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幻夜の影―シリンディンの白鷲・3―  作者: 一枝 唯
第3話 幻夜の影 第4章
135/206

08 ならば、死ね

「見える」

 彼は誰にともなく言った。

そこ(・・)にいるな。魂の糸を手繰って戻ってくれば、再び容易に入り込めると思ったか。確かに、一度出入りした身体への道筋はできていよう。だがそこからやってくると判っていれば、防ぐことこそ容易」

 ヴィロンはぱしんと手を打ち合わせると、素早く複雑な印を切った。青い瞳に力が宿る。もし――。

 もしもこのとき、タイオスがハルディールを抱き締めることに必死になっておらず、ヴィロンの顔を見ていたならば、彼は驚いただろう。

 神官の瞳はそのとき、金色に燃えたからだ。

「アスト・コズディム・ラムラマダ。冥界の主神コズディムの御名に於いて、彷徨いし魂よ――」

 神官長が強く命令の言葉を発揮しようとした瞬間だった。

 その声は、途切れた。

「なかなかの神力だ」

 囁くような声が、ヴィロンの背後で、した。

 〈青竜の騎士〉はただ神官の背後に立っていただけだ。だが、聖なる力の込められた命令とともに振り下ろされようとしていたヴィロンの右手は、まるで挙手をしているかのように上で止まっていた。

「エククシア」

 タイオスはハルディールを抱き締めながら半魔を睨んだ。

「てめえ、邪魔すんな」

「魔物め」

 ヴィロンはうなった。

「闇の生き物などに、敗れるものか」

 歯ぎしりをして黒髪の神官は、瞳を閉じて彼の神に祈りを捧げた。エククシアはくっと笑う。

「闇か。お前は昏き世界の何を知る、神官よ。神の名を唱え、聖なる言葉を口にすれば、自身に巣食う闇をも払えると思うのか」

「何を」

 ヴィロンはうなり声を出した。

「おい、てめえ。仮にも神官サマに向かって何だそりゃあ」

 別にタイオスは聖職者だからと言って意味もなく尊敬したり崇めたりもしない。だが少なくとも半魔に言われる筋合いはないずだと思い、ヴィロンを擁護した。

「神官か」

 エククシアは肩をすくめた。

「金の瞳は魔物の証と、お前はそれを理解していなかったか、〈白鷲〉よ」

「何?」

 そこでタイオスは、ヴィロンの瞳の色に――気づいた。

「いや……いや、まさか」

「違う」

 ヴィロンはうなった。

「私は、魔物ではない」

「確かに、その通りだろう」

 エククシアは言った。

「カヌハには〈しるしある者〉と呼ばれる人間たちがいる。――の影響を強く受け、しるしを持って生まれてくるニンゲンのことだ。境界近くでは、稀にあること。たいていは迫害を受けるな。『悪魔(ゾッフル)の子』だ、と」

 半魔の言葉に、ヴィロンはぴくりとした。

「そうした半人(・・)どもが進む道は二種類だ。闇に落ち、人でありながら魔に近くなり、人から奪って生きていくか……それとも、生まれ持った闇を必死で否定して、無理に光のもとに立つか」

 エククシアは肩をすくめた。

「つらいだけで実りのない道を選んだな。そして死ぬ気でそこにぶら下がっている。醜悪だ」

「私は」

 ヴィロンは唇を噛んだ。

「本心からコズディム神に仕えている!」

「そのように言明しなければならないことこそ、お前の必死さを物語っている」

 神官と半魔のやり取りをタイオスは驚いて聞いていた。

(つまり、どういうことだ?)

(ヴィロンは、ソディ連中の〈しるしある者〉のような生まれだが、カヌハみたいに優遇されてた訳じゃなく、むしろ迫害された)

(「悪魔の子」疑惑を払拭するために神官となった)

 タイオスはざっと話を整理した。

(そりゃ立派なもんだ。だが――)

(だが)

 ふっと耳に蘇る、それはサングの言葉。

『彼には』

『気をつけて』

「ヴィロン――」

 何を言おうか決めていた訳ではない。おそらく、惑わされるなとかそうしたことだ。魔物の囁きには、毒があるものだと。

 しかし、そのときであった。

 どん、と少年の手が彼を突く。

「いつまで張り付いているんだ、気持ちが悪い!」

 癇癪を起こしたような声。

「放せ、タイオス」

「こんの」

 ヴィロンとエククシアに気を取られた。彼はハルディールを変わらず抱き締めていたが、わずかなりと言えども、その意識は余所に逸らされたのだ。

 その、隙に。

「放せ」

 フェルナーは繰り返した。

「放さんぞ、この、クソガキめ」

 ここで「放さない」ことにどんな意味があるのかはともかく、こいつの思い通りになんかしてやるものかという意地のようなものがタイオスの手をフェルナーから放させなかった。

「アンエスカ、こいつを斬れ!」

 ハルディールの声でフェルナーは命令を下したが、アンエスカがそれをハルディールの命令と考えるはずもなかった。

「馬鹿なことを」

 アンエスカの手は腰の剣にかかっていたが、それはタイオスを斬るためでもなければ、もちろんハルディールであるフェルナーを斬るためでもなく、エククシアへの牽制であった。

