドルタンの静止を無視し、小走りになってその部屋に駆け込んだ。

 神殿長の、私室に。

 ばたん、と乱暴に扉を開ければ、部屋の主然として窓際に立っていた男は振り向いた。

「――お前は」

「これはこれは」

 彼は言った。

「迎えにお戻りいただけるとは、光栄ですな、王女殿下」

 いや、と彼は首を振った。

「いまは王陛下の姉君でいらしたか。しばらく留守にすれば、情勢も変わるものだ」

 くく、と男は笑った。

「ヨアティア――シリンドレン!」

 男はもう、仮面をつけてはいなかった。エルレールは驚愕する。

「何故、ここに」

「正統なる後継者が帰ってくれば、当然の待遇ではないか?」

 ヨアティアは笑みを浮かべた。満足そうな。

「ご苦労だった、団長」

「は……」

「ドルタン、お前は」

 エルレールは振り向き、僧兵団長をキッと睨んだ。

「この男に従うの!?」

「――ヨアティア様は、正統なるシリンドレンの血を引く御方です」

 顔を伏せ、団長は答えた。

「だ、だからと言って……」

 シリンドレンの血。それが重視されることは判っている。だからこそ神官からではなく市井からシリンドレンの系譜につながるボウリスを神殿長に選んだのであるし、もしもヨアティアがあのような醜悪な逃亡劇を図らず、全てを詫びてハルディールに忠誠を誓っていれば、ヨアティア自身を長の座に就けることはなかったとしても、その子を次代にというような案はきっと出ただろう。

 それはハルディールやエルレールだけの考えではない。アンエスカも考えたし、ハルディールに意見する者たちもみな、考えた。民の多くも、ヨアフォードの息子こそ歓迎しなかったとしても、シリンドレンの血は濃い方がいいと、そのように考えた。

 あのときであればヨアティアが神殿長になることに賛意を示す者は皆無であったろうが、時間の経ったいまは判らない。決して多くはないとしても、「ごくわずか」でも済まないかもしれない。

 エルレールの脳裏には、瞬時にそうしたことが駆け巡った。

「お前を神殿長だなどと、認めるものですか!」

「巫女ごときにそんな権限があるとでも?」

 ヨアティアは鼻で笑った。

「判っているはずだな。むしろ巫女をその座に就けるも、逐うも、神殿長にこそ可能だと」

「神殿長はボウリス殿よ」

「ふん。僭称にすぎん」

「王と神が認めた、正しき存在よ」

「ハルディールの判断は王のそれじゃない。個人的な感情だ」

「よくも、そんなことを」

「ええい、うるさい」

 ヨアティアは手を振った。

「そのように感情的にならずにお話ができないものですかな、殿下」

 弟が弟なら姉も姉だ、とヨアティアは呟き、エルレールをますますかっとさせた。

「お前は――」

「ドルタン、下がれ」

 男は団長に向かって手を振った。

「俺は殿下とお話がある」

 にやりとしてヨアティアは続けた。

「ふたりでな」

 ドルタンは目線を落としたままで礼をし、踵を返すと部屋を出た。

「待ちなさい、ドルタン!」

 エルレールは命じようとした。

「いいえ、お前がそのつもりなら、誰かほかに――」

「おっと」

 ヨアティアはごく短い距離を〈移動〉すると、エルレールの背後からその口をふさいだ。

「お静かに、殿下。俺だって、好んで手荒な真似をしたい訳じゃない」

「は、放しなさい」

 王姉は命じたが、ふさがれた口から出た声が意味のある言葉となって聞こえることはなかった。

「おとなしくしろ。死にたいか」

 低くヨアティアはうなり、もう片方の手に小刀をひらめかせた。

「何も殺すほどのことをしなくてもいいが、顔に傷をつけたくもないだろう?」

 刃をエルレールの頬に当て、ヨアティアは含み笑いをする。刃物への恐怖に、エルレールの身体はすくんだ。

「そう、それでいい」

 男は娘の口から手を放したが、逃がすまいとしてエルレールをうしろから抱く格好になった。

「エルレール殿下、俺とあなたは本来、仲良くやるはずだった。神殿長と巫女姫としてな」

「――汚らわしい。お前が、神殿長など」

「汚らわしい?」

 ヨアティアは唇を歪めた。

「シリンドレンの正しき血筋に、言ってくれるものだ」


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