「くそっ」

 貴族の息子らしからぬ下品な罵倒を口にして、フェルナーは思い切り暴れ出した。戦士の拘束から逃れようと言うのだろうが、完全に押さえ込んでいるタイオスに敵うはずもない。無意味に身体をくねらせ、踏ん張りの効かない状態でぽかぽかと彼をぶつ(・・)くらいしかできなかった。

「てめっ、暴れるなっ」

「放せと、言ってるだろうっ」

「くそ」

 と呟いたのは、これまた品のない言葉を使うに相応しくない神官であった。

「もう少しで、散らしてやることが、できたものを」

「半人が半霊を払う、か」

 〈青竜の騎士〉は口の端を上げた。

「いささか、興味深いところではあるな」

「私は、半人などではない!」

 ヴィロンは叫ぶ。

「何を抗う?」

 エククシアは肩をすくめた。

「人の間で魔と呼ばれ、魔から人と見られるのは、その半端なる抗いのためだ。下らぬ教えなど忘れ、こちらにくるがいい」

「何を……」

「クライス・ヴィロン」

「呼ぶな」

 金の瞳を閉ざしてヴィロンは首を振った。

「――呼ぶな」

 このとき、最も対応に迷っていたのは、アンエスカと言えた。

 タイオスはフェルナーに、ヴィロンはエククシアに。騎士団長としては無論ハルディールを守る意志があるが、彼の王の身体をまたしても使っているフェルナーを追い払うのに彼の剣は役に立たない。頼みのヴィロンは、エククシアの術中だ。

(となれば)

(やはり、こちらか)

 決断するとアンエスカは、細剣を抜きざまヴィロンと並ぶ場所へ跳んだ。

(神よ!)

 祈りを心で叫ぶと、彼は神官の背後に立つエククシアに何の警告もなく襲いかかった。

 エククシアにちっとも敵わなかったことも、傷を負わされたことも忘れたように、または忘れることにして、彼は床を蹴った。

 相手が武器を抜いていなくとも。たとえ背後からであっても。

 卑怯とそしられようと。

 彼の国と、彼の王を守るためならば。

 魔物の金目銀目が意外そうに見開かれた。ハルディールの命令がなければ何もできないとでも考えていたのか。

 アンエスカの剣は、エククシアの脇腹を貫き、串刺しにした。

「何……」

「よくやった、アンエスカ!」

 タイオスは叫んだ。

「ヴィロン、続きを」

「どうか陛下を」

「――コズディムよ」

 低くヴィロンは詠唱をはじめ、そして、黙った。

「おい?」

「もう、背後を案ずる必要は」

 ない、とアンエスカが言いかけたとき、〈青竜の騎士〉はかすかに笑った。

 彼の剣に、身体を貫かれたままで。

「見くびっていた、シャーリス・アンエスカ」

 何ごとも起きていないと言うような、変わらぬ声音で、エククシアは囁いた。

「負傷を抱えたままで、それだけの速度を見せるとはな。実力にせよ、神の奇跡にせよ」

 エククシアは、左手で彼に刺さる刀身を握った。かと思うとそのまま身を反対側に動かして、剣を抜いた。

「な」

 そのような真似をすれば、空いた穴から大量の血が噴き出るはずだ。いや、もとより、平然と喋ってなどいられないはずであり――。

「詫び代わりに、お前も招待してやろう」

 〈青竜の騎士〉の脇腹のところには、確かに赤い血が流れていた。しかしそれは、まるで少しだけ引っかけてしまったとでもいう程度の。

「幻の、夜にな」

「――化け物め」

 改めてアンエスカは、エククシアが人外であることを知った。

「お、おいおい、まじかよ」

 確かに刺し貫かれたと見えるのに――アンエスカの剣がエククシアを貫いていたことは、間違いない――、平然としている。手品(トランティエ)でも見ているかのようだ。タイオスは唖然とした。

 その驚きが、わずかにタイオスに二度目の隙を作った。その隙をフェルナーが掴んだのは、少年に幸運な、戦士に不幸な偶然に過ぎない。

「いつまでも放さないなら」

 フェルナーは、先から狙っていたものに手を届かせることに成功した。

「こうだ!」

 少年の手は戦士の右腰から、彼の短剣を引き抜いた。かと思えば刃はそのまま、胸当ての下の脇腹に刺し込まれた。

「て、てめ……」

 腕の力が、目に見えて緩む。フェルナーはタイオスの手から逃げ出し、くるりと振り返ると短剣を抜こうとした。

「されて、たまるか」

 ここで刃を引き抜かれたら激痛と出血のために死にかねない。エククシアのような人外とは違うのだ。タイオスは伸ばされたフェルナーの手を捕まえた。

「放せ!」

 少年は繰り返す。

「死んでも、離さねえぞ、クソガキめ」

「ならば、死ね」

 憎々しげに言うと、フェルナーは足を振り上げた。それはタイオスに刺さった短剣の柄に当たり、戦士はこらえきれずに声を上げ、少年の手を放した。


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